謎とき『風と共に去りぬ』
2022/09/30 12:34
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
うまくできている映画のせいで誤解されることも多い原作を、とても深いところまで掘り下げて読み解かれている。近年の人種差別の問題にも触れていて、よかった。
私自身のこだわっていた謎も解けたので、満足。
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投稿者:おどおどさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「風と共に去りぬ」をボケとツッコミと捉えるとは面白い。
まず王道に原作と映画を見てから、楽しみたい。
どっぷりハマりたいw
映画しか観てませんが、面白いです。
2019/08/22 10:43
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画のみで、原作小説を読んでいませんでしたが、充分楽しめます。粗筋と映画と原作の差異を冒頭で紹介されています。
ヒロインの名前が当初はパンジーと想定されていたのは知っていたが、聖女のようなメラニー、どうせだったら聖母マリアに由来するメアリーにすれば良かったのにと感じていました。疑問は或る意味で氷解。
アシュリ・ウィルクス、気の毒すぎます。
いかがなものかというところも
2023/01/24 13:28
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
謎ときシリーズらしい面白さもあるのだが、この作品が人種差別的なものではないというのに固執するのはいかがなものかと思う。マーガレット・ミッチェルの主観として差別的な意図がなかったのと、作品が差別的であるのは分けて考えるべきだろう。後になってそれが指摘されるようになったのではなくすでに発表当時から差別だという批判があったのだから、そこを含めて受容すべきではないか。
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初めて読んだのは確か小5くらいのときで、家にあった河出書房の世界文学全集の、なので大久保康雄訳。他のがグリーンなのになぜか「風と共に」と一部の小説が白い表紙で、その乙女っぽい装丁にときめいた記憶がある。その後、高校生くらいまで何度か再読した。映画のほうはたぶんNHKで観たと思う。ヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブルのビジュアルは本を読む前から知っていて、そのイメージで本も読んだ…かもしれないけど、映画は原作の良さが全然入ってなくて退屈だな…と思った記憶がある。なので私の中では映画はあまり印象にない。
鴻巣さんが手がけた新訳版は読んでないが、この本は読書リストには入れていた。なんといっても暗記するくらい読んだ「風共」だから。最近はこういう評論は読まなくなって久しいのだけど、BLMの動きで一瞬「風共」に注目が集まり、その流れで手に取った。
本の中には鴻巣さんによる新訳が随所に引用される。それを見ると私の読んだ訳よりずいぶんとカジュアルな感じがする。私自身はこの本に相当のめり込んで、登場人物が勝手に生き生きと躍動していたので、当時の翻訳がどうこうというのはなかった。またあまりにも子供だったから、「風共」がはらんでいる問題を全然意識してなかった。地の文と登場人物の心の声が地続きになっているなんてこと気づかずに、かといってミッチェルが差別主義者だなんてまったく思わずに、これは登場人物の心理だと思って当然のように読みこなしていた。本が作者の考えを表すなんてこと、その頃は意識したことなかったのだ。物語の中の登場人物がすべて。神の視点で語られる場面もあるが、それを当然のように受け止めていた頃、なんて幸福な時代の読書体験だったんだろう。でも優れた小説はすべてそういうものじゃないか。鴻巣さんが発見するいろいろなことは1人の作者としてこのテクストを読まざるを得なかった結果から導き出されたことで、純粋な読者はそんなことは思いもせずに、ただ物語の中に浸り、登場人物の声を聞く。
なので、私にはあまり解くべき謎もなかったし、知ったところで「風共」の読書体験に変化はまったくないのだけれど、以前から感じていたメラニーの存在感(私には彼女はグレーでイメージされている)が言語化されたのはすっきりしたのと、スカーレットの目からしか描かれていなかったアシュレーが肉欲もある一人の男性であるという気づきは久しぶりに再読しようかなという気持ちをそそった。そう、本当に再読しようかな、今度は鴻巣さんの新訳で。
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かぜともファンには垂涎ものの本だろう。
時間がなくて飛ばし読みだったけど、スカーレットより、
メラニーの方がいざとなったら腹が据わっていて度胸があるというのは新しい視点。
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鴻巣友季子さんの新訳を読み終えてから、手に取りました。
風と共に去りぬの世界をじっくり探検してみる水先案内人のような本で、彼女の視点、ひとつひとつが興味深かったです。
確かに、風と共に去りぬは、女性が女性を描いた物語で、作者が意識的か無意識にか、そこに込めたものに、翻訳者が共鳴して、読者である女性の私も共鳴してるとこがあるのかも知れません。この本を読んで、その視点に気が付きました。かの林真理子さんも、今、風と共に去りぬを題材に書かれているし。
今も、昔も、女性ならではの枠に押し込められている感覚はあり、その枠を思いっきり叩き壊したい衝動に駆られたり、その枠の中で、社会に受け入れられて生きているように見える一つ上の世代に反発を感じたり、しかし、ある時、一つ上の世代の女性が、枠にはまっているようで意外にしたたかに自分の能力を生かしていることに気がついたり、というのはあるのかも。スカーレットの母なるもの(エレンやメラニーや・・・)からの自立、親離れの物語として、読めるのだというのは、面白かったです。
もちろん、他にもいろんな視点から、風と共に去りぬは読めるし、そのたびに違う輝きを見せるのでは、と感じるだけでも、この本は面白かったです。
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100分de名著で観てとても面白かったのでこちらも。映画は観たけど原作は読んでないので読みたい。鴻巣さん訳で!
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どうしても映画版にひきずられること含め、いろいろ看破された感じ。さすがご慧眼! 鴻巣訳で再読しようかという気持ちになりました。
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真面目な真面目な「風と共に去りぬ」評。
これまでの通説を覆す、世間の評価は間違ってる、との評論だけどこれまでの通説を知らないのだから、その辺はなんとも感情移入しにくい。
でも、まぁ、面白かったよ。
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おなじみ、NHK「100分de名著」で取り上げられていた『風と共に去りぬ』。
その解説をしていた著者による、より詳しく知りたい人のための本だ。
これだけの名作を読んだことがなく、映画も見たことがなかった。
だからなんとなくのイメージで、南部のわがままな金持ちの美人さんがニヒルな男性に惚れて振られる話、だと思っていた。
そもそもからしてほとんど間違っているのだが、なんと!
スカーレット・オハラはヴィヴィアン・リーのような容姿ではない!
四角い顔で、つり目、浅緑の目、猪首、低めの身長。
何も知らない私ですら、ヴィヴィアン・リーの姿は見たことがあり、あのイメージだったのだが。
著者はコンパクトグラマーと表す魅力のある女性が、原作のスカーレットだ。
さて、一体何がスカーレットの魅力か。
それは偏に、彼女の持つ強さと、幼さと、自己中心的な性格にある。
ヒロインのライバル、あるいは対をなす、対極にいるかのように見えたメラニーが、実は原作の中ではWヒロインとして扱われている。
聖女、手弱女、純朴。
そんなメラニーのイメージは覆される。
182頁からの「黒のヒロイン、聖愚者メラニー・ウィルクスの闇」の章は驚きを禁じ得ない。
スカーレット、メラニー。
そもそもこの二人の名前が表すもの、そして、ここぞの場面で発揮される強さや暗さ。
イメージとは、「幻」だ。
著者は257頁で「これは恋愛小説ではない」と言い切っている。
悲恋、泥沼、三角関係。
そんなイメージばかりが先行しているが、実は全く違う姿がそこにあった。
フェミニズム的な観点からすれば、「女の敵は女だし、女は弱々しいし、わがまま女は男から捨てられる」というイメージを作ったのはだーれだ、と言いたくなるのだが、またそれは論点がずれるので、指摘に止める。
面白いのは、67頁。
『風と共に去りぬ』は壮大なる萌えの物語で、このセリフを誰に言わせるか、なる評論もあるそうだ。
私なら、ルパン三世の中のキャラクターなら次元大介がぴったりだと思う。
素晴らしき名作は、母と娘の物語、女同士の友情、力強さを持ってたくましく生き抜く女性の物語だ。
ってことは、最近の少女漫画、ディズニー作品に通じるんじゃないか?
今度、原作を読んでみよう。
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よく知らなかったミッチェルのことを知れたのは、良かった。メラニーが真の主人公だったんだね。まあ、た確かに一番深みはあったのかなあ。でも、彼女も嫉妬心があったみたいなくだりはよく分からなかった…。
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鴻巣訳じゃないけど原作も読んでるのに、やっぱり映画の印象が強いんだなあ。「え、そうだっけ」「あれ、そんなこと書いてあったっけ」というのが多かった。物語に対してもだけど、アシュレの見方がちょっと変わった。
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やや論理の詰めが甘い部分が気に掛かるが、いま現在の『風と共に立ちぬ』評論としてはかなりきめ細かく網羅されており、入り口にぴったりな一冊。特にマーガレットミッチェルと母、さらにその祖母との関係から分裂した彼女の女性観を引き出し、それがどうスカーレットとメラニーに影響を与えているのかという部分はかなり説得力のある批評だった。スカーレットとメラニーはふたりでひとりというのは、読解としては分かるが、女性の分裂としては非常に痛々しい。そしてそれは二十一世紀の今も女性が抱えるひとつの痛みであり、わたしがこの物語に圧倒的な強度を感じたひとつのキッカケでもある。しかし、母娘関係の描写が見事であり共感性が高いということ、また女性の分裂したあり方を描き出すということ、それが20世紀前半のアメリカで女性の手によって行われたということごとと、今現在にこの分裂が私たちのあり方に何をもたらすかという問題はまったく別ですね。
レット=母説はこちらも説得力があるが、まったく救いのない話だ。レットの母性みたいな部分は、逆にわたしはマーガレットミッチェルの先進的なキャラ造形の把握力の凄さとして読んでいるので無視するとして、確かにエレンの死とレットの入隊がオーバーラップしているというのはありえる話だとおもった。しかし、それを取ると物語全体がまったく悲しい話になってしまう。スカーレットは母を追い求め、しかし捨てられ続ける話だし、最後まで母しか愛し、求めていなかったというのはあまりに悲しい。わたしとしては、レットはやはり他者としての男性(=異物)であり、それに出会い損ねた話として読みたいのだが…。結局、スカーレットはアシュリに萌え続けたことにより、現実的に対男性としては目が曇ってアシュリとも出会い損ねたし、レットとも出会い損ねていると考えると、本当に萌えって残念な感情なんだという風に思ってしまう。
アシュリの性欲の話は、わたしも本文を読みながら「こいつはやけに身体に言及するんだよなあ…」と思っていたので大変面白かった。アシュリ、つくづく可哀想な男である。最後にいくにつれてどんどん「こいつはなんなんだ…」という気持ちで読んだのだが、鴻巣さんの文章を読むと、それはわたしの若さの傲りな感じもしますね。
なんとまあ、多彩な読みができる小説か!わたしはレットの部屋に一晩メラニーが泊まった時、部屋ではなにが起こったのか。そのことばかり考えてしまう。
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新潮文庫で既に『風と共に去りぬ』の訳を手がけられた、鴻巣友季子さんの『風と共に去りぬ』論。100分de名著の名講義をオンデマンドで見て、すごく面白かったので、これまたようやく退院が見え始めた頃に病室で読み始め…本日読了した。
初めて中学生で『風と共に…』読んでからずっとの、私の疑問は3つ。
『アシュリ・ウィルクスとは、本当はどんな男の人なのだろう?(カッコいいって言われる割に、どんな男の人か、性格とか今ひとつよく判らないのよね)』
『スカーレットって賢いのに、こんなにおばかさんに書かれているのはどうしてだろう?』
『逆に、メラニーが、ばかだの意気地なしだの(ボロカスに書かれているのに)ひ弱には見えなくて、案外スカーレットと二人、いいコンビに見えたり…。そのくせアシュリを巡っての恋敵なら、私がスカーレットだったら、ウィルクス夫妻、まとめて手を離してしまうのに。なんだ?この関係?』
ぼんやりと疑問に思い、そして形にはしないで、こうかな、ああかな、と考えてきたことが、疑問氷解!すっきりした。実はこうだったんだよ、ということを詳らかに書いてしまうと、この本の面白いところがネタバラシになってしまうので、自粛しておくけれど。難しいと思って『風と共に…』に???が一杯ついてる方や、映画や小説の、定着したイメージから一度離れて、じっくり小説を読んでみたい方には、面白い本だと思う。
アレクサンドラ・リブリーの公認続編や、ヴィヴィアン・リーの評伝は読んだし、十分自分は詳しいわ、という方も、ざっと小説を読んだんだけど、という方も。笑ったり膝を打ったりしながら、きっと夢中で読んでしまわれるのではないだろうか。
ところで。本書に引用されていたミッチェル自身の書簡の訳がとても興味深くて、もし評伝や書簡集も出ているなら、ぜひ読んでみたい。ミッチェル自身は、周到に作品の大ヒットの名声から、一枚ヴェールを上手に身に着け、作品とはまた別の、自分の人生を生きた人のように思えたからだ。
面白い本に当たると、こうやって深堀りして行きたくなるから、読書ってやつはたまらない。