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旅歌さんのレビュー一覧

投稿者:旅歌

86 件中 16 件~ 30 件を表示

紙の本

紙の本殺戮の女神

2001/07/20 07:45

世紀末のサイコ・スリラー

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 ギリシャ悲劇を題材にして、ゴシックな雰囲気を漂わせた女殺人鬼が新都ベルリンを跋扈する。荒削りで抜き身ながら、言い知れぬ力を持った物語だ。全編に漂う、匂わんばかりのギリシャ古典の豊穣な空気。圧倒的だ。あとで、作者の経歴を読んで納得。この作者は大学でギリシャ哲学を教えていた方だった。しかし、ギリシャ神話に「殺戮の女神」は登場しなかったように思うんだけど。「殺戮の女神」と聞いていの一番に思い出すのが、ヒンドゥーのカーリー(ドゥルガー)だ。あとは、ケルト神話のモリガンとか。作者自ら創造しようとでもしたか。

 女性の快楽殺人者がいない(少ない)のには、この物語で言うように、男性の方が性欲が強いからが定説らしいが、ホントのところはぼくもよく知らない。最近の海外ミステリでは、女性の連続殺人犯を扱った物語も多く、男性社会に進出した女性たちが、否応無く男性化している証左ではないかとも思っている。国産ミステリでも、平山夢明さんの作品がある。おかしなところでネタバレしないように気をつけるが、ともかく平山作品の方が、女性が快楽殺人を犯す背景に説得力があるのだ。テア・ドルンが、平山作品を読んで、女性快楽殺人犯の動機付けというか、背景のインスピレーションを得たかのような展開でとても驚いた。さすがに、われらが平山夢明である。

 ともかく物語には、まともな人間がほとんど登場しない。まさに世紀末なのである。どいつもこいつもサイコな一面を持っていて、後半までどこでどう転ぶかまったく予想がつかない。特にエキセントリックな女性はひどい。偏執狂、色情狂、レズ、死体愛好、倒錯、サイコな一時的記憶喪失…、それらを裏付けるフロイト的幼児体験…。声の馬鹿でかい、自分勝手な自己中女ばっかり。男だって負けていない。これも色情狂にオナニストに躁鬱的なわけわからない病的な男。キーワードはセックス。この混沌が新生ベルリン、ひいてはドイツを象徴しているとでも言いたいのか?

 と、ここまでは良いのだが、問題は後半のストーリィなのだ。中盤過ぎまであざとく読者をかく乱しておきながら、あっさりとゴシック文字を引っ込めて、ある人物を登場させる。巻頭の人物リストを見るまでもなく、こいつが犯人なのは見え見え。作者は簡単にバレると思ったかどうかわからない。逆に読者にわからせて、ここからが物語の本番、スリラーが始まるという意味かもしれないが、少なくともぼくにはそこまでのモノは感じられなかった。それでももっとうまい人物配置があるように思う。細切れに切った視点の転換は、読書中は浅はかなテクニックとしか見えていなかったが、読み終えてみれば、ドラマを盛り上げるうまさも感じられたのでとても残念に思う。

 ともあれ、これだけ読者の期待を裏切る執筆姿勢には、大いに大器の予感が漂う。次回作も是非読みたい。こんな感想でした>小太郎さん、紹介ありがとう。

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紙の本

紙の本クリムゾン・リバー

2001/07/20 07:43

本格風味にノワールな隠し味

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 惜しい! ラスト80ページあたりまで、グリグリの満点をつけようと思っていた。ところが、ラストに待ち構えていた怒涛の謎解きが走りすぎたように思え、しかも解決部があまりにあっけなくて拍子抜けしてしまったのだ。それでも、2001年ベストテン級の傑作でありましょう。瞠目のラストも嫌いじゃないですよ。本格風味な謎と雰囲気に、冒険小説のテイストをたっぷりと盛り込んで、ハードボイルドな刑事を二人まで配してノワールな隠し味と読後感。ごちそうさまでした。

 これほどの物語を書いたのが、新人作家でそれも二作目だなんて俄かには信じられない。堂にいったストーリィ展開。冒頭のニエマンス警視正のはちゃめちゃアクションから目が離せなくなるのだ。物語は、そのままニエマンスが捜査する奇怪な殺人事件へと引き継がれ、平行してアブドゥフ警部の墓荒らし捜査が語られる。どちらも不可解で魅力的な謎で、読者はこのふたつの事件がどう結びつくのか息を殺して読みつづける。これほどに読書中断が辛かった物語は久しぶりだ。見事な謎とアクションの連続に翻弄され、深夜まで読み耽った。

 なんといっても、解決にあたる刑事ふたりのアンチ・ヒーローぶりがいかしてる。内なる暴力衝動を抑えきれないニエマンス警視正と、自動車泥棒で生計をたてていたアラブ人二世のアブドゥフ警部だ。同名の映画の原作だがぼくは未見。それなのに、ニエマンス警視正役のジャン・レノが頭から離れない。実にぴったりのキャスティングで、冒頭からニエマンスがジャン・レノに姿を変えてぼくの頭に中に像を結んだ。最初からジャン・レノを頭において創出した人物としか思えない。端役ながらキラリと光る人物も多い。

 中盤になって更に殺人が連続し、少しずつ謎が明かされても、まったく着地点が予想できない。この謎解きのディテールがまたすばらしいのだ。暴かれても更にその奥に謎が潜んでいるという入れ子状態が、これでもかと読者を襲い続ける。強引さは否定できないが、一時も目を離させない恐るべきアイディアと展開力だ。ようやく着地点が見えてきたとき、マジかよぉ、と叫びたくなって、そこから先が尻すぼみのように見えてしまうのが欠点だろうか。死人を生き返らせるという豪腕力技の答えが、あんな当たり前では納得できないなぁ。それと、もうちょっと「クリムゾン・リバー(緋色の川)」をコントロールする側からの狂気に気を配れば、更に更に深い物語になったであろうに。きっかけとかね。

 ともかく、無類のストーリィ展開に加え、キャラクターを立たせる術も心得ているとなると、今後は絶対にこの作家から目を離せない。デビュー作の邦訳はどうなっているのかな?

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紙の本

紙の本この世の果て

2001/07/20 07:42

居場所があり、保護されることは重要だ

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 変わっている。特に変なのは登場人物の動き全般とストーリィの進めかたと描出するシーンの選び方。ステレオタイプな登場人物が好きなわけでは決してないが、ここまで真意の読めない、というか何を考えているかわからない人物たちが、勝手に動いてストーリィを作り上げている印象が強いのも珍しい。はっきりいえば、「心に哀しみをたたえている」人物たちのどれもこれも食い足りなかったのだ。

 一応主人公と思われるのが、ジョー(ジョーゼフ)・カーティスなのだが、コイツがどうもよくわからない。対比するように描かれるのが、インディアン出身でATFのリーアン・レッド・フェザー捜査官で、彼女は比較的解りやすいのだが、それとてもジョーと比較しての話。中でも一番解らないのが、リーアンの弟カルビンだろうか。他人など決して理解することができない、人間の行動に一貫性などない、というような視点から読むしかない。

 キーワードは「自分の居場所」? カルトでしか自分の居場所を見つけられなかった人たちとアンダーカヴァーとすらいえない捜査で、自分本来の居場所を見つけつつあるリーアン。最終的にはジョーもここで居場所を見つけた? のなら、こんな危険な小説は無い。反社会的なカルトを扱っているにも関わらず、勧善懲悪的でなく、或る意味肯定すらするような雰囲気すらあってよくわからない。もちろん、カルトを肯定といっても、精神的な意味であって、先鋭化して反社会的行動をとるようになったカルトを弁護しているわけではない。人間が本来居るべきところ、という意味では、カルトも理解できるし、スピリチュアルなアプローチもわかる。だが、全体的に朧で、印象が薄い。アクションがいらないのだ。

 ストーリィとしては、エンターテイメントへの拘りが、悪いほうに出た例だと思う。軍の暗躍などは、本当に必要だったのか。もう少し刈り込んで、密度高く構築したほうがよかったのではないか。作者が本当に描きたかったと思われる、スピリチュアルな物語を中心に、軍の動きなどは思いっきり省いて。後半になって、急に時制がつかみにくくなり、突然時間が戻るような錯覚に何度も襲われて、せっかく読書の推進力になっていたサスペンスの糸が突然断ち切られてしまったようでとても残念だった。

 だが、人生を見つめる透徹した目は、この作者ならではのもので、洞察力に満ちた大人の鑑賞に堪えるミステリではあると思う。こんなロードノヴェルを読んだのは実に久しぶり。翻訳が良ければもっとのれたかな。

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紙の本

紙の本蹲る骨

2001/07/20 07:40

シボーン・クラークは女リーバスか?

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 過去に紹介された、リーバス警部シリーズの中で最もエンターテイメント性の強い作品と思われる。この物語は、結果的に作者のスタイルになってはいるが、作者が大して拘っているとも思えないモジュラー型の警察小説ではない。リーバスが追う事件、巻を重ねるに従って魅力的な女刑事に成長していくシボーン・クラーク刑事の事件、リーバスの部下ふたりの刑事が追う事件。大きくはこの三つの事件の捜査が平行して描かれる。どの事件にもリーバス警部が首を突っ込んで、シボーン・クラーク刑事に、「リーバス警部に持っていかれる」と言わせたりするところに、作者のクラーク刑事への思いが凝縮されているような気がする。

 リーバス警部シリーズは、警察小説ではあるが、主人公のリーバスはまるっきりの一匹狼だ。しかも組織内のアウトローである。だからランキンのモジュラー型は、リューインやウィングフィールドのそれとは違って、警察署が舞台にはならない。持ち込まれた事件ではないのだ。リーバスが嗅ぎまわって事件を掘り起こす。悪く言えば、事件のつまみ食いみたいな印象があって、この辺りが人によっては散漫なイメージを持たせるのかもしれない。事件を掘り起こすという意味では、今回の事件はリーバスの真骨頂なのだが、前述のようにいくつかの事件に絞って展開するのでいつもよりも密度が濃く、ストーリィも格段にわかりやすくなっている。

 この程度はネタバレにはならないだろうから、思い切って書いちゃうけど、リーバス警部シリーズは、同時多発する事件が一点には収斂しない。わずかに関係する場合はあっても、強引にまとめあげることはしない。あくまでも自然で無理の無いストーリィが特徴だ。しかし、今回は三つの事件がこれ以上無いくらい微妙に絡まって、ある一点に収斂していく。見事なプロットだ。そのわりに犯人が弱いと思うが、事件の背景を考えれば仕方ないかな。解決部も、こんなんで良いのか? と思わず文句のひとつもつけたくなるが…。ディテールが良かっただけに…。考えてみれば、闇から闇というのもシリーズの大きな特徴のひとつなのだな。

 人物たちに目を向けると、作者は前作あたりからシボーン・クラーク刑事に力を入れているが、とうとうこの物語ではもうひとりの主役と言っても過言ではないくらいに成長を遂げてしまった。女リーバス? いやいや、作者はものすごくうまいですよ。リーバスの対極に、シボーン・クラーク刑事に言い寄ってくるエリート警部デレク・リンフォードを置くことによって、リーバス警部への何がしかの思いに気がつくよう配置する。微妙に揺れる女心を見事に描いている。だからといって、どうなるわけでもないんだけどね。長く続いたシリーズの宿命か。

 会話が絶品。どのシーンをとっても味わい深い会話が並んでいて唸らせる。これは、後期のマット・スカダー=シリーズに匹敵すると思う。あれほど饒舌ではないが。リーバスの内面描写やシボーン・クラークの内面描写も読ませる。しかし、イアン・ランキンって、まだ40歳くらいのはずだよね。信じがたい円熟ぶりだ。

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紙の本

紙の本萬月療法

2001/06/16 10:12

萬月さんの小説を知らなくても楽しめるエッセイ集。

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 「小説推理」に連載されているエッセイをまとめたものだ。ちょうど、萬月さんが作風の転換を図ったころの分だから、はっきりと文学に対する姿勢があらわれてますね。論旨明快、文章も脂が乗り切って水を得た魚だ。決して浅田次郎さんのように軽妙洒脱とはいえないが、萬月さんの人柄が窺い知れるエッセイ集だと思う。

 白眉は、全8回に渡って書き連ねた「辞書が完成した!」であろう。これは萬月さん愛用のIME ATOK9を作家花村萬月の好みの辞書に書き換えたという内容なのだが、手書きとワープロ書きの違い、あるいはアナログとデジタルの違いからひもといて、立派なひとつの文化論を形成している。萬月さんの執拗な思索に啓示された文化論は、デジタル時代のひとつの指標になりそうだ。決して大げさでなく、パソコンで文章を書く者誰もが漠然と考えていたことが、萬月さんによって見事に論理立てて解明されたのだ。

 その他、完全主義者の萬月さんらしい拘りがあちこちに見られる。萬月さんの今までのエッセイ集は、失礼ながら、あくまでも小説の添え物的萬月ファン向けだと思っていました。副読本的に小説と平行して読んではじめて楽しめると。ところが、このエッセイ集は小説から完全に独立して読むことができる。まるっきり萬月さんを知らない読者でも大いに楽しめるはず。やんわりと独自の哲学が散りばめられているから、これを読んで萬月さんの小説を手に取ろうという人もいるかもしれない。萬月さんもこなれた作家になりましたね。生意気ですがそのように感じ入りましたです、ハイ。

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紙の本

紙の本風転

2001/06/16 10:09

「親殺しの倫理」の行く末、遅きに失した?

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 何かを抑えているかのような印象が強い。直截的で五感に訴えてくる描写も、絢爛豪華で威圧感さえ漂わせた受賞後の萬月さんとは違うような気がする。疾風怒濤の筆圧も感じられない。もしかして、この作品に愛着が無くなっていたのかな、などとつまらない感想を持ってしまった。1994年から足掛け7年にわたる連載で、その間2年以上のブランクがあった作品である。その間に、『鬱』が上梓され、『ぢん・ぢん・ぢん』が上梓され、『ゲルマニウムの夜』で芥川賞を受賞した。この作品で扱っているような題材は、すでに先に挙げた作品で語り尽くされてしまったような気がしてしまうのだ。『鬱』でも『ぢん・ぢん・ぢん』でも作家修行をしつつ、一種のカリスマを獲得しながら成長する若者が描かれた。『鬱』ではその狂気までも。今回のヒカルは、『ぢん・ぢん・ぢん』のイクオと腹違いの兄弟のようだ。「師」となる者もパターンがある。当然のごとくアウトロー。『二進法の犬』鷲津と乾のような、『ぢん・ぢん・ぢん』のイクオと時田さんのような。

 思想的にも新たな展開を見せてはいないと思う。『ぢん・ぢん・ぢん』で現代のあらゆる倫理をぶち壊し、『ゲルマニウムの夜』は更に徹底した上で新しい思想の胎動を感じさせた。だがこの作品では、相変わらず独特の論理展開をし、憲法まで登場させて「良心」について論じてはいるもの、『王国記』に比べればぞくぞくするような進化は見受けられない。論理の極端さと脆弱さに比べて、インパクトはとても少ないのだ。やはり遅きに失したのでしょう。間違いようのない萬月さんの哲学が散りばめられた力作であるが、傍流がごとき印象漂うわす作品になってしまったのは、出版時期を逸したことが大きいと思うだのだ。

 常に時代は自らに相応しい哲学を持ってきた。ここまで民主主義を罵倒するなら、新しい哲学の創始を目指してはいかがだろうか。実はすでに、独自の哲学をものにしつつあるような気もしている。とても誤解を受けやすい哲学を。もちろん、『王国記』で目指しているのがこの路線なのだが、それはあくまでも宗教である。萬月さんは哲学を目指すべきだ。宗教は論理が破綻しても逃げができるから。神様の思し召し……。この物語でも言っているが、自分勝手に論理展開をすればそれが正しくなる、これぞ宗教の宗教たるところである。しかし、できれば萬月さんにはこの路線は進んで欲しくない。少なくとも、この本を読んで「親殺しの倫理」に両手を上げて賛成する人はいないだろう。母殺しのバット少年に、ヒカルの姿を見る人はいない。誰もがバランス感覚に溢れた確立された個の良心を持てるわけではないのだ。果たして、それが逆説的な選民思想であるなら、地球人のほとんどは死に絶えなければならない。朧の宗教によって加速するのか、それとも生まれ変わるのか。この本は、その作業に加担していないだけ薄味になってしまったのだ。どうしても物足りない。萬月さんの次なる展開に目が行ってしまっているから。

 話があらぬ方向に向かってしまったが、いかにも萬月さんらしいロードノヴェルである。でもね、筋金入りの萬月マニア以外は読む必要ないと思うのです。芥川賞前後の萬月さんの入門書としては『ぢん・ぢん・ぢん』を超えないし、現在進められている悪魔的作業にも加担していないようだから。

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紙の本

紙の本王国記

2001/06/16 10:07

ゲルマニウムから始まった悪魔的作業の第二弾

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 ため息を漏らしつつ感想を書いているわけだが、これは芥川賞受賞作『ゲルマニウムの夜』から始まった、萬月さんの壮大な長編小説『王国記』のごく一部である。既に『王国記』というタイトルが冠せられているが、『ゲルマニウムの夜』を第一巻とすれば、第二巻というところだろう。連作短・中篇がいったい何篇集められて『王国記』が完成するかは予測もつかない。

 この本に収録されたのは中篇が2作。「ブエナ・ビスタ」と「刈生の春」である。「ブエナ・ビスタ」を読み始めて面食らってしまった。一人称は問題ない。でも自身を「私」と呼ぶコイツは誰だ? 朧なら「僕」のはず。。えっ?!赤羽さん??? ああ、『ゲルマニウムの夜』(正確には「王国の犬」)で朧に向かって、王国を目指せと言った修道士か…。なるほど朧と赤羽の会話の端々に、いずれ興すであろう宗教の教義のようなものの萌芽が見え隠れする。全く創造主の行いは、“退屈な連鎖”なのか“培養”なのか。それにしても、朧をたじろがせる赤羽の今後の役割が気になる。

 「刈生の春」で描かれるのは生命であろうか。タイトルに使われている「刈生」は意味不明。調べてみたけどわからない。勉強不足で恥ずかしい限り。刈って後生む、そんな意味だと思う。萬月さんの造語かもしれないけど。「ブエナ・ビスタ」で朧が赤羽にこんなことを言う。「たとえば僕がひとり殺したとします。それから女の人を犯して新たに生命を誕生させたとします。僕の殺人は許されますか」 刈生…。こんなことを言う朧が、ヒヨコを殺戮した黒猫をどうするか。たった2cmの凍りついた牧草を刈る。まったく神の気まぐれ。朧の足掻き。

 この2編では、朧のカリスマは全く描かれない、と言うか感じられない。『ゲルマニウムの夜』で吐き気をもよおす程だった暴力描写も鳴りをひそめたまま。地味で思索的。潜伏期なのだな。前作で既成の宗教はみ〜んなぶっ壊したから、この巻では新たな哲学・宗教の萌芽が描かれる。でも一冊の単行本として読むと、前作よりもかなり落ちるかもしれない。あまりに混沌。でも、これはしょうがないのだよ。さ、これからだ>萬月さん。

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紙の本

紙の本守宮薄緑

2001/06/16 10:05

豊穣な花村文学を予感

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 萬月さんの3冊目の短編集にあたる。収録作品は、
「崩漏」「守宮薄緑」「核」「裂罅」「穴があいている」「犬の仕組」「らん斑(「らん」の字は文へん?に門構えの中に東-出ません)」の7作。どれもこれも力作ぞろい。1995年から1998年にかけて「小説新潮」に書かれたものをまとめた(例外1作)ものだ。
 
 萬月さんは見も心も純文学の人なのだな。『ゲルマニウムの夜』の芥川賞受賞で、“うっそぉ〜”と思った人も、これを読めば異論はないはず。凝縮された萬月さんの小説世界が、一種異様な熱を帯びて展開されている。読後感は純文学そのものなのだ。生きること、愛すること。羞恥心からか一見悪ぶってはいるが、無垢で純真な交情に涙が止まらない作品まであった。萬月さんの作品で涙を流したのは初めてかもしれない。その「崩漏」、そして「裂罅」あたりがぼくの好み。いつもは饒舌な萬月さんだが、抑制の効いた精緻な文章で「生」と「性」を描ききっている。まぎれもない純文学の傑作短編集だ。

 「らん斑」について一言。萬月さんはエッセイの中で、いつか父親のことを書きたい、と言っていた。これが、その一篇なのだろうか。萬月さんに是非聞いてみたい。この正味7ページの短い物語の凄みは他を圧倒している。エッセイを読んで、萬月さんと父親のことについて少しだけ知っていたから感じたわけではない、と思うのだけれど。

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紙の本

紙の本二進法の犬

2001/06/16 10:04

手に汗にぎるギャンブルシーン

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 花村萬月が常に語っているキーワード「羞恥心」と「自尊心」を巡る哲学が更に一歩進んだようだ。尤もより鮮明に見えたのは、それらを重んずる(と思われる)ヤクザの世界で描かれているからかも知れないが。
 二進法とはいわずと知れた0と1。在るか無いか。白黒をはっきりとつける博徒の世界で、組長の娘とその家庭教師の愛を軸に物語は進む。

 少々失礼を覚悟でいうなら、今まで萬月作品に接する時ストーリー展開になど目を向けた事がなかった。その場面場面でのシチュエーションがおもしろく、際立った人物造形の人間同士のやり取りが最大の魅力だったのだ。が、この物語はどうだ。構成がしっかり組み立てられ、さりげなく伏線まで張ってある。若干の驚きさえ覚えてしまった。見事な人物造形に加え、盤石なストーリー展開が加われば鬼に金棒。萬月哲学の今後の行方も含めて目が離せなくなった。

 印象深いシーンが連続する萬月作品で最高のシーンといえば、『ブルース』で綾のバンドと村上とのセッションシーンであると思っているが、この作品のギャンブルのシーンはそれに勝るとも劣らない。オイチョカブ、ポーカー、手本引き。手にあせ握るとはこのこと。ニヒリズムのリアリズムか。。

 この作品は愛の物語であり、成長の物語であり、家族の物語であり、友情の物語でもある。これらのエッセンスをただのごった煮でなく、それぞれに際立った味わいを残したまま、更に深まった自己の倫理哲学を折り混ぜて萬月は最高傑作を生み出した。倫理哲学に関していうなら、哲学というより宗教に近くなったんじゃないだろうか? 思索はより平易な言葉で語られ、『鬱』で感じられた自分勝手さは微塵もない。カリスマを望む姿も宗教を思い起こさせる。
 いやいや、、萬月さん、あなたこそ時代のカリスマなんですよ。

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紙の本

紙の本ぢん・ぢん・ぢん 上

2001/06/16 10:01

萬月さんは圧倒的パワーで羽化した!

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 萬月さんの作品を読むたび、その圧倒的なパワーに腰を抜かしていた。凄まじいばかりの破壊力。ぼくは萬月さんの作品を読むとき、物語の展開がどうだこうだなどとは考えない。その迸るエネルギーに触れたくて萬月さんの本を手に取っているのだ。
 最近の萬月さんは水を得た魚のごとき印象がある。『鬱』では、奔放で暴力的ともいえる言葉の洪水で読者を溺死寸前に追いこんだのだが、その機関銃のような観念的な言葉の連射は、羽化寸前の蝶のような状態だったのだと思えば納得がいく。
 
 この作品では思索は更に深くなり、性描写は更に文学的になった。羽化したのだ。『ブルース』などの作品によく登場していた「青臭い」というセリフは、作者自身の哲学的思索、言いかえれば純文学志向に対する照れ隠しだったんじゃないかと思わせてしまう。それは、決して青臭くなくここに結実している。水が流れるがごとく思索しつつ、これほどの傑作を生み出した萬月さんはやっぱり天才なのだと思う。

 それと忘れてならないのは、萬月さん描くところの人物たち。これだけ魅力溢れる登場人物たちを紡ぎだす萬月はホントにすごい。一時、萬月さんを評して物語の展開力が無い、などと批評をする書評家がいたが、見当はずれもいいところ。当時から萬月さんは登場人物の魅力で読ませてしまう稀有な作家だったのだ。

 ぼくは萬月読者としては遅いほうで『ブルース』が初萬月。ずっと『ブルース』が最高傑作と信じてきたが、ここにきてやっと比肩する作品に出会えた。感激している。やっかいだったのは、読書中労働意欲を奪われてしまっていたこと。あまりに深い思索は労働に結びつかない。身をもって体験させられてしまった。俺もまだまだ若いぞ、とほくそえんでいる自分が居たのも事実なのだが。

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紙の本

紙の本皆月

2001/06/16 09:58

現在の萬月さんは、ここからはじまった

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 主人公は40歳のパソコンオヤジ。ある日帰宅してみると1,000万円の貯金と一緒に妻が消えてしまっていた。自暴自棄になったオヤジと義弟のヤクザ者との共同生活が始まって、オヤジは自己を再発見していく、、というような物語。

 読み始めたらすぐ物語に引きずり込まれるんだけど、どうも雰囲気が違う。どうしてかな? と思ったら一人称じゃないか! 萬月作品はこれが13作目だけど初体験。オヤジの視点で、しかも「私」だから困った。。冒頭からはなんだか普通の小説っぽい。感情を抑えた筆致とでもいえばいいのか。淡々としている。ヤクザ者のアキラが登場して、物語が転がり始めても変わらない。結局、最後まで淡々としていたのだ!! 
 
 考えてみれば、主人公は普通のサラリーマン。妻に逃げられて会社を退職したとはいえ、一流会社で橋梁の強度計算をしていた人間。萬月が忌み嫌ういわゆる「小市民」である。その「小市民」が最たるアウトローである「ヤクザ」と接点を持ち、自己を再発見していく。非常に皮肉たっぷりな作品といえるかもしれない。言いかえれば、アウトローと接することによって、「羞恥心」と「自尊心」に目覚めていく姿が「小市民」側から語られるわけだ。そして最たるアウトローのヤクザ者アキラを小市民が理解してしまう。これは、コペルニクス的転回と言えるんじゃないだろうか。誰もが心に隠し持っているであろうアウトロー的な部分。そこにスポットを当てたこの作品は、花村萬月という作家の間口を大きく広げたような気がしてならない。
 この作品は第19回吉川英治文学新人賞を受賞した。 

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紙の本

紙の本触角記

2001/06/16 09:55

『ぢん・ぢん・ぢん』のイクオの原型?

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 完結していないと思うのだけれど…。萬月さんがエッセイで何度か言及している小説『たびを』ってこの作品のことじゃないだろうか。スーパーカブで全国を回る物語だそうだから、この作品のことだと思うのだけれど。残念ながら、本作では旅に出るところで終わっている。序章のみで一冊の本にしてしまったかのような印象。それなりにおもしろかったのだけれど。

 主人公次郎は萬月さんそのものでは? 邪推してしまうのだが、ギターテクといい、絵といい、萬月さん自身が特に色濃くでている人物のように思える。
 『ゲルマニウムの夜』の朧の原型が、イグナシオと言っている人もいるらしいが、その路線でいうならば、『ぢん・ぢん・ぢん』のイクオの原型を、本作の主人公次郎に見ることができるかもしれない。ちょっとしたカリスマ性。女性遍歴。女性を通して学ぶ哲学。もちろんイクオのそれとは比較にならないのだけれど、学ぶ姿には非常に共通点が多いと思う。いずれにしろ、萬月さん自身の色が濃いのは間違い無いと思うのだが…。

 当時の萬月さんを、エロ作家みたい、と言う人もいたが、これだけ読めば無理はないかも。年上、同級生、そしてなんと母親。萬月さんの小説で近親相姦ははじめて読んだような気がする。
 血縁による親子関係を否定する萬月さんだが、眠る母の顔を「デスマスク」にたとえる次郎の思索に、否定する理由を見たような気がした。 

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紙の本

紙の本狼の領分

2001/06/16 09:54

生きるも死ぬも自然の摂理

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 1991年に刊行された『なで肩の狐』の続編だ。物語は前作の直後から始まる。残念ながら、前作を読んだのは遥か昔なので記憶が定かではない。溶けきった記憶を辿れば、ムードが前作とはかなり異質なような気がしてくる。もちろん定かではない。そのうちに『なで肩の狐』を再読するつもりなので、読了後には感想を書き返る可能性もあります。

 異質なムードの原因は白神山地にあるかもしれない。作者のまえがきでも触れているが、この物語が刊行される前の年1993年に、萬月さんは「旅」誌の取材で北海道の天売(てうり)、焼尻(やぎしり)の両島に渡っている。この模様はエッセイ『笑う萬月』に「島へ」というタイトルで掲載されているので興味のある方はどうぞ。曰く、人間は、本質的に不自然な存在である。萬月さんはこの紀行文でもはっきりと言明している。

 本来、不自然な存在であるはずの人間なのだが、古来より自然と共存していた「山の民」と呼ばれる人々がいた。木常は札幌で「山の民」の末裔と知り合い、共に彼らの住みかであった白神山地を目指すことになる。いったん都会生活を経験した「山の民」が自然回帰を目指すわけだ。さて、これは受け入れられるのか。狼の領分とは果たして何か。木常たちを追う者も白神山地に入ってくる。圧倒的大自然の中で、主人公木常らは生死をかけて戦いを繰り広げるのだ。

 淡い諦観が漂う。諦観じゃないか…自然の摂理か。生きるも死ぬも自然の摂理ならば、死して土に帰るのは当然といえば当然。一見残酷な萬月さんの処置は何度も繰り返して語られている通り、自然の摂理なのだ。これは、萬月さんが確立を目論んでいる「新たな倫理」の根幹を成す哲学かもしれない。

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紙の本

紙の本セラフィムの夜

2001/06/16 09:51

ならず者のよりどころ

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 最近読んだエッセイ集『笑う萬月』に、この作品についての項があった。タイトルは「ならず者のよりどころ」。「愛国心は、ならず者の最後のよりどころである」という格言をもとに、ごく一般的な組織への帰属意識から、自己の存在に対しての哲学的な問いかけにまで言及している。「私は誰か?」。この永遠の命題について、本作では萬月さんなりの答えを出している。萬月さんなりというより、普遍的で明快であたり前過ぎる答えという方が適切かも。でも、このあたり前の答えを前にして、解説の薄井ゆうじさんじゃないけど、救われる思いがしたのは事実なのだ。

 哲学的テーマだけじゃなく、ストーリィも非常におもしろい。人物造型が卓抜なのはいつも通りだが(韓国人の殺し屋がすごい)、萬月さんの作品では類を見ないほど筋立てがきちんとしているんじゃないだろうか。女としてのアイデンティティを揺さぶられる女と、日本人と韓国人の境界で揺れる男の逃避行の物語。途中に大きな地雷が仕掛けられ、読む者の目を釘付けにせずには置かない。

 やれ純文学だ、やれエンターテイメントだ、と区別するなんて無意味だと思うけど、この作品は間違いなく純文学している。テーマはもちろんのこと、登場人物ひとりひとりが文学的で深い。それなのにこれは間違いなくエンターテイメント小説なのだ。まったく萬月さんは大変な作家だ。ただし、サービス過剰の面もかなり感じられて、思いっきり純文学してしまえばよかったのに、、などと言わずもがなのことを考えてしまうのだ。

 最後に、気になったことをひとつ。表記のことなのだが、「韓国人」と「朝鮮韓国人」と2種類使われていたがどうしてでしょう? 萬月さんは常々「朝鮮人」と言いきっていたと思うのだけど。。ぼくの読解力不足で両者の違いを読み落としたのだろうか。それとも出版社の校閲と萬月さんが戦った跡なのだろうか。。謎。

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紙の本

紙の本風に舞う

2001/06/16 09:50

タイトルの通り、風に舞ってしまった

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 そういえば…この本を読みながら思い出した。1992年に『ブルース』で感激した後、『真夜中の犬』がまあまあ、次に読んだ『月の光(ルナティック)』があまりにひどくて、その後しばらく萬月を読む気を無くしていた。『月の光』が1993年4月。この物語は1994年6月。スランプだったのかもしれないな、、萬月さん。

 トップの座を捨てたミュージシャンと女子大生作家の恋の物語。連作で短編が6編なのだが、、うぅ〜ん、、どうもアンバランス。後半の2編はさすが、とうならせる箇所もあるのだが、萬月さんのブルースってこんな薄っぺらだったの? なぁ〜んて問いたくなってしまう。『ゴッド・ブレイス物語』や『渋谷ルシファー』で見せたブルーススピリッツはここにはない。これは主人公の設定に原因があるんじゃないだろうか。主人公武史の小市民っぽさがうまく描写されていない。最後の2編あたり、興味の的は武史が壁をどう突き破るか、なのだが、これもなんちゅうか…。

 タイトル通り、物語も風に舞ってしまったようだ。。

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