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塩津計さんのレビュー一覧

投稿者:塩津計

1,449 件中 31 件~ 45 件を表示

ここに泉あり(小泉竹中を陰で支えたコンテンツクリエーターは東大理学部数学科卒の天才財務省マンだった!)

31人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

小泉改革・竹中改革は当初マスコミでボロクソに叩かれた。曰く「丸無げ」「中味が無い」「郵政民営化なんて重要でない」「道路公団改革は失敗だった」「欧米に日本を売り渡す国賊」...ところが賢い日本国民は小泉竹中を一貫して支持し続け、ついに天才政治家小泉純一郎をして「政界の奇跡」と言わしめた郵政民営化は実現してしまう。小泉が国民に惜しまれつつ首相の座を去り、安倍晋三が首相についたあたりから、実は一連の改革の陰にとんでもない切れモノの政策マンが小泉竹中の背後に知恵袋として存在していたことが、徐々に霞ヶ関から漏れ伝え聞こえてきたのである。その「とんでもない切れ者の知恵袋」こそ、本書の著者。高橋洋一さんである。高橋さんは東大数学科卒で財務省に入った変り種だが、既に中学生の段階で大学入試レベルの数学問題がスラスラ解けたので、高校に上がったときは数学の先生から「君は免許皆伝。高校数学の授業には出てこなくて良い」と言われたんだとか。「でも東大数学科にきている連中って、そんなのばっか」ですよとは高橋さんの弁である。

で、本書である。高橋さんの政策路線は明解だ。「これまで日本は高度成長の中をひた走ってきた。日本経済が高度成長を続ける限り、国民が弱者の為にばら撒き政治を続けることが出来た。しかし、日本の高度経済成長時代は過去のものとなった。こうなると政府は、何でもかんでも国民のおねだりを聞く優しいパパを演じ続けることは出来なくなる。国民を何時までもシャブ漬けにして甘えさせるのをやめ、市場原理にのっとって突き放し、できるだけ国民の自助努力に任すようにすべきだでないと財政は破綻する」というものだ。郵政が24万人もの公務員を抱えてなぜ経営が成り立っていたかというと、財政投融資という仕組みの中で、国債より0.2%高い金利を大蔵省理財局が郵貯に支払っていたからだという。0.2%といっても郵貯が集めた金額は500兆円もあったので、その差額は莫大なものとなり24万人の人件費を払って尚、ありあまる資金を郵貯は享受できたんだという。そして財務省は国債金利に0.2%上乗せした高利の資金を特殊法人に貸し付けたが、特殊法人は国から税金の投入を受けていたので難なくこの高利資金を予定通り返済してシステムは回っていたんだという。何のことは無い。国民の税金負担で24万人の郵便局員と、特殊法人に巣食う莫大な数の天下り公務員とこの構造に巣食う郵政族なる政治家たちが衣食していたのである。だからこそ、小泉の郵政改革は当初猛烈な反対にあったわけだが、国民の目線に立てば、優勢民営化は当然のこととしてやらねばならないことであったことが高橋さんの説明ですんなり分かるというものである。

特別会計に潜む70数兆円もの剰余金(いわゆる霞ヶ関埋蔵金)を探り出したのも高橋さんである。この埋蔵金を最も溜め込んでいたのは、なんと高橋さんの古巣財務省だった。財務省は二言目には「増税が必要だ」の大合唱だが、自分の手元には自分たちで宜しく操作出来る「おさいふ」をなんと50兆円ちかくも隠していたのである。これも当初は与謝野馨を前面に押し立てて「埋蔵金など無い」などと白を切ろうとしたが、あるものはあるわけで、やがて財務省側の全面降伏で幕となった。複雑怪奇な特別会計の数字を解きほぐしながら、やがて財務省が国民に黙って溜め込んだ数十兆円の存在を突き止めたとき、高橋さんは数学の難問を解いた時と同じように「解けた!」と快哉を叫んだそうである。この言葉は実感であろう(何を隠そう、私も高校時代は数学で鳴らしたくちなので高橋さんの言葉には共感できる)。

道路公団改革の陰にも高橋さんの姿があった。道路公団民営化で当初問題となったのは、道路公団が債務超過か否かという点であった。債務超過であれば道路公団は民営化なんて出来なくなる。公団側が持ち出したのは「簿価」ベースの数字で何とか公団は自らを債務超過として民営化を回避しようとした。潰そうとした。それに待ったをかけたのが高橋さんで、世界一高い高速道路料金を徴収している公団の資産を数十年前の簿価で評価するのが果たして妥当かという論点を持ち出して「収益還元法」による資産再査定を持ちかけたのである。猪瀬直樹の背後にも、実は高橋さんの存在があったのである。

本書と関岡英之、あるいは小林興起の著作を読み比べて欲しい。彼らは郵政民営化はアメリカの言い成りになった小泉の亡国の政策だとあらぬ言い掛かりをつけていた。曰く、郵貯が民営化されれば日本国民が溜め込んだ虎の子の貯金は全部アメリカ人に吸い上げられる云々。実際、そんなことは起きたか?起きたのはむしろアメリカにおける金融破綻だったのではないのか。特にこの本はアホナ主張を繰り返した反米論者達のカタログの様相を呈している。ウソをたれ流した連中が一体誰だったのかを味わうには格好の書である。

世の中は利害関係で成り立っている。従って各勢力は己の利害を守るため日々情報戦を展開している。マスコミもこの利害関係者とタッグを組んでいるので、我々国民にはなかなか本当のことが伝わらない。しかし、日本のいいところは、時として己の利害をむなしうして、ただ公の為に殉じる「変人」が出てきて世の中を変えてしまうことである。大久保利通しかり、原敬しかり、小泉純一郎しかり、そして本書の著者高橋洋一さんしかりである。

何時の世も「知に働けば角がたつ」もので、これだけ正しいことをした高橋さんは、最後は財務省全体を敵に回し「死刑にしてもあきたらない」とまで恨まれるようになってしまった。それでも高橋さんは飄々としている。全く公開なぞしている気配すらない。捨てる神あれば拾う神ありで、塩川正十郎さんが理事長を務める東洋大学に教授として迎えられることが決まったようである。日本もまだまだ捨てたものではない。

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これは凄い!

21人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

大宮の鉄道博物館に行って来た。これは凄い!何時の間にこんなとてつもないシロモノをJR東日本は作ったんだ!まったく恐れ入りました。これは、日本が世界に誇れる巨大鉄道博物館です。私が子供の頃、鉄道博物館といえば秋葉原のガード下にある博物館だった。「機関車やえもん」を読んだことがきっかけで、あの博物館に最初にいったのは幼稚園の時だった。そのときは非常に巨大な博物館に感じられたものだったが、大人になっていってみると「これが、あそこ?」と思うくらい、狭くてちんけな博物館だった。それが先年閉鎖されたときは、一抹の寂しさを感じたものだった。しかし、しかしである。JR東日本は、ちゃんと手を打っていたのである。さすがである。秋葉原でさえ幼稚園児には巨大な博物館に見えたのだから、大宮の今度の博物館は、もう、地平線の彼方まで続いている広大な巨大博物館と感じられることだろう、今の幼稚園児には。HOゲージの鉄道模型も凄い。レールの長さが25メートルもある。これならスタンドに座って双眼鏡で全体を見ないと分からないくらい巨大だ。民営化していなければきっとこういうことは出来なかったであろう。この秋、絶対おススメの新観光スポットが大宮に出来た。11月の連休には大宮に向かってレッツゴオオオオオオオオオオオー!

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コルホーズ、ソホーズ、人民公社

19人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私が東京都立国立高校の1年生だったとき、地理Aの授業で「日本の農業は遅れている。やはり農業の生産性を向上させるには農業の集団化を推し進めねばならない。ソビエトを見よ。農業を集団化させ農業生産の拡大に成功している。そのシステムの中核を担うのがコルホーズで、更に進んだ進化形がソホーズだ。中国には同様の形態として人民公社がある」と習った。そのソ連は崩壊、中国は社会主義農業を放棄し、土地の使用権を自由化した。中国は実質的に農地の私有化を認めたところ農業生産が劇的に拡大したという。ベトナムでもドイモイ政策なる自由化政策が推し進められ、なんのことはない、ベトナム農民に笑顔が戻ったのである。ロシアだけはそうはならなかった。ロシアでは農業の集団化という間違った農業政策が70年近く行われた為、ロシアの大地を知る「農民」は絶滅し、どこで何をどう耕作したらいいか、もはや誰も知らないのがその原因であるという。農業の集団化とは実質的な奴隷制で、「今日はあっちを耕せ、今日はここへ種を蒔け」と指図される。農業とは自分の土地に丹精こめて作物を植え、育て、刈り取るから楽しいので、他人の指図に従って他人の土地を耕すのでは、これはただの奴隷制である。こうしてロシアの「農民」は農業に興味を失い、共産化する前は小麦の輸出国だったロシアは食糧の輸入国に転落した。要するの「アカ」の教師は、我々に全くの出鱈目・ウソを教えていたのである。本書にはスターリンが実施した農業の集団化が如何に悲惨な結果をもたらし、とくに被害がひどかったウクライナでは大規模飢饉が発生し、700万人を越える大量の餓死者が出た模様が克明に描かれている。なんともひどいことをスターリンはしたものである。また、それを知ってか知らずか賞賛した日本のアカもアカだ。共産主義は「正義」の体系である。正義を信じるものは黒も白だと平然と言いのけて恬として恥じることがない。実に恐ろしきは「正義」なのである。

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紙の本戦後教育で失われたもの

2006/12/16 18:16

安倍首相、森口朗さんを教育改革のアドバイザーとして政府に迎えるべきです!

21人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書のメッセージは明解だ。サヨクが牛耳った日教組が行なってきた戦後教育改悪の真逆をやれば、日本の教育は少しはマトモに成るだろうというものだ。読みながら何度も何度もうなづいた。電車の中で読みながら、思わず「そうだよ、その通りだよ」と叫びそうに何度もなった。以下、要点を整理しておく。
◆「己」を知る謙虚さ
学校で成績順位を発表しなくなって既にひさしい。なぜサヨクどもは学校での受験競争を否定しエリート校潰しに躍起になったのか。林望「返らぬ日遠い昔」によると「全ての人間は一握りのエリート頭脳労働者と多くの単純労働者に分類され、古典的な意味での階級社会のようなものが実現する」からだというまことに滑稽なものだった。本書は受験勉強・偏差値を通じ、己の位置を正確にすることが子供の将来にとって非常に重要であると繰り返し述べている。同感である。
◆宿命を受け入れる潔さ
昨今格差論ばうありであり。あたかも親の収入格差が子供の学歴格差に直結し、金持ちほど高学歴で子供も高学歴でビンボウニンは塾へもいけず学歴も墜落する一方だみたいな馬鹿議論が世の中を覆い尽くしているような感じである。しかし森口さんはこうした浅薄な議論を言下に否定する(金持ちの子供は必ずしも勉強が良く出来るわけではないことは慶應幼稚舎の生徒達のその後を追跡するだけで十分証明出る)。森口さんは「一番重要なのは親の教養レベル」であり「子供のレベルは親のレベルに比例する」と言い切る。これも同感である。成績優秀者がどんなところにおおいかといえば、「官僚の子弟」「銀行員の子弟」に多い一方、馬鹿がどこに多いかといえば「大規模商店街に住む商売人の子弟に多い」とのご託宣。これも私の経験に正確に符合する。私は国立市で育ったが、駅前商店街の子弟(特に飲食店の子弟)は本当に成績が悪かった。だから私は住居を選ぶとき、子供の学区域内に商店街がないことを条件としたのである。
◆不条理を生き抜く図太さ
社会は不条理なことで満ちている。小さな不条理を学生にうちに経験し免疫を作っておくことは非常に重要な経験である。その意味で「いじめ」を学生にうちに経験しておくことは非常に重要なことでる。いじめはどこにでもアル。住宅街にもあるし、会社にもある。それを学生のうちに経験しておくことは、社会で生きていく上での大きな知恵、免疫力、生命力を涵養する上で極めて重要なのだ。だから重要なのはいじめを無くすことではなく、犯罪に至らない程度の「いじめの手加減」を子供達の間に徹底させることだと私も思う。こういっても分からない奴がいるようなので教えてやるが、犯罪にいたるいじめとは脅迫、金品のゆすり、身体的に支障がのこるような暴力などを指す。跡が残らない程度の喧嘩(殴り合い含む)はむしろ子供のうちに経験しておいた方がいい。こういう喧嘩経験をしていな純粋培養馬鹿は、かえって大人になってから相手を殴り殺したり線路に突き落としたりしてしまうのだと私は思う。
◆日本人であることの誇り
これは言うまでも無いだろう。一日も早く全国全ての小中学校から高校大学まで入学式卒業式には日の丸を掲げ、君が代を斉唱し、卒業式には「仰げば尊し」を一番二番三番と全て斉唱する、こんな正常な姿になってもらいたいものである。

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全共闘、全学連、丸山真男、吉本隆明...みんな馬鹿だったんじゃないの?

24人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私は全学連運動とそれに続く全共闘運動というものがまったく理解できないでいる。現代の民主主義社会では、いかなるご不満があろうとも、暴力に訴えてその不満を晴らすことは許されていない。暴力に訴える不埒な奴は、直ちに警察のご厄介になるのが社会の共通のルールであり市民社会は警察という「飼いなさらされた暴力装置=市民社会の安寧を守る装置」によって守られているのである。ところが全共闘全学連は公然と社会に挑戦した。これを警察が粉砕したのは当然なのである。よくサヨクの連中は市民社会と国家権力=警察を敵対関係に置こうとする。これはその発想からして間違っている。警察が暴力を行使できるのは、それを黙認する「声無き声=大多数の市民」の存在があるからこそなのである。この構図は50年前も今も変わっていないはずであると私は信じている。戦後、吉田茂は日本をアメリカを旗頭とする自由主義陣営の一員とするという政治的選択をした。米ソ対立という冷戦構造の中で、この選択は明らかに正しい選択であり、その証拠に日米同盟を基軸とし大量のアメリカ軍を旧日本陸海軍の基地に常駐させるというコストを支払いつつ、日本は未曾有の繁栄を遂げることが出来たのである。ところがここに私が列挙した連中、丸山真男・吉本隆明・全学連・全共闘の連中は私とは正反対の主張をした。対米従属を克服し、マルクス主義を礼賛した。全学連・全共闘という存在が私にはまったく理解できないでいたが、本書を読んで少し理解できた。要するに議会制民主主義を前提とし、議会を通じてマルクス主義を実現しようという日本共産党の主張を「生ぬるい」と批判し、学生主導の暴力革命を主張したのが全学連(の一部)であり全共闘だったということだ。そうだとすると日本共産党も性質が悪いが、全学連全共闘は議会制民主主義を否定し暴力を是認するという点に置いて「ナチスどころか津田先生を糾弾した急進右翼」よりもひどい存在じゃないか。こういう日本社会の憲法秩序を根底から脅かそうとした連中は「破防法」の適用対象ではないかとすら思ってしまうがどうか。私は全共闘全学連を「甘ったれ小僧」と何度も書いた。著者の竹内さんもP.262で反米主義に傾斜した全学連全共闘運動を「養父たるアメリカからの旅立ち」と表現している。そうなのだ。戦後の学生運動とは意味も無く(養)父に反抗する「反抗期の甘ったれたティーンエイジャーそのもの」だったのだ。私の見立てと竹内さんの分析が一致したのを確認し、少しうれしかった。それにしても分からないのはマルクス主義にシンパシーを感じたり礼賛したりするという、明らかに間違った政治的選択をした丸山真男・吉本隆明・全学連・全共闘関係者らが、今に至るまでまったく反省を口にしない点だ。「私の判断は間違ってました。正しいのは自由民主党でありアメリカでした」となぜいえないのだろう。丸山真男は1996年に死んだが、死の間際まで北朝鮮を支持していたという。なぜ北朝鮮が怪しい国だと感じなかったんだろう。なぜソビエトという体制が「おかしいぞ」と思えなかったんだろう。どうして「文化大革命はおかしいぞ」と思わなかったんだろう。わからない。欧州ではハンガリー動乱でのソ連軍の非道振りを見てソ連に失望し、変わって社会民主主義が勢力を広げるのだが、日本では日本共産党の地位は揺るがず、それよりも更に過激な全学連全共闘が幅を利かせ続けていた。いまだにマルクス主義を「間違った思想」と認めきれない人の書評も散見される。人間というものは知的な意味に置いて正直になることは、やはり困難なのかなという疑問は、本書を読んでも晴れてはいない。

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北朝鮮の異常さ、朝鮮総連の異常さ、北朝鮮に擦り寄るノムヒョンぬらりひょん政権の異常さ

18人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

まさに「勝負あった!」という感じではないか。金正日によるミサイル連射で日本人の92%が「北朝鮮に対する経済制裁を支持する」事態とあいなった。この期に及んで尚、北朝鮮との連帯、北朝鮮に擦り寄るノムヒョンぬらりひょん大統領を支持するのは勝手だが、すればするほど己が如何に孤立しているかを思い知ることになるだろう。それにしても宝島社が出した「嫌韓流の真実!」シリーズといい、彩流社が出している「嫌韓流」シリーズといい、何と先見の明があった情報書であったことか。軽薄で浅薄な「韓国人との連帯」が、如何に滑稽で迂闊なことかを我々に教えてくれた。これらの著作は、何度も強調しておくが、いたずらに韓国人を敵視せよ、蔑視せよなどと主張しているものでは無いということだ。あくまで「韓国人、北朝鮮人の真実の姿を直視せよ」「彼らが抱える暗黒面も十分知悉したうえで、韓国人・北朝鮮人との関係構築に向え」というものなのだ。北朝鮮が、いよいよ発狂し始めた。ミサイルを何発海にぶち込んでも何の反応も得られないと知った今、奴らに残された手段は、いよいよ日本本土にミサイルを直射することくらいしかなくなってきている。そのミサイルが私の頭上に落ちてくるのは御免蒙りたいが、ある意味で、北朝鮮による日本本土攻撃は日本国民を覚醒させ、日本を正道に戻す号砲となるに違いない。朝日新聞とAERA、その他左翼の連中はミサイル防衛網構想が「おろかな金の無駄遣い」だとするキャンペーンを張り続けてきた。朝日の策動をあざ笑うかのように、政府はPAC3の前倒し配備を決定した。当然であろう。北朝鮮が、韓国が、一体どういう国なのかを知るには、本書は大いに役に立つ。間違いない!

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紙の本風の男白洲次郎

2006/04/23 20:39

恒産無くして恒心無し!平等社会からは決して次郎は生まれない。もし次郎みたいな男に出会いたかったら日本を徹底的な格差社会にしないとだーめよ。分かってるかなあ?

21人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

白洲次郎は大金持ちの家に生まれた。その富は、まず祖父の退蔵(1829-91)が築き、それを受け継いだ父の文平がありあまる富を更に巨富にした。文平は自らを「20世紀の商人」と号し、芦屋の超高級住宅地で普請道楽に明け暮れた。お金の使い道が分からなくなるほどお金がありあまっていたのである。その子、白洲次郎。傲岸不遜、生意気。親の財産を鼻にかけ、回りの子供すべては使用人か下男かと思うことが半ば当たり前の環境で育った。「名門」神戸一中に進むも勉強なんか全くしない。成績は中の下。中学生の分際で高級外車を乗り回す破天荒ぶり。ほどなく日本の学歴社会で落ちこぼれると両親は金にあかせて英国のパブリックスクールに「追放」されてしまう。当時の英国は全盛時代。ポンドは強い強い通貨だった。英国のパブリックスクールは全寮制。今でさえ、イートン校に通うには年間で700万円はかかる。それが大正である。おそらく1年間に3千万円は軽くかかったであろう。それを楽々出してしまう家に次郎は生まれたのである。それだけではない。日本の中学時代から乗り回していた自動車に英国でも乗りたいとわがままをいうと、父は英国の最高級車ベントレーをさくっと買い与えてしまう。ベントレーはロールスロイスと並ぶ英国の最高級車で今でも3千万円から1億円はする。今の日本でベントレーに乗っているのはヤクザか地上げ屋くらいで、要するに堅気の人間じゃ到底乗ることの出来ない超がつく高級車である。それを高校生の分際で乗り回していたのが次郎なのである。「恒産なければ恒心無し」というが、この言葉を地で行ったのが白洲次郎であろう。次郎にとって、この世に敵なぞ存在しない。常に自分が対象なのである。他人に対し「気遣い」なんかしたことがない。「こんなこといったら後々やっかいだから言わないで置こう」なんてセコイ考えが脳裏をよぎったこともない。だから軽井沢ゴルフクラブにやってきた田中角栄を怒鳴りつけることも出来るのである。大成建設や清水建設の社長・会長なら全盛期の角栄を怒鳴ることは愚か、意見することだって出来るわけが無い。大蔵省の役人だってできはしない。角栄のご機嫌を伺って日本人のほぼ全てが「恵比須顔」を作っていた時代のことである。それを次郎はやってのけた。どうして出来たのか。それは次郎が超のつく大金持ちだったからである。次郎みたいな「ジコチュウ」の権化みたいな人間は格差の無い平等社会からは絶対に出てこない。平等社会ではみなさん「どんぐりの背比べ」社会だからわずかの差が大きな意味を持ち、少しでも差がつかないようみなさん角を立てず敵をつくらない「いい人ゴッコ」を繰り広げることになるのである。「あいつは変わっている」という言葉は平等社会では非難の言葉なのである。次郎のような「変人」「傲慢」「ジコチュウの権化」みたいな奴をありがたがるのは、みなさんあまりに周囲の目を意識する「平目やろう」ばっかりだから、一種の無いものねだりで次郎みたいな「嫌な野郎」をありがたがっているんじゃないか。もし次郎が生きていて、あなたの隣、あなたと同じ会社、あなたと同じクラスにやってきたら、きっと皆さん徒党を組んで次郎を苛めようとするんじゃないか。いや、次郎の財産の前にやっぱり降伏して次郎の忠実な下僕になって「恵比須顔」を作っているのかもしれない。それが大方の日本人というところじゃないか?

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紙の本知的余生の方法

2010/12/03 18:42

東京一極集中のススメ

29人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

渡部昇一氏は言う。「老後は田舎で暮らそうなんて大間違いだ」と。そして「老人こそ、刺激の多い都会に住むべきだ」と断言する。私も本件については渡部さんに完全に賛成する。そもそも田舎には自然はあっても人はいない。俗に「人はおれども人は無し」という。功なり名遂げた人は、皆、東京に住んでいるのには理由があるのである。東京の都心には美術館もある。映画館もある。美味しいレストランもある(日本が獲得したミシュランの星はダントツの世界一で、その星の過半は東京にあるのだ)。美しい公園もある。それに、おお、素晴らしい大病院も沢山ある。老人は田舎になんかに住んではいけない。東京でも郊外ではなく、文字通り山手線の近辺、出来れば内側に棲まねばならないのだ。

田舎に永住しないまでも別荘を持ちたいと考える人も結構いる。これも「大間違い」と渡部氏はいう。別荘なんてものは金食い虫で、平素別荘の管理をしてくれる使用人を大勢抱え、たまに別荘に行っても掃除洗濯炊事の一切がっさいを彼らに任せられる大金持ちならいざ知らず、普通の人が別荘に行って、まず最初にやることは「掃除」だ。半年以上あけていた別荘を全員で大掃除し、カビをふき取り、人が住める状態に戻す。戻した後、今度は何をするかといえば買いだしだ。休みに来たはずなのに重労働を強いられた挙句、ようやく住めるようになったら、もう夏休みは終わりで自宅に戻るはめに。これが別荘生活の実態である。夏涼しい高原の避暑地は冬にはとてつもなく寒くなる。そんなところで無理して冬を過ごすと光熱費がとてつもなくかかる。住まなければ住まないで、底冷えがするエリアでは水道管が破裂したりする。別荘とは、まったくとんでもない金食い虫なのだ。こんなことにコストをかけるくらいならエアコンを良いものに変えて都会の自宅の快適度を増すべきだと渡部さんはいうのである。

故郷の友などと言うが、50年以上あっていない連中と、今さら会って、何を話せというのだ。進んだ高校も違えば大学も違う。気の遠くなるような学歴格差が生じたということは、生涯所得も全然違い、興味関心も生活水準も全然違う、文字通り別世界の人間になっているわけだ、幼名なじみの大半は。こんな連中と数十年ぶりにあっても、話題は合わないし退屈なだけだ。会ってもお互い気詰まりだろう。つまり田舎になんか帰っても、そこに癒しなんかないのだ。この部分は本書を読んで本当にその通りだと思った次第である。

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かわいそうなアメリカ兵

27人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

本書は、あの偉大なるジャーナリスト、デービッド・ハルバースタムの最後の作品である。私は彼のほぼすべての著作を買い集め、その大半に目を通している。本書も原書が出て、すぐ購入し、読破した。

本書を読むと、第二次大戦が修了した後、アメリカという国が、如何に太平楽に世界を考え、平和主義、平和志向で固まっていたかがよくわかる。何しろ日本の帝国陸海軍相手に激戦を戦い抜いたベテランたちの大半は本国に引き揚げ、日本の占領に従事した米兵のほとんどは実戦経験のない若造で占められていたというのだから。この若造たちの大半は「もう、戦争は終わった。戦闘に駆りだされることはない。日本に行けば、芸者ガールとよろしくやりながら給料がもらえる。日本では円の価値が安いので、アメリカでは味わえないような給士付きの王侯貴族の様な生活ができる」との触れこみを真に受けてやってきたような連中ばかりだった。実際、当時の米兵の暮らしは華やかだった。日本に持ち込んだ中古のアメ車は、引き揚げるときには日本でそのアメ車の新車価格よりも高値で売れたという話もあるくらいだ。私の実家は国立市にあるが、その近所に、常に門前に黒塗りの高級車が何台も停まっている広壮な邸宅があった。近所の噂では「日本政府高官の屋敷」との話がもっぱらだったが、蓋を開けれ見れば立川に駐留する米軍高級将校相手のパンパン屋敷だった。

その米兵たちに不運が訪れる。なんと予想もしていなかった朝鮮半島で、ロシアで軍事訓練を受け、ロシアから大量の戦車、戦闘機、武器、弾薬の支援を受けた金日成が奇襲攻撃をかけてきたのだから。全く予想していなかった北の攻撃を前にしてアメリカ軍は総崩れになり退却に次ぐ退却。ようやく釜山の手前、洛東江を防衛ラインにして、ようやく北の猛攻を米軍は押しとどめることに成功する。

それにしても不思議なものである。1970年代まで、日本では「朝鮮戦争北朝鮮による一方的な軍事侵攻によって始まった」という、今や動かすことのできない歴史的事実を言っただけで「右翼」「保守反動」扱いされたのだから。その中で、ほとんどただ一人「朝鮮戦争は北の侵略によって始まった」と真実を述べ続けたのは神谷不二先生ただひとりだったように記憶する。日本における「サヨク」とは、誠に度し難い連中である。

本書の最初の白眉は、この戦争の指揮をとったマッカーサーの人と成りに関する詳しい記述だろう。陸軍将校の長男として生まれたマッカーサーは、今でいう教育ママに育てられたマザコンの走りである。夫の出世が中途半端で終わったことに忸怩たる思いを抱く母親はマッカーサーを陸軍の星に育てるべく、文字通り母子密着で彼をそれこそ箸の上げ下ろしまで指導し続ける。偉大なる母に指導された息子は、「ママは理解してくれている」を心をよりどころに周囲との協調を潔しとしない傲岸不遜な青年として育ち、やがて周囲と数々の軋轢を引き起こす存在になっていくのである。このあたり、子育てという意味でも、なかなか考えさせられる部分が多い。

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農民栄えて農業滅ぶ。農本主義の神話を悪用して日本国民を愚弄するNO狂と志を失った農水官僚、農水族に任せておくと日本の農業は本当に滅んでしまう。そしたら食料は100%輸入に頼るしかない。食料危機が起きたらみんな餓えて枕を並べて討ち死にだ。それも、まあ人生だわな(笑

21人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

日本の農業を巡る議論には不思議なことが山ほどある。

「食料自給率が40%を切った。大変だ」という危機感を煽る報道が相次ぐ。聞けばコメの自給率は100%を超えているという。んなら水田を潰し、自給率が低い大豆、小麦、とうもろこしの増産を図るのが自給率を向上させる唯一の政策だと思うのだが、そんな話はちっとも議論されない。出てくるのはコメの話ばかりで「コメは一粒たりとも入れない」という自由貿易に反する話ばかりだ。しまいには石破農林水産大臣まで「おめーら、パンなんか食うな。肉なんか食うな。コメ食え」と叫びだした。

日本の農村風景も変だ。欧州を旅行すればすぐ分かることだが、欧州では農地と市街地の区分けがはっきりしている。都市は都市として整備されているが、一歩そこから抜けると延々と農地が続き、人家はまばらとなる。農地には人がほとんど住んでいない。いけどもいけども緑の丘が延々と続き、たまに森が現れ人家が散見されると、また延々と農地が続く。これが彼の地では当たり前の光景なのだ。日本は違う。東海道新幹線に乗ってみたまえ。田んぼ、畑、ビニールハウスが見えたと思ったら、倉庫、工場、人家と来て、また、田んぼ、畑、ビニールハウス、倉庫、工場、人家という光景が東京から名古屋まで延々と続くのだ。こういうのを国土の均衡ある発展というのだろうが、これだけ農地が細切れで誘致された工場が各地に分散配置されていれば、均衡ではあるだろうが、とても効率的とはいえないことが一目でわかる。

どうしてこんなことが起きるのか。その理由が本書に嫌になるくらい明瞭に書いてある。

戦後、農地改革という革命に近い農業政策で戦前の百姓の生活は一変した。それまで、ただの小作人として働かされていた農業労働者たちが、ほとんど只同然(10アールの農地が長靴一足程度の値段だったそうな)で農地を地主から払い下げてもらったんだから。これに戦後の高度経済成長が被さる。戦前、今の、大宮や川越といえば「蚤虱馬が尿する枕元」という芭蕉の句を地でいく寒村だった。当時都内の富裕な内科医の子として生まれ、当時としては珍しい自家用車で川越あたりをドライブした祖父江孝は車から降り立った洋装の母親のそばを顔を黒く汚し鼻から鼻水を垂らした裸足の農家の子供たちが何十にも取り巻いて、一言もはっせずずっと凝視している様をみて「私の母親は、まるで月面に降り立った宇宙飛行士のようだった」と表現している。戦前の東京の中産階級と農村部の貧農の間には、これだけの経済格差があった。しかし戦後、この状況は一変する。只同然で農地を手にし、今や土地成金に変身したかつての水のみ百姓達は困窮から脱出し、小金を手にした途端、農業に興味を失い拝金主義の虜となる。奴らは二言目には「先祖伝来の土地」と嘯くが、なーに戦前から自作農で地所を保有していたものなんてほとんどいない。

土地成金と化した百姓どもはあろう事か農業を蔑み侮蔑して農業外収入の獲得に勤しむようになる。これに農協がどういう態度をとったか。農協が何より重視したのは己の組織の利益であり、農協という組織を守るための政治的発言力の拡大であった。政治においては常に数は力である。農業を強くするということはやる気のある農家を選別し、そこへ農地を集約することを意味するが、こんなことをしては農家の絶対数が減少し、農協の売り上げも減り、農協の政治力も無くなる。日本の農業が強くなることは農協の利益に反したのだ。だから農協は戦後一貫してやる気のある能力のある農家の頭を押さえつけ、やる気もなければ能力もないが数だけは多い農業に半ば興味を失った兼業農家中心主義を取り続ける。農業に関心を失った兼業農家の最大の関心事は農地を如何に高値で売る抜けるかに集中するが、その不動産売却益は丸々農協に預金されこれが農林中金を中核とする農協金融のパワーとなって、むしろ農協のパワー増大につながった。だから農協は農地の転売を抑制するどころか、むしろ煽った。

これには地方地自体は地方議員も一枚かんでいる。評価の低い(固定資産税が取り難い)農地のままにしておくより、これを工場にするなりスーパーにしたほうが地方としては税金が沢山取れるのだ。だから地方は丸ごと農地転用に加担し、日本全体の財産である農地を次々と潰していったのである。

兼業農家が田んぼに出るのは週末のみだ。だから兼業農家の農業は農薬漬け、化学肥料漬けとなる。ここでも農協は莫大な利益をあげる。なんと農協経由の肥料の仕入れ値は同じ肥料メーカーが設定した輸出向け価格の3倍にも達したという。やる気の無い農家に法外な肥料を売りつけて、それでも農協がやっていけたのは国際価格の数倍の値段で米を日本を消費者に売りつけていたからだ。でも、こんなことが長く続くはずが無い。

農業にとって最も重要なのは農地であり、食料自給率を高めるには農地を確保することが何よりも重要であるはずだ。しかし戦後農協は一貫して農地の減反政策を主張してきた。米の需要が減少する中で、高い米価格を維持するためには耕作面積を減らすことが絶対に必要と農協は主張した。だから日本では農地はどんどん減少している。日本では農業に欠くことのできない農地が、それこそ農民自身の手によってどんどん処分され、転売され、耕作放棄されているのだ。1961年に609万ヘクタールあった農地は今や463万ヘクタール。その間、莫大な予算をつぎ込んで新たに造成した農地を差し引くと、実に260万ヘクタールもの農地が転売され農地ではなくなっているのだ。また現在の耕作放棄地は東京都の面積の約2倍の39万ヘクタールにも上るという。

言うまでも無いことだが、農地というものは農民だけのものではない。食糧増産、食糧安全保障という国民全体の利益があるからこそ、日本で農地や農業は様々な保護(税制他)を受けているのだ。だから本書が言う通り「長野県の農地は長野の百姓だけの私有財産ではなく、東京都民の財産でもある」のである

もう百姓のゴーツクをこれ以上許すことは出来ない。このままでは農村はどんどん衰退し、農地はどんどん転用され、日本の農業は本当に死んでしまう。農協の言うがままに任せておくと日本では「農民栄えて農業滅ぶ」という事態が数十年内に現実のものとなろう。こうならない為には減反政策を即刻放棄し、農地の転用規制を厳格化し、米を大増産して米価を暴落させ、価格効果で国内の米需要を喚起しつつ、国際市場で十分競争できる水準まで米価格を下げた上で海外に日本の米を輸出することで食の安全保障と日本農業の再生という二兎を同時に追えというのが本書の主張だ。

本書を読んで我が意を得たりと思った私は早速本書の内容を農林水産省の幹部にぶつけてみた。その答えが振るっている。「日本では天平の昔から墾田永年私財の法というのがあって、農地規制強化なんか出来ないんだよ」。私は本書が言う通り農林水産省は既に経済官庁としては完全にその機能をストップし思考能力を失っていると実感した。

本書の一語一語が、まるで弾丸のように読み手に迫ってくる。本書を日本の農業に関心をもつ全ての読書人に捧げる。

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株式暴落という幸運

21人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

橘玲氏の本は基本的に全部購入してきた。なぜなら彼の著作は常に新しい情報に溢れていて、私にとって刺激に満ち溢れたものだったからだ。しかし、そうした立場で、敢えて言わせてもらうと、本書の出来は「最低」だ。なんだか彼の、今までの著作の総集編を見せられているようで、幻滅である。織り込んである「逸話」も、「?」なものが多い。とくに「ミセス・ワタナベ」のレバレッジを利かせた為替投機なんか、確かに制度上は出来るのかもしれないが、元本に300倍のレバレッジ(借金)をきかしての為替投機なんかした暁には、目論見どおりに相場が動けば大儲けだが、ちょっと見込みが違った途端、人生の全てが消し飛んでしまう危うさである。

もちろん得るところがないわけではない。「プライベートバンカー」なんて偉そうに名乗ってみても、要するに運用能力なんて無い連中であって、いくら大仕掛けの赤じゅうたんにふかふかのソファーの応接室に通されたからといって、騙されてはいけないということ(彼に法外な手数料を支払うほどの能力はないということ)。武富士創業者一族の株式相続を巡る「非居住者」の定義について、来る裁判で最高裁がどのような判決を下すのかということに注目せよと指摘していることも重要である。武富士株の相続を巡って一審の東京地裁は無罪、二審の東京高裁は逆転有罪判決を下している。最高裁が、どのような判決を下すのか、注目されるのである。

「タックスヘイブン」の最大の魅力は「脱税」もしくは「節税」であって、それ以上でもそれ以下でもないということ。

それにしても「黄金の扉を開ける賢者の海外投資術」と謳っている割には、海外投資についてのノウハウ記事が少なすぎる。ここで話題になっているのは香港でもシンガポールでもなくラブアン島(マレーシア)だったりするのだが、他にも東南アジアにはナウル共和国等タックスヘイブンはあるのに、その記載がない。このあたり「題名に偽りあり」と言われても仕方のない構成となっている。

最大の売りは、262ページ以降に記載されている「暴落という幸運」の節のケインズの言葉である。1929年の株式大暴落で財産のほとんどを失ったケインズは、茫然自失とする投資仲間に対し、次のようなメモを書いたという。
1)世界が終わるのではないかということを、私も漠然と懸念してはいるが、そういったことはヘッジできないリスクなのだから、気にしても仕方がない。
2)もし、売り払えば、私たちのメンタリティは、二度とああいうことはしない、ということになり、回復がやっと始まっても、完全に大幅に乗り遅れ、間違いなく取り残されるだろう。(逆に)今後回復が起きないなら、いまさら何をしても無駄だ。
3)我々の信用その他を考えれば、回復に乗り損ねるのが考えられる限り最悪の事態である。
上記ケインズのアドバイスが正しかったことは歴史が証明している。大恐慌のときの1ドルは、現在までに800倍に増えているんだそうだ。「マーケットは人類が滅亡しない限りゼロにはならない」という言葉は、よくよく噛み締めておく必要がある。

ただ言わせてもらえれば、「億万長者は隣にいる」なんて仰々しく書いているが、今どき金融資産が一億円を越えている人間なんて、日本中に掃いて捨てるほどいるのではないか。そして幾ら金融資産を1億円もったって、「お金持ち」と呼ぶには程遠い存在であるということも是非知っておいてもらいたい。1億円あったって、都心でめぼしいマンション一部屋買えないご時勢なんである。今の日本で「お金持ち」と呼ぶには最低でも3億円、出来れば5億円くらいないと、その名に値しないような気がする。いや、ほんと。

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海外に金融資産を移すことの意味

22人中、15人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

私は橘玲さんとは長い付き合いである。つきあいと言っても個人的にあったりしたことはない。ただ同氏がやっている「海外投資を楽しむ会」http://www.alt-invest.com/の掲示板に私が一方的に書き込みを行なっていただけなのだが。当時はバブル崩壊後の真っ暗な時期で、しかも証券不祥事が続発し日本の株式が低迷する一方、クリントン政権下でアメリカのIT関連株がウソみたいに上がっていた時期だった。この掲示板には「日本株投資をするヤツは馬鹿で野村證券の餌食になるだけ」「目端の利くやつは海外に口座を開きナスダックやNYSEで資産を倍倍ゲームで増やします」みたいなことを書き込む奴らばっかり集う低レベルの掲示板だった。そこで私は猛然と反論を開始した。「優良株が低価でごろごろしている日本株こそ絶好の広い場。日本株は必ず復活する」「巨額の経常黒字を出し続ける日本の通貨=円は必ず上がる。いくらドル資産を増やしても、為替でみんな持っていかれては元も子もない」「米国株は相当な高値。暴落する可能性が高い」...私の書き込みは板の趣旨を真っ向から否定するものであったこともあるが、しばらくすると私は荒らし扱いされ掲示板は閉鎖されてしまった。そして米国株は急落し円高が進み日本株は暴騰した。私の資産は当時の軽く4倍になったが、はてさて「目端の利いた連中の海外投資の成果」は如何なるものになっているのやら。んで、本書である。要するに本書で言うところのマネーロンダリングとは日本国内から円資産を海外に「合法的」「非合法的」に移すことなんだが、その狙いは大別して2つのようだ。1つは事業を行なっている人が売上を除外して過少申告をし、脱税して得た現金を海外に移すこと(これは紛れもない犯罪であり、捜査の対象である)。もう1つは相続税対策の為に日本国内にある資産を海外に移し、日本の税務当局の手の及ばないようにして税を逃れること(こっちは必ずしも犯罪ではない)。前者はサラリーマンには使えないが、後者はサラリーマンでも十分使える。特に狙い目は海外駐在となり会社の負担で合法的に「非居住者」となったときだ。日本では相続税は「もらったもの」が払うが、米国では「与える側」が払う。だから日本国内から米国内に住んでいる人(ただし5年以上の勤労者)に贈与がなされると完全に合法的に資産を親から子に渡すことが出来、なおかつその後米国から帰国しても、もはや親からもらった財産に対し日本の当局はなんら課税できないという点である。これは使えそうだ。同じようなケースはシンガポールやオーストラリアに駐在になった場合にも使えそうである。「共産主義思想に凝り固まった平等真理教信者」達は「格差社会は悪」の大合唱をはじめ、資産課税の強化を行なおうとしている。しかし上に政策あれば下に対策ありで、今後わたくしも含めた金持ち達は、このあたり国境を越えた税務対策について今後かなり研究をはじめるのではないか。そんな予感がする。いくら「金持ち」から財産を奪おうとしても無駄である。そこらへんのATMから海外に送金は幾らでも出来る時代なのだ。ざまあみやがれ。

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紙の本グロテスクな教養

2006/11/12 09:44

進学高校で「勉強してないごっこ」がおきる理由。この「ごっこ」に普通の受験秀才が巻き込まれると、かなりの確率で人生を棒に振る危険があるから、普通の人は一心不乱に合格目指して勉強しなさい!

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まず最初に断っておく。本書は基本的に「出自を問わない平等な筆記試験によって選ばれた受験の勝者たち」向けに書かれた本であり、いわゆる進学校を経て東大・京大・一橋大あたりに入学し卒業した人「だけ」に向けて書かれた本であるということだ。通常だと「早稲田・慶應」あたりの一流私大も「受験の勝者たち」に入ると私は思うが、この本では、どうもはいらない感じがする。それほど本書は、ある意味で「いやったらしい(庄司薫)」視点で書かれているからだ。私は受験戦争を勝ち抜き東京都立の進学高校を経て一流国立大学を無事卒業したわけだが、実は高校受験の段階で早稲田高等学院と慶應附属をすべっている。だから都立の進学高校に無事入学できたとき、同じクラスに早稲田高等学院や慶應附属に合格しておきながら、それらの学校を蹴った人たちがごろごろいることを知った時は正直驚愕した。早稲田や慶應を蹴るということは、当然進学する大学は東大か一橋でなければならないからだ(もっとも定員400人の学校で早稲田200人、慶應100人くらいの合格者を出していた高校だったんで、「早稲田、慶應なら目をつぶっても入れるな」くらいには私も密かに思ってはいたのだが)。更に驚愕したのは、そいつらがやたらと「自分は如何に勉強していないか」を自慢しあうようになったことである。やれ哲学書や教養書(丸山真男や高橋和己、あるいは柴田翔の本は定番だった)を読んでいるかをひけらかし、自分が如何に「遊び」に通じているかをひけらかしあう。昨日はラジオの深夜放送を聴いているうちに徹夜しただの、お笑い番組や歌番組を見たのという話がクラスで延々と続いていた。麻雀も高校のうちから流行り始めていた。高校受験で滑るという屈辱を経験した私はこうした風潮になじめず、「もう二度とあの屈辱は味わいたくない」と現役合格を目指し必死になって勉強していたのだが、私のようなクラブ活動もせず勉強ばかりする生徒は「帰宅部生」として揶揄されていた。どうしてこんな現象がおきるのか、なぜみんな一心不乱に一緒に受験勉強に励まないのか不思議でならなかったが本書を読んでこうした積年の疑問が氷解した。要するに受験戦争の勝者(実際には高校に受かっただけでは勝者ではなく、一流大学に合格しない限り勝利は確定しないのだが)は「自分がたんなる秀才、たんなる勉強ができるだけの優等生でないこと」(つまり自分はもっともっとすごいスーパーエリートであり、すごい人間であること)を必死になってアピールしわかってもらおうとしていたのだ。大学合格後聞いた話では同じことは開成でも麻布でもあり、特に麻布はひどいということが分かった。しかしこうした「勉強してないごっこ」の風潮は被害者も出す。実は、「ごっこ」のプレーヤー達の多くはウソツキか二重人格者で、家に帰った途端必死になって勉強したりしているのである。この切り替えが上手く出来ない人たちは見事なまでに成績が急降下していく。冒頭に触れた旧友もその口で、慶應附属を蹴った男は一浪して慶應に進学したのである。
本書の評価の分岐点は第4章「女、教養と階級が交わる場所」をどうとらえるかにかかっているような気がする。著者はどうも「受験戦争の勝者たる高学歴女性は結婚には不利で、結婚戦線での勝利者は上流階級のお嬢様たち」と言いたいようだが、これはちょっとピントがはずれているように思われる。高学歴だろうが金持ちの娘だろうが結婚する人は結婚するし出来ない人は出来ないようにしか私には思えないからだ。それに結婚で結構大事なのは夫と妻の金銭感覚と教育観で、夫婦の出身階級や学歴があまりにはなれていると、それはかなりの確率で夫婦喧嘩の種になり、しばしば深刻な溝を生む原因になるように思われる。結婚という、プライベートな問題を学歴と強引に結びつけようとした著者の試みは失敗だったのではないか。

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紙の本この国を守る決意

2006/09/11 00:42

安倍さん、日本を頼みます!

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ジョン・ダワーという極左の研究者がアメリカにいる。「敗北を抱きしめて」などという読むものを極めて不快にさせる愚書をかいた野郎だ。こいつは日本人女性と結婚しているから親日家などと早トチリする馬鹿が多いがとんでもない。こいつに代表されるアメリカ東部のリベラリストは日本が軍事的大国として台頭することは二度とあってはならない、日本を永遠に武装解除しアメリカの軍事支配の下に隷属させて置かないと危なくてしょうがないと日本人を極度に恐れ警戒する連中なんである。ただ「ぶっちゃけた話」を正面切ってすると誰からも相手にされないので、こういう日本を警戒する反日論者は「リベラル」という皮を被る。朝日新聞が大好きなニューヨークタイムズがこの典型だ。そして日本を恐れ警戒する白人に限って、中国に対してはんぜか大甘なんである。なぜか。なーに、中国人なんて馬鹿は百年立ってもアメリカの敵にはならないと腹の底で馬鹿にしているから中国には点が甘い。ただそれだけの話なんである。んで、安倍晋三である。こういう反日リベラルアメリカ人とこれに迎合する社民党の残党が最も警戒する「自立した日本人」の代表選手が安倍晋三さんである。彼は、ほぼ間違いなく不世出の天才政治家小泉純一郎首相の後を次いで、これからの日本を率いて行くことになるだろう。そして彼の指揮の下、日米同盟は益々強化され、彼の決断に従って日本は集団的自衛権の行使にも踏み切り、小沢一郎がかつて主張していた「普通の国」へと大きく近づくことになろう。経済的に日本に従属している韓国、中国は小泉時代に「反日」に外交の舵を切りすぎて、今、大慌てである。なんとか経済大国日本のご機嫌を損ねないよう、対日関係改善の道を国家を挙げて模索し始め、日本のプリンス安倍晋三の下に使者を日参させているという。そりゃそうだろう。何時までも日本の猿真似しか出来ない違法コピー国家にしか過ぎない中国韓国に日本が資本を供与しなくなったら、技術を供与しなくなったら、工場を建設しなくなったら、その時点で中国の経済は心筋梗塞を起こしつぶれてしまうのだから。安倍さんは自民党総裁選用に「美しい国へ」という本を上梓しているが、こちらよりも日本を率いる真のリーダー安倍晋三の人と成りを知るには、本書の方がもっと分かり易いと思う。安倍さん、日本を頼みます!

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紙の本臆病者のための株入門

2006/06/19 16:16

デイトレはやるな、投資信託は買うな、黙ってETFを買え!

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野村證券が天下に生き恥をさらした巨大投資信託・日本株戦略ファンド。信託手数料として3%超を客から毎年ぼったくって、しかも買った途端に暴落を始め、一時期は元本の半分くらいが吹っ飛んだ伝説の殺人ファンド。3兆円も売ったんだから、野村の被害にあった人の数も、受けた被害の額も半端じゃない。元来投資信託の手数料は腕利きのファンドマネージャーにお客さんが支払う手数料で、それは「これだけ儲けさせてもらったんだから、これくらいは支払いますよ」というチップに似たもののはず。ところが日本の投資信託の手数料は元来が3%超と高すぎるうえ、客が損しようが強制的に天引きされる。客は損させられた上、マイナスアルファへの手数料を取られるんだからたまらない。投資信託なんて日本では買うものではない。デイトレーディングも、基本的には「馬鹿がやるパチンコと同じ」で、まあ銭失いのくたびれもうけとなるのが関の山。巷ではデイトレードで何億も儲けたみたいな本が山と出ているが、真に受けるやつは本当の馬鹿だ。そして出てくるのがマーコヴィッツの「ランダムウォーカー」のお話で、要するにアクティブ運用はパッシブ運用に絶対に勝てないから投資信託だの株だのかわずに市場を買え=ETFを買えというお話。でも「人間は、敢えて合理的な行動をとりたくない動物」なんだそうで、まだ色気のある橘玲さん自身、合理的な行動を必ずしもとっていないと巻末でほのめかされているところはご愛嬌か。橘さんの書いた本は、ほぼすべて読んだが、彼の今までの著作の中では最も薄く中身も薄い。まあ、株をやっている人間には知っていることばかりだし、株を知らない人間には、こんな本を読んでも、あんまり実感もわかないし、参考にもならない本なんじゃないか。

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