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じゃりン子@チエさんのレビュー一覧

投稿者:じゃりン子@チエ

67 件中 46 件~ 60 件を表示

「超能力」という影

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「どうしていつもスプーンなの?」
「こっちが聞きたいよ。だってさあ、どこへ呼ばれても必ずスプーンが用意してあるんだからさ」。
 さて、一つ質問。スプーンは何のために用意されているのだろう? 答えは、超能力者が曲げるため、だ。質問しているのはドキュメンタリー作家、森達也。返答しているのは超能力者、清田益章。
 もう一つ質問をする。あなたはスプーン曲げ、いや超能力を信じますか?
 おそらくほとんどの人がノーと答えるだろう。「職業欄はエスパー」というドキュメンタリーを撮ったこの本の著者、森達也も、超能力を信じる、とは一言も云わない。そもそも、彼の作品は「『エスパーであること』を職業に選択した、男達の日常の悲喜劇を撮る」ことがテーマだった。そのために彼が選んだ超能力者は3人。

秋山眞人
堤裕司
清田益章

 なぜこの3人が選ばれたのか。著者はその理由を「曖昧な確信」と表現する。その確信のもとは、多分彼らの持つ「矛盾」だ。例えば清田。「スプーン曲げ」と言うパフォーマンスによって時代の寵児になった彼は、その後のやらせ疑惑によって孤立無援を体験する。しかしその後も、彼にスプーン曲げを要求するメディア。「俺の一生はこのままスプーン曲げながら終わっちゃうのかよって思うと、とにかくどうしようもないくらい苛ついてさ」と、言う清田の不安定さには、アイディンティティを模索する人間に共通の不安定さがあり、それが読者の共感を呼ぶ。しかし、彼を支える能力は大方の人間に否定される。なんて言ったって「超能力」だ。でも、誰が信じなくても、清田は「自分のために」スプーンを曲げる。「要するに俺の役割ってのがきっとあるんだろうと思うようになったんだよな」。
 清田のもつ愚直さと矛盾は他の2人にも共通している。よく、TVで怒号をとばしている秋山。実際会って見ると驚くほど常識的な印象の彼は、しかし時々信じられないようなことを口にする。「その喫茶店は宇宙人の溜まり場です」等…。知性的な会話をし、自身とメディアとのかかわりを理解した上で超能力の理解に努めているという秋山の、こんな発言に著者は何度も驚かされる。しかも、秋山はそれを真実だと心の底から思い、発言しているのだ。
 ダウジングの第一人者として、普及活動にいそしむ堤は、人がいい、と言うよりはだまされやすいと言った方が近いタイプの人間だ。「ダウジングは技術だ」と言い続け、世間のためにその有効利用の方法を模索する。著者は「技術で出来ることじゃないだろう」と思うが、堤は執拗にこれは技術だと言い続ける。
 著者の作ったドキュメンタリーは堤と森の会話で終わる。「森さんは信じていてくれる」と思ったという堤に、著者はこう返答する。「信じてないですよ」。
 もう一度聞いてみよう。超能力を信じるか? 森達也は信じないと言う。8年間のつき合いの中で、彼等超能力者によって、様々な、理屈やトリックでは解説できない事象を見せつけられていながら。
 でも、「3人の男は信じる」。それぞれに矛盾を抱えながら世間との葛藤と戦い、自らの道を生きようとする彼等の陰影はとても深い。そして、それはとても魅力的だ。彼等を批判することでメシを食い、実は自分が超能力を利用していることを自覚しているからこそ、著者の取材を受けようとしない大槻教授の陰影の乏しさを読みとると、さらにその思いは深くなる。
 いつしか私は著者の声に同調する。「超能力を盲目的に「信じる」というスタンスには未だに立てない。でも3人の男は信じる」。超能力を信じる、とは言わない。でも、個人を信じる。
 この本は、超能力養護本でも否定本でもない。この本の魅力とテーマはこの一行に凝縮されている。そして、そこには真実がある。
 「他者の営みを想う心をとりもどすだけでよい。誰もがきっと、曖昧に確信できるはずなのだ」。
 

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周辺死体は挑発的な知によって突破されました

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 ベネトンの、あの広告をあなたは覚えているだろうか。セルビア人によって殺された、クロアチア人青年の血塗れの服。もしくは、色とりどりのコンドームがきれいに並べられたあの画面。著者のオリビエーロ・トスカーニは、あの広告を作り広告業界に反響を巻き起こした、その人である。
 この本は、「広告のニュルンベルク裁判開廷宣言」から始まる。広告の持つ十一の罪。巨額資金浪費の罪、知に対する罪、愚の崇拝の罪、排除と人種差別の罪、創造に対する罪etc…。トスカーニの話す広告の罪は、ひとつには世界の均一化、無個性化に対する危惧である。手に入らない物はないほど発達した消費社会。そこでは、性能によってではなく付加価値によって購入の規準が作られる。糸井重里の「ほしいものがほしいわ」というあのコピ−によって象徴される「消費者心理」をつかむために企業は広告というものに力を入れる。当然の成り行きであるこの流れに、著者は疑問を投げかける。
 広告に従って多くの消費者が商品を選択すると、結局人々がみんな同じ物を手にするようになる。そこには、多様性や柔軟性はない。あるのはむしろ強制力である。「みんなと同じものをあなたも手にしよう」という強迫観念の植え付け。
 しかし、それが良かろうと悪かろうと、私たちは広告の蔓延した世界に生きて、広告を利用しているのである。「でっかいどう、北海道」というコピーが、それまでの北海道のイメージを変え、一気に観光地の代表にしてしまったように。1998年のワールドカップ。フランスのトップスター、ジダンのゴールシーンが何度も何度も流されたおかげで、スポンサーとして画面に映っていたフジフィルムの海外収益が、格段に上昇したように。
 この本が単なる広告批判に終わらないのは、新しい広告の形と、著者自身が生み出したその成功例がきちんと本の中で明示されているところだろう。
 前述したベネトンの広告の持つ面白さは、それがセンセーショナルであることによって評価されたわけではない。人々に考えさせる効果を持つ「知に対する挑戦」によって評価されたのである。
 「広告、それは香水をつけた屍である。」という著者の言葉を使うなら、彼の広告は、人々に問題を提起し、考えさせることによって成り立つ「生きている広告」である。
 広告に関わる人間、関わろうとしている人間のみならず、広告という抽象的な物に、振り回されながら生きる私たちにとっても刺激的な本だ。

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紙の本秘密の花園

2002/07/22 19:26

少女マンガ好き元少女の挑戦

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 横浜中区では「丘の上」に住む人間は金持ちと相場が決まっています。で、丘の下の貧乏人は「上」を金持ち空間と表しています。本書に登場するカソリックの女子高も金持ち空間にあります。
 しかし、やってることはあんまり他の高校生モノと変わりません。人生がつまんない女の子が屋上に集まって語り合ったり、相手を思いやれなかったり、教師とつきあって家出したり、昼メロ並の典型的な展開です。でも、帰り道、自分の家からは少し遠くなるのに一駅分友人と一緒にいる、けどお互い何もしゃべらないシーンとか。高校時代に少し寂しかった人なら懐かしさと同時に共感できるであろう部分は少なくないです。
 逆に題名が持っているような淫靡さや深遠さはありません。明らかにイメージ先行掘り下げ不足だなあ。自らの感性に正直でいることによる自立や屹立を書こうとしているのかもしれませんが、それにしては彼らの行動範囲そのものが狭く囲われた空間である事実は否めない気がします。だって、結局屋上だもんなあ。マンガにおいて、この場所は少年少女の逡巡場所の典型ですが、同時にどうしようもなく何処へも行けないことを感じる場所だったのではないでしょうか。懐かしくて、しかも地元の地名駅名がばんばん出てくるのでとても楽しく読んでしまいましたが、作者の言う「記号でも消費物でもない誇り高い生き物である少女を書きたい」というのはいまいち達成されていないのでは。
 あ? でも、一応元少女の私が懐かしいと思ったんだからいいのか? するとそれが少女の限界なのか?
 閑話休題。私のお気に入りの場面、主人公の一人が電車の中で露出狂のち○ぽ切っちゃうとこは痛快です。そうそう、女としては本当はその位やりたいんですよー。そういう意味で拍手、どんどんやったれ!

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ロシアの「ひょっこりひょうたん島」?かな…?

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 ジャンルは児童文学なんですが、映画関連ありていに言えばキャラクター商品として流通されていると思います。元々ロシアの子供向けアニメーションなんですよ。一昨年、渋谷のミニシアターで公開されてシールブックまで作られる人気者になっちゃいました。公開当時「ロシア映画にこんなに人が…」とか思ったのを覚えてます。
 あらすじは、サルだかネコだかわからない奇妙な風体の動物が、オレンジの箱に入ってしまいロシアに着いてしまう。そんで、そこで友達を作るためにいろいろがんばるが…、というものです。映画のノベライズってつまんないんだよなあ…、と思いながら読んだら想像以上に面白くてびっくりでした。この本世界が広いんですね。出てくる人物がいろんな世界を背負って登場人物に関わってきます。うそつき新聞記者とか、チェブをショーウィンドウにおいて宣伝に使う店員さんとか。
 そんな本作にいかにもロシア的な人物が一人登場します。名前はシャパクリュク、ニックネーム(?)はいたずらいじわるばあさん。「いいことしたって有名にはなれない」という彼女は飼っているネズミとせっせといたずらします。うーん、活き活き老人。登場人物の誰よりパワフルな彼女はまさにバーブシュカです。人間いつまでもかくありたいものですね。
 でも、話はともかく絵が弱い…。新読書社からすでに出ているのは、映画とキャラクターの造形が違うんですよ。現地の書籍から取ったんでしょうけど。こっちは、映画の観客をターゲットにするために、アニメーターの女性に頼んで映画に合わせた絵を書き下ろしたみたいです。どこか遠慮が感じられて、迫力不足。原画者、レオニード・シュワルツマンはもうお年だから頼めなかったんでしょうか。残念です。

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この可愛さにひっぱりまわされたい

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この丸っこい子猫はもともと「TAMALA2010 punkcat in the space」という映画の主人公です。この猫は制作者「t.o.l」によると、「動機としては小難しいというか難解なコンセプトが底辺にあって、それを浮上させてみたら主役の座をタマラが奪ってしまった」(SWITCH10月号)そうです。
 映画本編は早くも「わからないけど、こういうの好きな人は好きだよね」と言う意見によって定義づけられ、カルト映画扱いされています。そのことは、私のように好意的にこの映画に接したものにとって腹立たしいことです。確かにたくさんの記号がちりばめられた映画の内容は、ちょっと見ややこしいかもしれません。しかし、“カルト”と定義づけることによって理解を放棄してしまうのは怠慢ではないか。「理解に努めるに値しない」と評価するのなら、それはそれで正しい姿勢であると思いますが、わからないからって“カルト”でくくるのは手抜きじゃないのか? そんなことを思いながら世間の映画評を読みました。
 ただ、私自身も映画のコンセプトとやらを理解できなかった、というより感じることは出来ませんでした。膨大な記号が物語の真意をぼやかし、結果、記号をいじくりまわすことによって遊び続けるゲーム好きの鑑賞者の遊園地になってしまう。最近さまざまな媒体でこういった例に出会います。例えば、「千と千尋の神隠し」。これは、そういった「充実した失敗作」の一番わかりやすい例であると思います。「すごいと思うけど感動しなかった」というのが「千と千尋」の一般的な意見なのは、「映画が難解な意味をはらんでいるから」ではなく、「細部に凝りすぎて根本が見えなくなっちゃた」からでしょう。  
 「TAMALA2010」もその例の一つなのでしょうか? 本音を言うと、そういった失敗を喚起させる悪い手応えは感じます。しかし、それでもなお、この映画がおもしろかったのはタマラのキャラクターが魅力的だったから、です。うっとりするくらい可愛い外見に反して彼女はとてつもなく放埒で、無自覚にいじわるです。絵本の中での最初の一言はこう。
「あーあ」
「眠いけど 起きちゃお クソいまいましい むかつくぜ」
 可愛い猫が暴言を吐いたり、残虐なふるまいをする、というマンガには元祖(?)にねこぢるがいます。けれどタマラが放埒である必然性はねこぢるとは異なっています。ねこぢるは解放という作用によって「癒し」になりました。が、タマラの暴力性が表現しているのは「癒し」ではなく、おそらく「反逆」である。t.o.l自身も前述のインタビューで、さまざまな情報のセレクトの基準に「パンク」を採用した、という主旨のことを言っていました。私はパンクを全く知らず、「反体制」という辞書的な知識しか持っていません。しかし、「反体制」がパンクであるならパンクって難しそう、と思いました。「反」する為の体制を作ることが昔ほど簡単ではないからです。
 「TAMALA2010」がパンクかどうか。パンクを知らない私には規定できません。ただ、タマラは確実に反逆する猫です。「カワイイ」という単語に包み込むことによって、なにもかもを同質化させる風潮に逆らうがごとく暴れ回ります。煙草を吸って、ナンパして、可愛いペルシャ猫に蹴りを入れる。攻撃的でクソ生意気なタマラ。彼女のキャラクターはなるほど、実にパンクな感じがします。そのデザインのちょっと他に類を見ない可愛さがもたらす逆説の痛快さは、こちらを興奮させます。それは一本の長編映画を支えるのに十分な魅力でした。
 本書はそんなタマラの魅力がつまったグラビア集です。「タマラの可愛さにならbk1ポイントだけど1000円出せる!」と思った私の感覚が一般的なのかそうでないのか(あんま一般でないと思う…)はよくわかりませんが、1000円でこの可愛さ。この魅力。いじわるで破壊的で、可愛い。後悔してません。

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書評家を嫉妬させる…?吉野朔美の読書日記

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 書評の機能の一つに「他人がどんな読み方をしているかを知ることができる」というのがある。この本は、そう言う機能満載の「書評コミック集」である。吉野朔実が楽しみながら読んでいる様子が、こちらに楽しい。ある回では、ソローキンの「何とも言い難い面白さ」を、人に伝えることが出来なくて悩む。本を抱えながらこちらに背中を見せ、視線をちろっとこちらに向けて、「でも、そういう面白さってあるよね」という作者。さりげないエピソードだが、シンプルな絵が心情を引き立ててくれて素直な共感を呼ぶ。この表現は世の書評家をちょっぴり悔しがらせるだろうな。こういうことを言いたくなるときはあるけれど、文章ではこういう形で読者に語りかけられない。マンガならではの方法をきっちり活用している様子がさすが。
 さて、彼女は少女マンガ家である。しかし、非常に湿度の低い絵を描く人なので、登場する本の雰囲気が余分な付加を伴うことなくこちらに伝わってきる。穂村弘との共作、「短歌の4コママンガ化」も楽しい。無理なく描かれた、無理なく薦められる本。

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紙の本ニュー・ワールド

2002/11/04 01:11

天気のいい日にゆっくり話したい友人のような…

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 私は友人が落ち込んでいるときに言葉をかけるのが苦手です。頑張っている人が多いので「元気出して」とか「がんばって」は言い辛い。昔は自分の力量も考えずにすごくリッパな話をしていたものですが、最近ちょっと年喰ってそうしらじらしいことも言えなくなりました。そうなって痛感したことは、人の心を前向きにさせるには、本人が前向きな気持ちを大事にしなければいけない、ということです。
 さて、大久保ニューです。彼のマンガは前向きです。しかも、とってもまっすぐ前向きで、読んでいると居心地の良い友達に悩みを聞いてもらっているような気分になります。舞台は美術専門学校。表現することに悩んだり、友達と話し合うことに悩んだりする青春まっ盛りの女の子達が主人公です。題材自体は新鮮味がありません。無駄な恋愛を経験して自嘲気味になったり、自分の描いている絵が全然好きになれなかったり、というこれまた描き尽くされたかと思われるテーマを、しかし、正面から描くことによって力強く印象づけています。私が好きな会話にこんなのがあります。
 上昇志向が強く前向きな花沢さんが「もっと世界の色んなことも知らなきゃだめだよ」という主旨の話をして、友人たちが落ち込んでしまったときのこと。相談相手の彼氏は、こう返します。
「落ち込んだ、ってことはこっちの言葉を受けとめてくれたってことだろ? 今時そんなに真剣になってくれるなんていい友達じゃない」(本体が手元にないのでちょっと違うはず…)
「そっか…」
 こういう考え方をすることは出来るし、このセリフを友人に話すことも出来るのですが、大久保ニューのマンガのように心地よく相手に伝えることはなかなか出来ないでしょうなあ。誠実に人と向かい合うことの大切さが、気負いなくあっさりした距離感で描かれているニュー・ワールドはとても気持ちがよい。
 投げやりなんじゃないかと思わせるほどよけいなものが描かれないあっさりした絵も、微量のウェットをふくませつつ、ポジティブな作品世界にあっています。肩をほぐしてくれるようなギャグもいい。
 「作家と作品は一致しない」というのが原則だと思っているのですが、この作品はいい意味で作者の人柄が伝わってくる本です。
 落ち込んでいるときに会いたい友人のような本でしょうか。今後に期待してあえて三ツ星にします。がんばってほしい人の一人。

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紙の本彼氏彼女の事情 14

2002/10/18 02:03

物語の正念場であり作者の挑戦の始まりでもある

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 優等生を装っていた有馬が自身のほころびに気付き始め、冷徹で残酷な自分を偽り続けることで宮沢と関わっていこう、と決意(やな決意だな)したのが13巻。だから、14巻はそんな生き方は無理だった、と有間が自覚する話です。
 14巻は、有間の生みの母親が彼の前に出現することで始まります。エゴの固まりのような母親を、確かに自分の母だ。と思い、自分にもあの卑怯な母親の血が流れているのだ。と、絶望する有間。そして、彼は宮沢を突き放し始める…。
 さあ、正念場です。作者にとって。あー、津田雅美のマンガって基本的に登場人物が「物わかりのいい人」なんですよね。「夢の城」も「天使の棲む部屋」も「魔法使いシリーズ」も、みんなトラウマを乗り越えたり、過去の間違いを正して幸福をつかんだりと言う話です(単行本に収録されている作品は全部読んだのに、どーしてファンタジックなものばかりきちんと覚えてるんでしょう)。で、少なくともここに挙げた作品に関しては同じ構造で描かれています。「天使の棲む部屋」を例に取りましょう。3年前に拾った少女ジェニファと共に生活する聡明な少年ルウイ。炭坑で一人で働きながらジェニファを養うルウイは、彼女のことを天使と呼んでいた。環境の悪い生活によりジェニファの病気にかかります。自分の非力さを知ったルウイは彼女と別れ二人は別々の道を歩み始めますが、偶然から再会し、物語はハッピーエンドへ。
 構造としては
1、登場人物たちの幸福の積み重ねが描かれる。
2、その幸福を揺るがす事件が起こって関係、もしくは世界が破綻する。
3、第三者、もしくは本人たちの発見によって過去の蓄積(努力や注いできた愛情)が肯定され、自分らしく生きる術にたどり着いてハッピーエンド。
 注目すべきは3、の表現方法。「天使の棲む部屋」では登場人物同士の語り合いによって、「魔法使いシリーズ」ではサービスのいい魔法使いが「もう一度」願いを叶えてくれることによって、物語はハッピーエンドへ収束します。これが非常によどみない。登場人物はすぐ、自らの願望や失敗の内実を理解します。
 学園モノでも物わかりの良さは物語の収束のために不可欠なようで、「オンナになった日」なんか主人公の女の子が、自分を侮辱した相手(兼初恋の人)にどこがどう自分に対する侮辱なのか丁寧に教えてあげて、相手がそれをしっかり理解したところで終わりだったりします。そんな物わかりのいい人ばっかのハッピーエンドが浮き上がらないのは、1、の段階できちんとエピソードを描き込んでいるからなのですが…(よしながふみもそういう意味で似てる)。
 幸福な過去によって物語が救済される、と言う構図は、幸福な一瞬より、生きるために記憶の底に鎮めていた過去が自分の内面を創り上げてきた自覚のある有間には通用しないんですな。だから、これからは今まで確実ではあるけれど手早く片づけられてきた過去との対峙とそれを乗り越える作業を、子細に描く必要が生じます。作者も当然そんなことはわかっているようで、その過程をものすごく丁寧に描いているのが分かります。
 ええと、しかし個人的結論から言うと「もっと速く進まないもんかな…」と言うのが本音だったりします。だってコマすごく大きいし…。前からか…。でも、これが終わったらきっと一皮むけるんだろうな、と思って楽しみにしてます。ただ一馬とつばさ編に対して、納得しつつも感動できなかった私としてはちょっと不安もあったり…。
 しかし、注目の展開であることには変わりありません。特に「コミックス6巻くらいから読んでない」人は必見。

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漫画嫌いとおっしゃいますが

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 「20才でようやく漫画を読み始めた」とか言ってるけど枡野浩一は多分相当なマンガ読みだ。本文、一人の作家につき、一冊の本を紹介、と言うスタイルで三原順には「X・day」だったり、おかざき真里には「シャッター・ラブ」。直球と思わせておきながら、実は…なセレクト。何より的外れなことが書いてない。じゃあなんでマンガ読み素人を装って書かれているんだろう。なんで「漫画嫌い」なんてタイトルなんだろう。それはきっと、この本に世間一般の「漫画好き」に対する皮肉がこめられているからだ。
 枡野浩一は全く難解な言葉を使わないし、自分の思ったこと、感じたことしか書かない。しかしだからこそ、彼が自分が面白いと思うものを自信を持ってセレクトしている実感が、こちらに明確に伝わってくる。つまらないレトリックを駆使せずに対象に向き合っている様子は真摯だ。まあ、どうでもいいようなことも書いてはあるが。南Q太(現在はこの二人夫婦に!! びっくりした)に愛故にイヤミを言ってしまった話とか。一方で、枡野浩一と感性が合致しない人にとっては彼の批評は意味がない、という気もする。しかし、この本に登場する作家の3人ぐらいあらかじめ知っていてなおかつ好き、な人は登場する他の作家に手を出しても損しないはずだ。
 で、なんでこの本が漫画好きに対する皮肉かというと、ここに出てくる描き手が、多く現場で第一線で活躍しながら、ほとんど論じられることのない作家だからだ。入江紀子、鴨居まさね、かわかみじゅんこなんてものすごく多くの読者の需要を満たしているのに、いわゆる識者やおたく(もちろん私もだけど)は取り上げない。最も、論じる技量がないというのが一番の理由かもしれないが。しかし、評論の存在価値のかなりの部分が「いいものを多くの人に届けるための案内」であることを考えると、多くの漫画評論はあまりに狭義だ。そういう意味で、この本は漫画批評の世界で論じることをサボられていた作家が集まっている、という面もあったりする。三原順とか山田芳裕とか小池田マヤとか、特に。
 「普段は活字本ばかり読んでいて、漫画本をここ数年手にしていないという人には、ぜひとも本書を参考にしてみてほしいと、祈るような呪うような気持ちで加筆訂正しました。買ってください」という言葉からは、自分のセレクトに関する自信と、漫画好きを標榜しているくせに、漫画をきちんと読んでいない人々への嫌味が込められているのではないか。のんびりとした文章と装丁の割になかなか挑戦的な本だと思う。もちろん漫画ガイドとしても有効。文章全体も読み応えがある。既知の作品が多くて、ガイドとしては個人的に高い評価をつけてないけど。
 気に入った人には「君の鳥は歌を歌える」もおすすめ。これも尊敬と悪ふざけに溢れた批評と、丁寧な文章だからこそ引き立つささやかな悪意がたまらない本
(あ、おかざき真里と枡野浩一は仕事仲間だった。そういえば、「シャッター・ラブ」には「ドレミふぁんくしょんドロップ」からの引用があった…。忘れてました)。

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キティちゃんは何故愛されるのか

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 2000年のキャラクター商品小売市場は2兆1735億円、今後も増え続けるというのが業界の展望らしい。キャラクター商品がなにがしかのヒットを飛ばす度に、世間は「癒し」や「懐かしさ」等のキーワードでその現象を説明してきた。しかし、人間心理に関わるキーワードを使用しながらその心理的効用を具体的に解析した文献は、私の不勉強も大きいだろうが、これまで見られなかったように思う。この本は、人々の生活に浸透した「キャラクター」を精神科医の香山リカ氏、バンダイキャラクター研究所を中心とした専門家達が解析した、多分今のところ初めての本である(以前にもあったら教えて下さい、ごめんなさい!)。
 本書は香山リカ氏の診断、バンダイによるレポート、開発現場の方達へのインタビュー、そして、いとうせいこう氏、東大教育学部助教授の汐見稔幸氏との対談で構成されている。バンダイのスタッフらによる詳細なレポートと、香山リカ氏の診断から浮き上がるキャラクターを愛する人々からは、なるほど現代社会を生き抜くことの不安が透けて見える。例えば、反抗期の息子とクマのプーさんを介在してでないと会話が出来ない母親や、電話応対に追われ、職場の机をたれぱんだ達で埋め尽くすことによってそのストレスを紛らわす女性。彼等に共通するのが「人間関係や心の重さと向き合うことへの遠回しな拒否」である、と言っていいだろう。バンダイのアンケートでは実に7割近い人間がキャラクタ−に「やすらぎ」を求めている、と解答している。彼等が連発する「癒し」や「やすらぎ」、「コミュニケーション」という言葉を著者達は順次解析してゆく。
 キティちゃんは何故あんなに愛されるのだろう? それは彼女に口が無く、感情が固定されていないからだ、と言う。感情が固定されていないから、自分の時々の感情に合わせてキャラに感情移入が出来る。しかし、それは物語性を拒否したわずらわしくないおつき合いへの傾倒だとこの本は指摘する。
 全体から読みとれるのはキャラクターに依存することで、なんとなく社会を生き抜く人々の姿だ。それはありとあらゆる場所で語られる希薄な人間関係のイメージを喚起させる。孤独より薄いつながりだ。
 全体に研究不足の感は大きいが、データベースが詳細に掲載されていること、現場の方々のインタビューが掲載されていることなども含めて、これからの人の研究意欲を刺激する本。これを踏み台にして、いろんな方の考察が始められるのを望む。

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にぎやかほのぼの格闘マンガ

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 弱虫いじめられっ子の兼一少年が復讐のために入った道場「梁山泊」そこは格闘技界のアウトローたちの集う、とんでもなくハードな道場だった!
 本作なんと言っても丸っこい線の、確かな画力で描かれた登場人物たちがいい! 天然ボケで巨乳だけれど、むちゃくちゃ強い道場の看板娘、美羽。おでこの広さとなぜか敬語というしゃべり口が可愛い彼女を筆頭に、兼一の師匠となる格闘家たちが楽しい。ケンカ100段逆木、哲学する柔術家秋雨、中国憲法の達人でエロじじいの馬剣星、裏ムエタイ界の死神アパチャイ。全員ものすごく強いのだが、どこかほのぼのとした雰囲気が漂っているのがおかしい。特に舌っ足らずの日本語で、口癖が「あぱぱぱぱ」なアパチャイのデカさとアホさのギャップはいいぞ〜。
 キャラデザも含めて一見格ゲーのマンガ化のような風情だが、個性豊かな登場人物を向こうに回して主人公をやっているのが根性と人の良さが取り柄の兼一君というのが何とも正統派少年マンガでよい。スピーディーな格闘シーンも見応えありだ。しかし美羽乳でかすぎっす…。

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紙の本西原理恵子の人生一年生

2002/06/30 11:02

超豪華!7大ふろく!と聞いてときめく貴方に!

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 この本の主役は「ふろく」なんです。中身なんかいいんですよ、無くて。実際無いし! それより「ふろく」の話をしようぜえ。懐かしの「銀はがし」麻雀風でしょ。人生のリセットボタン有りで、ゴールは大ブレイクの「人生すごろく」でしょ。テンパったサイバラ女史の表情のアイロンプリントでしょ。お金だの大砲だの書いてあるスタンプでしょ。ありがたくないポスターでしょ。あと、何といっても組立式の「黒心危機一髪ゲーム」「西原大明神御告宣告おみくじ」これなんか紙ですよ。やま折りとか、たに折りとかあるんですよ。のり、とか。なつかしいよ。欲しくてたまんなかったけど買ってもらえなかった「りぼん」とか「なかよし」のふろくたちを思い出します。
 「ビックリマンチョコ」です。この楽しさは。無駄、だけど懐かしい、手に入れることが出来る自分が嬉しい。表紙もボトルキャップのサイバラ仕立て。
 この装いが普段は小学一年生担当の「編集の水野君」のヒットのための計画だったのか、それともやりたい放題作った結果にすぎないのかは分かりませんが。
 青木雄二、中谷彰宏、池田理代子などなど、無駄に豪華なゲストに反して中身のない企画。でもいいです。楽しいし。雑誌だし。
 棚にたまったチョコエッグを見てボーゼンとする人、ビックリマンチョコを箱買いしてしまったバカな貴方にお勧めです。

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もしかすると〇〇が一番悪いんじゃないかと…

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 まず、この本のPart1にあたる前著を読んでいる方に、一言。あなたには多分物足りないです。それというのも、この本の3分の一は、前著の発行後の講演記録であり、どうしても前回の内容との重複を免れないからです。
 前回、だれが「本」を殺すのか、において著者は人間中心のルポルタージュを展開し、様々な立場の人間の意見を組み上げることで、本に厚みと多様性を加えました。ただし今回は講演記録と対談が中心ということで、だれが「本」を殺すのか、と言うよりは、日本人にとって本というのははたしてどういう性質のものなのか、がテーマになっていると言えましょう。
 講演で提示される著者の本に対する姿勢。対談相手の方々の意見はそれぞれ微妙に異なっています。しかし、議論そのものの内容にはあまり特徴的な意見は見られず、内輪の意見交換の様な印象は免れません。
 この本の中で唯一刺激的な場面は、北上次郎(目黒孝二)と佐野眞一の対談にあります。
 「本の雑誌」の発行人だった北上次郎のスタンスは明確でありながら冷静です。
「本というのはもともと不便なものですからねえ」。遅効性のメディアとここで表現されている「本」について、どれだけ速く手元に届けられるかの競争をするのは問題の根本的解決にならない。「もともと出版産業というのは小さなものであって、そんなに多くの人間が食えるパイを持っていないのに、そこで必要以上に食べる人間が多すぎるのじゃないかな」。
 「本」というメディアに信仰を持っている人々と、一線を画した議論が展開されていて、ここだけでも読む価値あります。
 そんな北上次郎につられたのか佐野眞一も、前著では触れず、それゆえ多くの人に指摘されたあることについて発言します。
 「もしかすると読者が一番悪いんじゃないかという気が実はしてくるんですよね」。
 この言葉の真意は、一人一人が自らを振り返ることによって追究して下さい。ともかく考えさせられる本である点に置いては、前回と代わりありません。 

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紙の本山谷ブルース

2002/05/17 14:52

混在するブルース

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 山谷という主流社会からはずれた場所を調査するにあたって、著者は自ら労働者として、その内部に入り込む方式をとった。ドヤ街で寝泊まりする、日雇いで土方として働く、焼酎を呑んで寝る。そうやって作者が集めた人々の肉声は、私たちの想像以上に豊かで、多様性に富んでいる。
 トビという職に、一匹狼の自分の境涯に誇りを持つ人。かつて、企業の商社マンだったが、上司と喧嘩して山谷に流れ着き、独立の夢を見て資金を稼いでいる人。元過激派。元文学青年。在日韓国人。山谷の労働、生活条件の改善のために奔走する人。その日暮らしで人生を投げ出して生きる人。序文にも筆者が書いているように「十人十色」な生き様は、これまで私たちが日雇い労働者に対して抱いていた画一的なイメージを覆す。文中からは、筆者が経験した、山谷独特の「自由」や「人情」も感じ取れる。実際に肉体労働に従事し、時には仕事にあぶれて呆然としていた筆者しか書けない真実味がここにはある。
 しかし、大学教授という自身の職業を偽り、多くの人間の肉声をほとんどの場合無許可で研究材料にしている筆者は、同時に、自身の成果の学術的不確かさと、人間的な非誠実さのジレンマを抱える。相手に緊張感を強いるテープレコーダーを使わず、収集したインタビュー。記憶のみで書き写したその記述に、筆者自身も「資料史と言うよりはむしろ小説的に改作された物語」という呼び名を使っている。また、自分たちのプライバシーを侵害しない、と考えたからこそ筆者に様々な話をしてくれた人々へのうしろめたさがこの本にはわずかながらつきまとっている。ノンフィクションの持つ、おそらく共通のジレンマはここでも姿を現している。筆者がしかし、それでも山谷に通い続けたのは「一般社会とは大きく異なる」行動基準が非常に魅力的であり、それゆえ「山谷界隈をひどく悩ます倦怠感」に対しても、残すべき正確な記述が必要だと感じたからなのだろう。山谷という土地の強烈な磁場と、作者の執着がこの本を血の通った物にした。「色あせることのない臨場感」はこの本の中で確実に息づいている。
 しかし、「山谷ブルース」というタイトルからも読みとれる作者の山谷の対する想いは、同時に個人的なロマンチシズムから切り離せない想いである。
 この本の魅力はそのロマンチシズムと、報告書としての冷静さが同居し、混在しているそのあり方だろう。作者のうちから出てくる感傷と、現実に接したことで得た知識という二種類の違った真実。両者間の矛盾が、逆にこの本のリアリティを増し、豊かな物にしているのである。これだけ綿密に書き上げられた記述でさえ、筆者自身の目を通した、個人的な記述でしかない。そんな本のあり方に、作者の誠実さと真実味を感じることができるのである。

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紙の本三色ボールペンで読む日本語

2002/07/20 02:34

紙上信号機

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三色ボールペンを使い、本にバンバン線を引いて集中力を高めながら、有効に本を読もう。
 というのが主旨なんだろうが、しかし、本というのはそんなに「有効に読まねばならない」モノなのだろうか。それでは、郷ひろみの「ダディ」にも客観的に最重要、客観的にある程度大事、主観的に面白かった、が在るんだろうか。
 逆に夏目漱石の「夢十夜」も、線を引くと素晴らしく理解が高まって新しい読書経験が出来るのだろうか。あの、なんと表現してもその素晴らしさがあせてしまうスキのない小説の行間に、赤、青、緑が並んだら「信号機かいっ」とツッコミ入れそうだ。いや、「そういうことをしろ」と主張する本ではないか。
 そういえば、似たような手順の読み方を経験済みだったのだ。ほらあそこ、予備校だ。作者の主張が表現されているところを抜き出しなさい。この答えの根拠となる部分を抜き出しなさい。この発言から推測される作者の意見を書きなさい。質問文の形はいろいろ違うが、やり方は一緒。「重要そうな箇所」に線を入れ、「適切な解答」への準備をする。「作者の主張が読みとれる箇所」を抜き出すために、「読む」ではなく「分解する」。
 前著に引き続き著者が主張しているのは、肉体化することによって「じっくり本を読もう」ということなんだろう。しかし、「じっくり読むべき本はそんなにない」というのも皮肉でもなんでもない事実だし、「じっくり読みたい本は線を引かなくてもつき合っていける」というのも事実だ。実用書じゃあるまいし、そんなに有効性を重視しても読書の楽しみとずれるばかりではないだろうか。本やら文化やらはもともと人生のおまけみたいなものなんだから。
 だいたいそんなに気合い入れて本読んだら疲れないか? ためしに「ここ超重要!」「ちょっと重要」「ここは個人的にスキ」と考え、線を引きながら本を読む人の姿を想像してみたが、そこで連想されるのはやはり、テスト前に教科書に線を引きまくる一夜漬け学生の姿だった。
 それに人に貸せない。古本に出せない。貧乏学生には受け入れがたい方法でした…。

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