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きゃべつちょうちょさんのレビュー一覧

投稿者:きゃべつちょうちょ

231 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

成形なし。量るだけ。おしゃれだけど手軽なオリジナルレシピ。

17人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ちょっと変わったパンを焼きたいけど、
成形するようなものはちょっと・・・・・・という、
ホームベーカリーの愛用者さんにお薦め。
(ちなみに、レシピはパナソニックのSD-BM152型を
 もとにしてつくられた)

栗とチョコレートのブリオッシュ、
ムジカさんのシナモンティー、など、
あまり奇をてらわないが、食べてみたくなるような
パンの名前がいっぱい。

パンのレシピはすべて、材料を入れてスイッチを押すだけ。
材料のほとんどはスーパーで入手可能なので、
(手に入りにくいものは代用品のアドバイスもあり)
おしゃれだけど手軽にパンづくりがたのしめる。

ちなみに、リコッタチーズと栗のはちみつ、というパン。
リコッタチーズが近所になかったので
カッテージチーズで代用してつくってみた。
チーズとはちみつが、けんかせずにさわやかにまとまっていた。
朝食に新鮮な風が・・・・・・。

つくったパンをより美味しく味わうために、
サンドイッチや、おかずふうのボリュームのある一品、
パンが残ったときのレシピも載っているので便利。

参考までに、ホームベーカリーで焼くレシピ一覧。
ハードトースト
ミルクハース
ライ麦食パン
ブリオッシュ
黒糖食パン
白ごまと全粒粉のパン
黒ごま食パン
胚芽とはちみつのパン
ラベンダーのはちみつとアプリコット
みかんのはちみつとピスタチオ
リコッタチーズと栗のはちみつ
3種レーズン
豆パン
栗とチョコレートのブリオッシュ
ショコラ・バナーヌ
ムジカさんのシナモンティー
カプチーノ
パン・オ・ハワイアン
ナポリ
とうもろこしとチーズ、パプリカ

このほかに、
つくったパンをより美味しく味わうために、
サンドイッチや、おかずふうのボリュームのある一品、
パンが残ったときのレシピも載っている。
巻末には材料メモもあるので色々考えられて便利。

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紙の本

増殖中のジンジャラー。これは、ビギナーの救世主。

16人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

テキスト(ハンドブック)について。
体にいいことずくめの生姜。
そうわかってはいても実際に使うとなるとなかなか手ごわい。
生姜を買ってきてみても、すべてを使い切るのが至難のワザ。
以前に料理本で『おろして冷凍しておけばいい』と読んだことがあるが
それならチューブ生姜とどう違うのか・・・ということになってしまう。
この本には、生姜をなまでそのまま冷凍する方法が書いてある。
このように生姜の扱い方はもちろん、効能や分量のめやすなどが
わかりやすく書かれているので、ジンジャラービギナーにも安心である。
レシピは実用性に富んでおり、入手しにくい材料や複雑な手順はいっさいナシ。
6種ののみもの、4種のスープ、8種のおかず(おつまみを含む)のほかに
つくり置きしておくと色々活用できるストックレシピ
(ジンジャーはちみつレモン、梅生姜、ジンジャーマーガリン)が、
活用例と共に紹介されている。
で、早速つくってみた。
〈ホットジンジャーはちみつレモン〉
この飲みもの自体は(お湯のはちみつレモン生姜割り)めずらしくないけれど、
チューブやパウダーではなく、フレッシュな生姜をしぼりたてで頂くのが格別。
香りがまるで違います。あたたまるし、癒される。
〈豚のアップルジンジャー焼き〉
豚肉を焼いてから、生姜とりんごのすりおろしの入っただし汁で煮るのですが、
だし汁の、生姜をやわらげるりんごとのコラボが絶妙です。
レシピにはりんご半分をすりおろす、とあるのですが、
残りの半分を、肉と一緒に焼いて汁にからめて食べてみたらおいしかった。

おろしスプーンについて。
パッケージの写真は原寸大。
ちなみにサイズは幅50×長さ188ミリメートル。素材はステンレス。日本製。
職人の魂が機能美に込められている。
・スプーンを持ったまま少量ずつ生姜をおろせて、(生姜以外にもにんにくや大根など)
おろしたらそのまま鍋やカップに入れてかき混ぜられる。
(5グラム以上の生姜をおろすときは、受け皿を使った)
・スプーンから手を離しても倒れないで自立するので、
おろした生姜をのせてそのまま食卓に薬味皿として出せる。
・柄の部分に穴が空いているので、フックにかけられる。
 (食器棚にしまうと取り出すときが危険なので、かけられるのは便利)

手軽なおろし金を探していたのだけれど、なかなか見つからなかった。
おろし金がコンパクトになり、スプーンになっているなんて、画期的だ。
こんな道具が欲しかった。毎日ちょこっと使いたくなる手軽さと美しさ。
これなら、ブームを超えて生姜生活をつづけられそう。
そして、スプーンに寄り添うようにして、
サイズは小さいけれど、ぎっしり詰まって充実した内容になっているテキスト。
この奥ゆかしさに、著者のスプーンへの愛着が感じられる。

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紙の本

紙の本容疑者Xの献身

2010/10/13 23:07

これは、いったい、なんのレッスンなんだ!? 湯川学はきっと心で叫んでいたはず!!

13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

マイ・ファースト・東野圭吾作品である。
前々から気になってはいたが、
あまりに騒がれすぎていたので
逆に読む気が起こらなかった。
そんな読者もけっこういるのではないか。
ま、それはさておき。

この作品は「オール讀物」連載中のタイトルは
「容疑者X」だったとか。
単行本になるときに、「容疑者Xの献身」と改められたらしい。
作者が考えたのか、編集者が考えたのかはわからないけれど、
まさしくこの絶妙なネーミングがベストセラーへの
鍵を握ったのではないかと思われる。

あまりにも有名なこのミステリーの感想を、
いったいどう書こうか、悩むところだが、
この本を読もうかどうしようか迷っている人がいるなら
ぜひ、読んでみてほしい。
ミステリを精読している人にはもしかしたら
ちょっと物足りない向きもあるかもしれないが、
救いようがないくらいに悲惨なのに
心のどこかがあたたかくなる不思議な話である。

ありえない設定をぐいぐいとひっぱり込む手腕には
本当におどろかされる。
そして、危険を冒してまで貫き通す、容疑者Xの、その「献身」の理由。
これは、相手の人物造形をとおしてもよく描かれている。

本作は「純愛」という言葉で謳われることが多いようだが、
せつなさの視点をずらしてみれば、
男の友情に涙をさそわれる。
名ホームズ役である湯川学と、主人公の石神。
ほんとうに得がたい、「好敵手」という関係にあるふたり。
とくに、湯川がすべてに見当をつけ始めてしまったあたりからは
彼のせつなさに、胸がいたくなる。
彼にとって大事な、ふたりの男(石神と草薙)との
それぞれの友情に挟まれ、
さぞかし苦しかったことだろう。
これはいったい、なんのレッスンなんだ・・・と
きりきり締め付けられるような思いで、いたに違いない。

最後の、すべての告白は、涙腺を刺激する。
安っぽい偽善の匂いがしない、高級なエンタメになっているのは、
物語の端々にみられる、作者の論理的思考が効いているからか。
ひとの心の裏の裏をかく、ということ。
それはひるがえって、純粋、ということになるのだろうか。

早々と殺されてしまった被害者に対しては、
本人のそれまでの経緯にかかわらず、少し同情を寄せてしまう。
あまりにも脆弱なかたちでしか、未練を表現できないことに。
そう感じてしまったのは、
容疑者Xの、あまりにも深くて、重い、「献身」に
くらくらと眩暈をおぼえてしまったからかもしれない。

思い悩んだ湯川に、そして彼と同じように胸をいためた読者に、
きっと大きなギフトはあるはずだ、と思いたい。


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紙の本

紙の本細雪

2011/02/17 18:28

ゆるりと流れる日常に女性特有の毒

13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

会話はほぼ関西弁で綴られるが、それ自体はめずらしくはない。
東京出身の谷崎がここまではんなりとしっとりと
関西弁をあやつっていることに、まず驚いた。
この作品は当局から出版妨害を受けており、そのときに
谷崎が関西へ場所を映し、ひそかに書き続けられたとも伝えられる。
四姉妹のモデルは谷崎の妻であった松子とその姉妹であるらしい。

蒔岡家の栄華は父の時代にもう枯れているのに
その残像を忘れられない四姉妹たち。
花見。蛍狩り。観劇や舞い。風流な遊びの情景。
姉妹の、色々なことに対するリアクション。
描写は細やかなのに、呼吸には無理がなく、分厚さを感じさせない。
いってみれば、お嬢さんがたの人生という長い時間の暇つぶし。
それにつき合わせられるだけなのだが、なぜか読むのをやめられない。

おもな語り手は次女の幸子である。
幸子は妹の雪子を溺愛している。(もっとも母親に似ているからだ)
一日もはやく三女の雪子の結婚が決まるように願っている。
雪子だけでなく、四女の妙子の世話も焼き、いい姉であることに努める。
見栄っ張りな幸子の本音が吐露されるのは、
四女妙子の恋人が入院するシーンと、
時がながれてその後に妙子自身が入院するシーンである。
彼女は両方とも見舞いに行くのだが
見舞ったときに幸子が感じた言葉には寒くなる。
自身は誇り高き蒔岡家から出たお嬢さまだと信じているが
心の中にはとてもつめたいものが流れている。
それが谷崎のおそろしい描写力によって暴かれるのだ。
鶴子も雪子もおっとりと描かれているが、
そのつめたいものは共通しているようにも感じられる。
それは彼女たちのふっとした会話の端々とか、
人やモノを見た感想から受け取れる。
いちばんの問題児とされる妙子は、自由奔放で忙しいが
人としての情というか温かさを
姉妹のうちで最も多く持ち合わせているふうに感じられる。
しかし彼女も女性特有の残酷さを持ち合わせている。
「細雪」という英訳できないほどのうつくしいタイトルは
彼女たちが持つつめたさを揶揄しているのだろうか。

物語の大きな柱となるのが、
雪子の婚活のゆくえと妙子の恋のゆくえ。
雪子がまるで人形のように受け身であるのに対し、
妙子は思ったらすぐ行動せずにはいられない。
静と動の鮮やかなコントラストに読者は翻弄させられる。

そして格別魅力的なキャラクターとして映るのが、
幸子の夫である定之助。冷静沈着で判断力にすぐれ、情もある。
これくらいのキレ者で愛情深い夫でなければ、
とても幸子たちには付き合っていられないのだろう。
しかし、幸子のモデルが松子夫人(と伝えられる)だとすると
定之助ってまさか谷崎本人のことなのだろうか。
それともまったく本人とは別のキャラクターを生み出したのか?
このあたりは、松子夫人の書かれた回想録を繙くのもいいかもしれない。
どちらにしろ、この本の中ではいちばんまともな人物であった。

本編を読み終えてもなお、つづきが気になるこの余韻。
これだけ読ませておきながら肩すかし的なラストシーンからは、
作者の意地悪そうな(いやらしそうな!)にやにや笑いが浮かんでくる。

上、中、下巻が一冊になり、田辺聖子の解説がつき、
装丁にはなんともいえない雰囲気があり・・・・・・。
中公文庫の「細雪」はお得である。


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紙の本

紙の本10月はたそがれの国

2009/03/06 11:25

夢見るような非現実へ

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本は、いつかは読みたいとずっとおもっていた。
でも、書店でなかなかみかけなかったし、「幻想文学」と
カテゴライズされていたことに、なかなか手が出せず・・・・・。
たぶんはじめて読んだ「幻想文学」だとおもう。
(ファンタジーとかSFというのはどうも入り込めなくて苦手である。
「ハリポタ」も「スターウォーズ」も観たことなくて珍しがられる。)

これは19の話が入った短編集なのだが、表紙の裏に
「幻想と怪異が息づいている」とあるとおり、すべてが不思議で
物語の中へ《連れて行かれる》という感覚を味わえる。
ほとんどの話が、ラストで、ぞっとする。
私はホラーも苦手で、夜眠れなくなると困るのでなるべく
こわいものに触れないタチなのだけれど、これは大丈夫だった。
ラストでは、たしかにぞっとするのだが、
あとを引くようなおぞましいこわさは残らない。
ジェットコースターのような一瞬の恐怖である。

それはたぶん、文章の中に散りばめられた詩的な美しさと、
流れるような語り口の滑らかさが、恐怖よりも強い印象を残すからだろう。
とはいっても、やはりすべての話には入り込めずに、
どうしても「???」というのが4話ほどあるのだが。
最後の話、「ダットリー・ストーンのふしぎな死」は特に秀逸。
読んだ後に深く考えさせられてしまうが、奇妙な優しさがある。

「人生に必要なのは、想像力と少しのお金」とチャップリンは言ったが、
時間と少しの想像力があれば、この本はきっと
もの哀しくてちょっぴりこわい、幻想に包まれた「10月の国」へ連れて行ってくれる。
ページをめくること自体にときめきをおぼえた、一冊だった。
これは読書ほんらいの楽しみ、だとおもう。

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紙の本

紙の本再婚生活 私のうつ闘病日記

2009/10/26 11:40

あなたが大切なものはなんですか?

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

ひさしぶりに山本文緒のエッセイを読んだ。
今回の文庫には、単行本にはない「空白の日々」の書き下ろしが掲載されている。

さて、「再婚生活」のレビューに入る前に、少し長くなるけれど、彼女の以前のエッセイ「かなえられない恋のために」から抜粋させて頂く。

<ひとりの人間が経験できる出来事はとても限られている。世の中には何ヶ国語も操り、世界を飛び回っては偉業を成している人間もいるけれど、それはごく少数の才能と体力と使命感に恵まれた人だけなのだ。
誰だって自分の手の届く範囲でしか生きていない。それは恥ずかしいことでも悲しいことでもなんでもないのだ。短い一生のうちに関わることができる、ほんの少しの人間、ほんの少しの仕事、ほんの少しの本。それをないがしろにして、なにができるというのだろう。自分の目に見えるものしか信じないとか、受け入れないとか、努力をしないと言っているのではない。あれもこれも欲張っているうちに、自分が本当に知りたいことが何であったかわからなくなってしまっていたのだ。人間ひとりが持っているバイタリティーやエネルギーには限りがある。それを漫然と使っていたら結局何も手に入らない。
自分の好奇心に正直になること。持っているものを大切にすること。
そう感じることができて、やっと私は幸せな気分で昼寝をしたり、本を読んだりできるようになった。それが、ただの時間の無駄づかいではないことを知ることができたから。
人は何事かを成すために生きてるんじゃない。何も成さなくてもいいのだ。自分の一生なんて、好きに使えばいいのだ>

もちろん、この文章を書いていたころの山本氏は現在より年齢も若く、立場的にもずいぶん違う。こんな昔の文章を引き合いに出すのは間違っているのかもしれないが、私はこれを読んだ当時この言葉を抱きしめていきたいと思った。それは今も変わらない。

単行本に対しては厳しい反響もあったようだ。「恵まれている人に病気を語ってほしくない」とか、「甘えすぎているのではないか」とか。
社会的に恵まれている立場。作者のように好きな仕事ができてお金もあって周りには優しくサポートしてくれる人間もいる。この「立場」が、人々の反感を買ってしまいやすいのだろう。
なぜ。このような「恵まれた立場」の人間がうつに陥ってしまうのか。
そのあたりの、原因に対しても赤裸々な告白があれば、もっと共感を得られるし、価値のあるものになるのではないかと、ものたりなさを感じたため★はみっつ。

「病気」ひいては「悩み」というのは、その辛さは本人しかわからない。他人と分け合えるものではない。でも、「体験記」というものには、その人自身が体と心の両方を使って得た大事なメッセージが含まれている。
本書は、「なぜ、あの人が」と思うような、身近な人がうつに陥ったときにひらけば、当事者の心理や葛藤を読み解く手ほどきとして非常に有効なのではないだろうか。

この本を読み終えたときに、冒頭の抜粋の言葉がよぎったのだ。
自分にとっての大切なもの。そしてそれに対する態度。距離感。緊張感。
改めて考えさせられたし、もっと大事にしていこうと思った。

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紙の本

紙の本スピカ 羽海野チカ初期短編集

2012/04/02 16:54

白く光る星スピカは、白い衣装で踊るバレリーナのイメージ。

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

羽海野チカの初期短篇集。
「ハチミツ」と「ライオン」(7巻よかった!泣)でおなじみの彼女だけれど、
これを読むと、色々と方向性への旅をつづけてきたんだなぁと感じる。

バレエの好きなわたしは、表題作の「スピカ」がいちばん好きだが、
つづく「みどりの仔犬」と「花のゆりかご」もすてきな作品。
やさしい気持ちになれそうな、とてもなごむストーリーだ。

「スピカ」の美園優香は、「ライオン」のひなちゃんの前身ぽいと、作者。
たしかに。ひなちゃんが高校生になるとこんな感じかもしれない。
あのまっすぐな感じ。協調性を持ちながらも、きちんと自分を持っているところが。

本の内容そのものもよかったのだけれど、いちばん買ってよかったと思う点は、
この本を買うだけで、東日本大震災の被災地を少しだけ応援できること。
作者が、被災地と購入者をつないでくれている気がする。
「この単行本の印税は全て東日本大震災により被災された方々と、
被災地のためへの義援金とさせていただきます。
一日も早い復興を心より祈っております」(帯にある作者の言葉より)

タイトルとおなじ名前を持つ、おとめ座の一等星、スピカ。
パリ・オペラ座バレエ団では、プリマバレリーナをエトワールと呼ぶ。
フランス語で、星という意味を持つが(ドガの絵も有名)、かけているのだろう。
白っぽく光るスピカを率いるおとめ座は春の夜空に浮かぶ星座である。

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紙の本

紙の本最初の、ひとくち

2010/03/18 18:53

懐かしくてあったかい。思わずにんまり。

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。


 唐突だけれど、益田ミリさんっていい人なんじゃないかな。
 
 例えば、「ピノ」っていうアイスクリームのエッセイマンガ。
 「ピックを使うところがセレブだよね~」と言いながら
 益田さんはピックで食べるときに必ずアイスのまんなかを狙う。
 友人などがそんなことを気にせず食べているのを見ると
 かっこいいって思うんだとか。
 (今の、すっごくはしっこだった!!)
 っていうつぶやきがいいなぁと思う。

 こんなふうなほのぼのとした、食べ物に関するエッセイ集は、
 読むときを選ばない。
 元気がないときやちょっと調子が悪いときでも
 すらすら読めてしまう。
 気持ちと体の両方を癒してくれそう。

 ラーマゴールデンソフトの奥様インタビューとか。
 伝説のマンガ「キャンディ・キャンディ」のアイスキャンディとか。
 知っている世代の人はより楽しめそうだし、
 そうでない人も、このほのぼのワールドは味わえる。

 苺がたっぷりのっかった、優しいタッチのパフェのイラストの
 表紙に引き寄せられ、 思わず、ジャケ買いしてしまった。
 中味の美味しさに満足している。
 


 

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紙の本

紙の本夏への扉 新装版

2011/05/19 16:27

男(ヒト)と男(猫)の、ホットな友情!!は、ことしも読み継がれていく。

11人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この本は、じつは去年の初夏に読もうと思っていたものだったが、
タイミングを逃して夏をとうに過ぎてしまったので
再び巡り来たこの季節に読んでみた。

SFはあまり得意ではないので、
万能家事ロボットを発明した技術屋の主人公が
タイムトラベラーとなり・・・・・・。
という感じのこの話が通読できるか不安だったが、
読み心地のよさに、安心してページを進めることができた。
作中の未来描写もユーモラスで魅力的だった。
主人公ダンがつくったロボットの記述に
自動で掃除をして、自動で充電し、かえってくる・・・
というようなくだりがあり、『ルンバ』という商品名が浮かび
くすっとしてしまった。

そして、ラストが近づく318ページでは涙がこぼれた。
ダンの、真摯な思いが凝縮されたようなシーンだったからだ。
ピートへの、リッキィへの、言葉にならないほどの思いが
伝わってきて、胸の奥がじんとなってしまう。
彼は、たとえ時代が変わろうが世の価値が変わろうが
自分にとっての最優先事項を変えることはない。
それゆえ、彼は強くいられる。

ダンの根底にある健全さから、ふたつの言葉を思い出した。
それは、
自分の幸福を恐れる者は、幸福になれないこと。
最高の復讐とは、自分自身が幸福になること。
のふたつである。
どこで読んだかまたは聞いたのかは忘れてしまったが、
ダンには、これらの点がぶれておらず、
また、その覚悟がしっかりできているように思えた。
だから、彼は過去にしがみつかない。
彼の目線にはいつも未来があり、読む者に爽快感を与える。
334ページで語られる作者の未来賛歌。
この数行に辿りついたとき、読んでよかったと素直に思った。

猫のピートには、助演男優賞をあげたいくらいだ。
彼がいなければ、この物語は成り立たない。
「夏への扉」は、ピートへの友情を軸としたダンの、
ハードボイルドな時間旅行ともいえるのではないか。

男どうしの友情に、ヒトと猫との垣根はない。





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紙の本

紙の本火星年代記 新版

2010/08/18 20:44

生と死、光と影、がダンスを踊る

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

旧版も持っているのだが、
ブラッドベリに出すお金は惜しくない!
と思い、購入した。

旧版との違いは、カバーと解説だけではない。
冒頭にブラッドベリの序文と
本編に、新たに一話が追加されたことと、
一話が差し替えられたこと。
そして、時間の流れ。
旧版では物語のはじまりが1999年1月だが
新版では2030年1月に変わったこと。

本国での初の単行本化が1950年。
いわばファンサービスというかたちで
「21世紀を迎える読者にむけて、
 ブラッドベリ自身が改訂した」
この版は、1997年に発刊、定本とされた。

27編から成る、「火星移住」のオムニバス。
時を追って、色々な人たちの人生が語られる。
火星に移住するにあたって、
時期をずらして探検隊が送り込まれるが、
第1探検隊から第3探検隊までが
なぜか地球に戻ってこなかった。
厳重な体制でさらに第4探検隊が臨み、
民族大移動がはじまる。
火星で初めてのホットドック屋をひらく男。
樹木を植えて酸素と緑を供給しようとする男。
教会を建てようと、やって来た神父たち。
地球からはなれた彼らが、火星ですることは、
やはり地球でおこなわれていることばかりだった。
そして
たまに現れる火星人たちとのシュールなやりとり。
火星はいったいどうなっていくのだろうか。

翻訳がとてもすばらしいのだろうと思うが、
まるで1枚の長いCDを聴いているみたいだ。
詩のような絵画のような美しさを持つそれぞれの曲が
しずかに、問いかけるように、歌っている。

火星と地球が敵対し派手な戦いを繰り広げる話ではない。
淡々と個人の暮らしが綴られる。
そこに、人生の悲哀、文明への皮肉や警鐘が込められる。
どれだけ時が過ぎようとも、人が生きるかぎり
普遍である生への執着、死への恐怖。
それは愛への執着であり、孤独への恐怖ともいえるだろう。
生まれた星をはなれて暮らすことは
じぶん自身への疑問という絶望がつきまとう。
そんなかなしさが伝わってくる。

27編のうち特に印象的だったのは
「夜の邂逅」と「火の玉」である。
「夜の邂逅」でトマスは考える。時間の色とは、音とは、匂いとは。
あたりまえに存在するものに対しての問い。
これも本編でブラッドベリが伝えてくるテーマのひとつだと思う。
そして時間に対する問いとはじぶんの人生に対する問いでもある。
生きているかぎり時間を消費するわけだけれど、
それはいろんなことを選択したりしなかったりの連続だ。
その瞬間は、正しい選択をしているかどうかわからない。
後になってわかるせつなさ。

「火の玉」では人の獣性がえぐり出される。
人を見下すエゴ。自己顕示欲。偽善。
無欲というステージはあまりにも高いところにある。

美しい表現が散りばめられる中にも
深い哲学が内在している。
きっと何年も何年も読み継がれる本だと思う。





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紙の本

紙の本嵐が丘

2010/07/09 17:12

多くの人々が、取りつかれてしまう理由。少しわかった気がします。

12人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

最後のページを読み終えたときに、鳥肌が立った。
もう一度読みたい、と思った。
そして、とても後悔した。
なんでもっと早く読まなかったのか、と。
出会ったのは、ずいぶん前だったというのに。

「嵐が丘」を読んでいたこの一週間というもの、
他のことをしていても、続きが気になって仕方がなかった。
読み始めたころは、時代があまりにも違いすぎて
小説の世界に入り込むのに少し手間取ったが、
「ディーンおばさん」が登場し、語り始めるところから
がぜん、面白くなってきた。

しばらくは、これは完璧なエンタメなのだと理解していた。
昼メロと犯罪系2時間ドラマを足して、2で割ったような。
しかし、読み進めていくうちに、
物語に徐々に深みが増していった。
これは単なるメロドラマじゃない。
復讐の狂気を描いているだけの話じゃない。
「人間が本来持っているもの」が書かれている。
そして、それらを際立たせるために色んな工夫がしてあるのだ。
二世代間をとおし、ふたつの対立する「名家」をめぐって、
人間の持つ、崇高な美しさと醜い獣性が語られていく。

孤児で蔑まれてきたヒースクリフの
心の一番の拠り所は、キャサリンだった。
しかし愛するキャサリンはエドガーと結婚してしまう。
ヒースクリフは、失望してしばらくの間姿を消す。
そして、富と成功を手にしてから復讐の鬼と化し
悪魔のような行動に出る。
ここでわたしが思い浮かべたのは
タロットカードの「悪魔」という札である。
ヤギのような角を生やし、コウモリのような羽をひろげた悪魔と、
鎖で繋がれた恋人たちの絵。
解釈は色々あるが、「囚われる」というのが大きなキーワードである。
ヒースクリフは、じぶんの支配欲の赴くままに、
復讐劇を繰り広げていくが、
他人を抑圧すればするほど、じぶんのことも苦しめることになるのだ。
「捕えよう」とすれば「囚われて」しまうパラドックス。

復讐するために、社会という枠組みの中で、
力をつけ財を得るという戦いを開始したその時点で、
ヒースクリフは、すでに囚われの身になっているのだ。
現代ではおそらく(小説とか、実生活以外のところでも)、
ここまで人生のすべてをかけて復讐に燃える人物など、
めったに見当たらないのではないだろうか。
(現代人には)そこまで暇も余裕もないというのは承知した上で、
ヒースクリフの、「相手を倒す前にじぶんに力をつける」という
スタンスは、評価したい。それはひとつの美学だと思う。
ヒースクリフのように、ここまで極端ではなくても、
悔しさが、何かを開花させるというのはよく聞く話である。

「嵐が丘」は、たしかに復讐譚であることは間違いないし、
いやな気分になるような残酷シーンもあった。
しかし、わたしには、泥くさいまでの人間劇に映った。
そこまでやるかと思わせる、あの執念。
それは、
徹底的な「生への姿勢」ということではないか、と。
相手をすぐに殺害したり、じぶんが(あてつけに)自殺したりといった
安易な方法ではなく、
両方とも生きたまま復讐をつづけるには
ものすごい根気と熱意と労力がいる。
とにかく相当なエネルギーを要するだろう。

最後に。
新訳の鴻巣さんのアイディアで
「嵐が丘」に対抗する「スラッシュクロス屋敷」が
「鶫の辻」という、なんとも絶妙な呼び名に変わった。
名訳だと、記しておきたい。




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紙の本

紙の本少女地獄

2009/05/10 03:09

クラシックでモダン、そしてリリカル。

10人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

幻想とかホラーとか苦手で、夢野久作の名前だけは知っていたのですが
江戸川乱歩とか横溝正史とかと一緒で、おどろおどろしくて
読む気にはなれなかったのです。

きっかけは桜庭一樹が角川文庫でお奨めしていたから。
おそるおそるページをめくりましたが
予想ほどにはグロくなかったです。
むしろ繊細な女性の心理がよく描けていると思いました。

ストーリーは三話のオムニバス形式です。
一話ごとの関連性はありません。
特に面白かったのは一番はじめの「何んでもない」でした。
姫草ユリ子というなんともいえない名前の女性が
じぶんでつくりあげた虚構に苦悩する話です。
ひとつの嘘を守るためにどんどんハリボテの嘘を重ねてしまい
嘘で固めた城が、どんどん彼女を追い込んでいく。

読み出したら止まらない、ちょっと癖になる文体。
「ドンナ」「アンナ」など奇妙なカタカナ使いも新鮮。
とりあえず一番最初の夢野作品なら断然これが読みやすいです。

先日ついに「ドグラマグラ」に手を出しました。
村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」みたいな中毒性があります。
濃厚な小説世界は他の追随を許しません。
ただ個性的なぶん、読み手を選ぶというか好き嫌いははっきり分かれそう。
確実に言えることは昭和初期に書かれたものなのに
いま読んでも新しさを見つけることができるということです。

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紙の本

紙の本ちいさいモモちゃん

2011/12/06 16:47

モモちゃんに、万感を込めて、『おかえりなさい!』

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

なにげなく立ち寄った書店で、ふっと目に飛び込んできた、たった二冊の平積み。
はるか昔に出た版はとっくにどこかへ行ってしまい、
いつかまた文庫で出してくれないだろうかと願っていた「ちいさいモモちゃん」。
幼いときに単行本をよく繰り返して読んでいて、
文庫が出たときもまっさきに買ったのだった。そういえばあのときは
寺村輝夫の「王さま」シリーズも大人むけの文庫版で出ており、購入した記憶がある。

ああ、モモちゃんだっ。少女向けじゃなく大人むけの文庫のほう、復刊したんだ!!
しかもこんなシックでかわいらしい装丁(酒井駒子)で生まれ変わったなんて。
本をみつけたその瞬間。嬉しいおどろきに包まれた。
ひさしぶりだね、モモちゃん。うちへおいで。
そんな気持ちで抱きしめながらレジへ。
帰り道も、バッグのなかにモモちゃんがいるのだと思うとわくわくした。

うちへ帰ってあけてみると、さらに嬉しいことにこの文庫には、
「ちいさいモモちゃん」と「モモちゃんとプー」が収録されていた。
ああ。プー。あのまっくろくろすけの、クーだったプー。
やさしくて、勇敢で、ちょっとやきもちやきの、黒猫プー。
昔お世話になった人に、ばったりと出会ったような気分であった。
モモちゃんも、プーも、心の奥のほうの引き出しに、たしかに息づいていたから。
そこには寺村輝夫の「王さま」も、リンドグレーンの「ピッピ」も住んでいる。
お気に入りで、何度も読み返した、幼いときの記憶たち。

モモちゃんの日常にはリアルとファンタジーが混在している。
自然に暮らすいきものはもちろん、家の中にある無機質なものたちにも、
著者の松谷みよ子はことばを与え、生きていることをかがやかせる。
ものにも気持ちがある。
いっしょうけんめい今まで役に立っていてくれたのだから、
粗末に扱ってはかわいそうだし、大事に扱えばここいちばんに威力を発揮してくれる。
スプーンがしゃべったり、牛乳瓶が走ったりする描写に懐かしくなりながらも、
いまだに、ものや動物の気持ちが見えるような気がすることがあるのは、
もしかしたらモモちゃんを読んだ影響が大きいのかもしれないなと苦笑いした。

今回読み返してみたのはなん十年ぶりなのに、
あいかわらずわたしは、ママの気持ちではなくモモちゃんの気持ちで読んだのだ。
おそらくわたしはモモちゃんのママよりはるかに年上のはずだろうに。
でもこの本にはそういう魅力がある。
松谷みよ子があくまでも子どもの目線で書いているから。
子どもの目に見えること、耳に聞こえることをそのまま書いているからだ。
もぐらやねずみはもちろん本当にしゃべるわけではないのだけれど、
(それに、いまの都内ではめったに見かけなくなってしまったけれど)
子どもの敏感な感性は、生そのものをとてもつよく感じ取ることだろう。

幼いときには、多かれ少なかれ、ものの声が聞こえたりするのではないだろうか。
いつから聞こえなくなってしまうのだろう。
スプーンは、食器棚の引き出しに仕舞い込まれ、人間が取り出さないかぎり、
そこから出てくることはない。ましてや、しゃべるなんて。
そういうふうに思い始めるのは、いったい、いつからだっただろう。
そして大人になって小説を読むときは、
口をきかないものが口をきくとき、比喩として意味を探るようになるわけだ。
けれども、モモちゃんの世界はあまりにもストレートで、
わたしは書いてあることばどおりに、そのまま受け取ってしまうのだ。
いまも昔も。

この本は、モモちゃんが生まれてから、六歳(小学一年生)になるまでのお話。
ちいさいモモちゃんはいつの間にかおねえちゃんになっていて、
喜びも大きいけれど、ママをひとりじめできないせつなさも味わうようになる。
そんなシーンを読んでいると、ふっと涙が出そうになるのだった。

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紙の本

紙の本もうすぐ絶滅するという紙の書物について

2011/06/27 21:32

本(と、本を集めること)を愛するすべての人へ。

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

題名に惹かれて、手にとったのだが、
最初の序文を数行読むだけでてごわさを感じた。
ん?これはわたしに読み通せるだろうか、と。
たしかにある程度の根気は必要だったが、
読み進むうち、納得できる場面もいくつか登場し、
そんなに気負うことなく読了できた。
ただ、ここに書かれているすべてのことを理解できたとか
そんなことはつゆほども思っていないし、またそうである必要もない。
意外にも、まぁ気楽に読んでくださいよ、と語りかけてくるような
親しみやすささえ持つ本だった。

超級のインテリ(こんな言い方が適当かどうかわからないが)ふたりが、
本をめぐるありとあらゆるものごとを語り合っているのだから、
やすやすとページをめくっていけるものではなかった。
知らないことについて多分に割かれたページの意味を、
そんなに深く探ろうとしないことが、読了のポイントのひとつかもしれない。
と、なかばひらきなおったところもある。
だって立ち止まったらきりがない。果てしない知のシャワーを浴びっぱなしなのだから。
でも大丈夫。
本が好き、本を読むことが好き、という気持ちをすこしでも持つ読者なら、
対談者たちの本に対する愛情を必ず汲むことができるだろう。
思わず、うん、あるある、と顔がにやけてしまうかもしれない。

この本は決して電子書籍を危惧するものでも批判するものでもないし、
時代に警鐘を鳴らすものでもない。
そんな堅苦しいものではなく、
わたしたちが呼吸しているこの現代を
色々な角度から過去の鏡に映して切り取り、
書物の持つ特性を浮かび上がらせてくれる一冊なのだ。
本、インターネット、出版や印刷の事情まで絡めながら
ふたりの投げる言葉のボールは多方向へ飛んでいく。
それはとてもスリリングである。
でも彼らの語りのレベルがみごとに互角で、
(どちらかの力に圧倒されてしまう対談は成り立たない)
対談という形式を壊さずにいながら、波打つように展開していく。
読者は彼らのおしゃべりに、はっとしながらも
全面的には安心して身をまかせることができるのだろう。

いちばんおもしろかったのは「我々が読まなかったすべての本」という章。
進行役がふたりに衝撃的な質問を投げかける。
おふたりはじつに様々な書物について語られていますが、
それらは、実際に読まれたものなのですか。
教養人というのは、知るべきとされる書物を必ず読んでいるものなのですか。
なんとも素朴にしてぶしつけな質問だろう!
これに対して、インテリジェンスあふれるふたりが
どのように答えていったか、ぜひ読んで確かめていただきたいと思う。

対談の最後のページをめくり、訳者のあとがきに辿り着いたとき、
読者はこれまでの長い旅路を反芻し、なにか達成感のようなものを感じる。
あとがきにはまれに、今まで読んできた本文を台無しにしてしまうものがあるが、
このあとがきは、本文の内容と読了した時間をさらに充実したものにしてくれる。
明晰な訳者の言葉にまるでねぎらわれているような、
そんなあたたかさが胸におりてきて、ほっとした気持ちで
この分厚い本を閉じることができるのだ。
わたしはこのあとがきを、本文の最初と最後に二度読んだ。
興味を持ってこの本を手にしたら、まずあとがきを捲るのもいいだろう。
ここにはこの本の魅力が端的に詰め込まれている。

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紙の本

読む人に、観た美味しさを分けてくれる映画エッセイ。

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

この人はどうして
こんなにわかりやすいのに
心に深く残る文章が書けるのだろう。

この本を読んで、
まったく知らなかった映画を二本、観たくなった。
著者の程よい説明で、未知の映画の世界の入り口に立つことができ、
映画に寄せる思いを読むうちに、その世界を実感したくなるのだ。
観たことのある作品については、記憶がふんわりと蘇り、
ああ、こういうとらえかたもあるのかと新鮮さを感じることもある。
どちらにしろ、発見があるのだ。

考えさせられてしまったのは
「ペイ・フォワード 可能の王国」の評である。
著者は最初から真剣に注意深く語りかけてくる。
思いも寄らない不幸に見舞われて、悲しみを背負っている人に対して
なぜそうなったのかと原因を追求するのは意味のないことだ、と。
彼らにとっていま必要なのは、
背負っているものをどのようにして耐えていくか、
(負荷をどれだけ軽くできるか)
ということなのだから、と。

傍観者が当事者を少しでも理解するには、
WHYではなくHOWの視点に立つことが必要なのかもしれない。
先日見たテレビ番組で、偶然〈HOW力〉という言葉に出会い、そう思った。

「ペイ・フォワード 可能の王国」には、
予想外の悲しみを背負ってしまった人が何人か登場する。
そのうちのひとりである少年が、
通っている学校の授業で教師から問いかけられる。
世の中を変えたいと思ったら、自分になにができるか、と。
そして少年はペイ・フォワードという言葉を考えつく。
人から親切にしてもらったら、
その人にペイ・バック(過去のつけの返済)をしなくていい。
そのかわり、今度は新しく誰かに善意を返す。
それを少年はペイ・フォワードと呼ぶことにしたのだ。
仮に、ひとりから親切にしてもらった人が三人に善意を返すとしたら
つぎは九人がペイ・フォワードされることになり、
世の中に少しずついい空気が流れ始めるのではないか。
少年は地道にペイ・フォワードをつづけていく。
しかし、親切はあだになることさえあり、現実は厳しい。
でも、蒔かれた種はきちんと深く植わっていて
芽を出す準備をしていた・・・・・・。

評されたタイトルは三十本。
この本で取り上げられた映画は、ハリウッド系よりも
単館ロードショーをしていたような、地味でじわじわくるものが多い。
現在だと入手しにくいDVDもあるかもしれないが、
もしお気に入りの一本が見つかったら本当にお得である。
もちろん、映画を観る観ないを別にして
エッセイを読むだけでも、じゅうぶんに味わいがある。

あとがきによれば、
本書は雑誌『暮しの手帖』の連載をまとめたものだが、
最初、著者は連載の依頼を断っていたらしい。
映画は仕事抜きでたのしみたかったからだ。(著者は映画好きだから)
しかし編集者の熱意により、ついに単行本化されるに至った。
そして幻冬舎の編集者の熱意により、単行本が文庫化された。
結果的に、読者のもとへすばらしい本を届けてくれた編集魂にも、
感謝したいと思う。

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