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ナンダさんのレビュー一覧

投稿者:ナンダ

59 件中 16 件~ 30 件を表示

不条理を見すえ、現実と格闘するヒューマニスト

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 絞首刑のあと、死体の近くで酒を飲み笑いころげる。ロバの死骸が路傍で犬に食われるのを見て腹をたてるのに、薪を背負って運ぶ貧しい老婆には同情のかけらも感じない。白人である筆者を尊敬する黒人兵を見て「あといつまでこの人たちを欺いていられるのだろう」と考える。
 暴れ象を射殺したときは、貴重な財産である象を撃つ必要など感じないのに、「土民たち」の期待が高まり、支配者としての威信を保つため射殺する。後から苦力が象に殺されていたことを知って「これで象の射殺を正当化できる」とホッとする……。
 植民地で憲兵をつとめるオーウェルは植民地支配を不当だと思っている。でも彼の描くのは、死=厳粛、被支配者への共感、人種差別=悪……という「良心」の型におさまらない光景ばかりだ。非倫理的で不条理な光景や思考を正面から見すえることで、植民地では、支配者(白人)もまた「支配者」の役割を演じる滑稽な操り人形でしかないことが浮き彫りにされる。

 自らの主義や良心や立場によって、現実を見る目が曇ることをオーウェルは徹底的に戒める。だからファシストだけでなく、「味方」であるはずの左翼をも批判する。
 スペイン内戦を前にして左翼雑誌は当初、「戦争は地獄」と平和主義を説いたが、後に「戦争は栄光」とロマンチックな戦争を描きだした。主義や方針の転換によって「現実」の描き方は簡単に転換した。
 オーウェルは、悪臭と汚物とシラミにまみれた戦争の現実から説き起こし、「『正義』のためだろうとシラミはシラミだ」「反ファシスト派のほうが大筋では正しいが、いずれにせよ、党派的歴史であって細かい点は信用できない」と書く。
 書かれたものだけが「記憶」となる。だからこそ、政治的な抽象的な言葉ではなく、現場の不条理な現実を具体的に記録しようとしつづけた。

 地べたの現実を見つづける彼の立場から第二次大戦を見ると、ヒトラーに降伏するか戦うか二者択一の状況のなかで、「絶対的平和主義」などは茶番である。むしろ「進歩的になりすぎた左翼の腑抜けどもよりはましだ」と軍国主義者を評価する。軍国主義者は、忠誠を尽くす対象が社会主義に転換する可能性があるが、「革命のとき、ひるんで逃げ出すのは愛国心を感じなかった人間」だからだ。

 では、反ソ連の立場を明確にした社会主義者であるオーウェルにとっての「希望」はどこにあったのか?
 彼は「国際的プロレタリアート」という左翼のスローガンは「絵空事」と断じる。「大半の労働者は他国の虐殺よりサッカーのほうが関心がある」からだ。だが一方で、労働者だけが最後までファシズムとたたかいつづけるだろう、と期待を寄せる。植物は盲目で愚かだが、常に光の方に向かって伸びることだけは知っている。同様に労働者はひとえに人間らしい生活のためにたたかいつづける--と。
 彼は労働者の「物質主義」を「人間の運命や存在理由に悩むのは、苦役と搾取をなくした後である」と擁護する一方で、長いスパンで見たときは、「死後の生命に対する信仰=キリスト教」が消滅した後の穴を埋める「天国と地獄とは別の善悪の体系」をつくらなければ人間が文明を救うことはできないだろうとも書いている。
 格差や物質的貧困と同時に、「幸せ」の姿が見えなくなっている現代の日本を予見しているようだ。でもどんな混迷状態にあっても、「人間らしい生活」を求める意思は人類が生き残る限り存続するだろう。そこにこそ希望がある、とオーウェルが今生きていたならば語るのではないだろうか。

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紙の本日常を愛する

2009/02/01 12:52

社会変革の志と日常への愛と細やかな感受性をあわせもった老医師のエッセー

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 戦前の左翼学生が「人民への奉仕」をテーマに小児科医になった。
 中流時代になるにつれ、「階級闘争」は大時代的になってきた。「市民的抵抗」にしても、「市民というのは政治で飯を食っている人にはわからないほど、なかなか忙しいものだ」。そうした変化を冷静に見つめ、筆者はしだいに日常の重みへと視点を移していく。
 この本は、「日常」を愛しその大切さを訴えてつづった晩年のエッセーだ。
 老いと死を前にして、「先が見えてきた」なかで本を読みつづけ、自立した個人としての生き方を日々の生活のなかで追求しつづける姿が神々しい。死ぬ前日まで、育児本の改定をするために、最新の医学書のチェックを怠らなかったという。
 日々の生活や政治と格闘しながら、細やかな感受性と青年時代からの志をもちつづけられたのはなぜだろう。
 以下に列挙するように、筆者の言葉ひとつひとつが朝露の滴のように輝いている。彼の言葉の輝きは、彼の人生の輝きそのものなのだろう。


「 世界は虚無であるからこそ、人間と人間でつながりあった世界をきずかねばならぬ」
「 自由を好む人間にとって恐ろしいのは、神の名や家族の愛の名のもとに、個人の生き方(自己決定権)が否定されることです」
「 私は私だという個性を大事にしたい気持ち、その個性を少しでもいいものにしようという気持、それが他人から認められたときに誇りが生まれます。……人格の尊重、人権の尊重のない社会では人間の威厳はありません」
「情報産業が力をもつと、日常を支える平凡をくだらなく思う風習になってきた。旅行、商品、海外……どれも日常からの脱出だ。……戦争という日常の否定に国民がかつてなぜ参加したか。当時の情報産業が、新規なもの、センセーショナルなものとし送り込んだものが、やがて洪水になって日常をのみこんでしまったのだ」
「(老い)むだだった骨折りの集積のなかに、むなしさばかりでないものが、でてくる。その少しばかりの甘美なものが、やがておそってくる理不尽な虚無である死を、多少こわくなくしてくれる」
「(不沈空母発言について)74歳になる私は艦のどこで本を読めばいいのか。孫の男の子は艦のどこでミニカーを押していいのか。まだ治療を続けている妻は艦のどこで休んでいればいいのか。とまどわねばならぬ。大いにとまどわねば。国を航空母艦にするということは、老人、女、子供、障害者は足手まといになるということだ」
「革命運動も学生たちにとってはボランティア活動だったというべきだろう。いまその運動から離れている人には、その運動がいかに偉大だったかではなく、それに参加したことが自分の生をどれだけ豊かにしたかを書いて欲しい」
「いっしょに生き、同じ思想をもち……65年たったが、まだおたがいを知りつくせない。それだから、いつ会っても、いくら話してもたりない気持で別れる。だから人間は孤独であるとは言わない。だからこそ、みんなで、おたがいに理解できる部分をつくっておかないと社会はもたないと言いたい」

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紙の本キャパその死

2008/10/16 08:50

伝説の写真家は孤独だった

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 ヨーロッパ戦線で連合国軍が勝利し、仕事もなくなり、ピンキーという恋人も失った。何をしていいかわからなくなり、途方にくれ、気力を失った。31歳のときだった。
 映画や回想録づくりなどを試みるが、戦場写真ほど満足できる場が見つからない。稼いだ金は女漁りとシャンパン、ギャンブルにつぎこむ。そんなとき、イングリッド・バーグマンと出会い、愛しあった。
 貧乏カメラマンのアンドレだった時代に夢見た地位も名誉も女性もすべて手に入れたのに、彼の内面は空虚だった。
 マグナムを創設し、レッドパージで弾圧されかかり、建国されたばかりのイスラエルをユダヤ人の立場で取材する。それでも空虚さは埋まらない。
 そんな状態で日本を訪ねたとき、「急用ができたカメラマンのかわりにちょっとだけベトナムに行ってくれないか」と頼まれる。再び名声を確立し、自ら復活するきっかけになるのでは、と判断したのだろう。インドシナに向かい、敗色濃厚なフランス軍を取材することになった。20日もたたない5月25日午後3時、地雷をふんで死亡した。
 「ロバート・キャパ」という伝説にしばられ、最後はあがいていたように見えるという。
 筆者の細かい取材による、場面の再現。その綿密さと莫大な労力には舌を巻くしかない。

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紙の本だれが「本」を殺すのか 上巻

2008/08/31 15:23

再販制がもたらす書店の甘え

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 本は、再販制と委託返品制に守られてきたという。
 売れなかったら返品してもよい、定価が決まっていて不当なダンピングがないから「良質だけど売れない本」を扱える。もし書籍独特のこうした制度がなければ、「売れる本」しか作らなくなってしまう--。
 再販制撤廃に反対する出版者のそんな声をきいて、なるほどそんなもんかな、と思ってきた。
 ところがそう単純ではないらしい。「売れなければ返せばいい」と思うから、売れる見込みのないものまで注文して、それをどんどん返品してしまう。だから書店から取り次ぎに本の注文が入っても「どうせ返品だろ」と取り次ぎは信用しない。その結果、店頭で本を注文しても消費者に届くまで2,3週間もかかってしまう。
 流通という血管が目詰まりをおこしているのだ。
 返品が可能だから、「仕入れ」に対して書店の甘えが生じる。売ろうと努力しない…
 大型店のジュンク、老舗の海文堂、こだわり書店、ユニークな地方書店、取り次ぎ、出版社……。下流から上流まで徹底的にさかのぼって取材して、「本」の危機を浮き彫りにしている。

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紙の本在日

2008/06/11 01:20

全世界に「在日」がいるという気づき

12人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 在日問題に限らず、イラクやアフガンなど様々な問題で辛口の発言をしている筆者の基盤は、ふたつの故郷の狭間にいる「在日」という境遇にある。インサイダーでもアウトサイダーでもないからこそ、どっぷりと日本に浸りきっている日本人には見えないものが見えるという。
 「狭間」の境遇を積極的に生かす筆者はしかし、子供のころから自分のおかれた状況になやみつづけてきた。そんな半生を、格好つけず、てらうことなく、赤裸々につづっている。
 在日2世として朝鮮戦争の年に熊本に生まれた。学校では歴史の授業に疎外感をおぼえ、家では、かたくなに朝鮮半島の因習にこだわる母に違和感をかんじた。
 一世にある「朝鮮民族」としてのアイデンティティは欠落している。かといって日本人にはなれない。根っこがない不安定な感覚になやみ、ときに過剰なほどにナショナリスティックにもなった。
 「在日」としての自分、「在日」の世界観にしばりつけられていたことに気づかされたのが、30歳を前にしたドイツ留学のときだった。
 在独ギリシャ人の友人の父母は、ドイツでは差別され、それでもギリシャ文化を頑固に守りつづけていた。まさに自分の父母ら「在日1世」とおなじだった。在日は孤立した存在ではない。全世界に「在日」がいる。在日の問題は普遍性のある問題なのだということに気づく。
 今は、一世の思いを胸にしっかり抱いて、しかし、彼らにできなかったことをやっていこう、「東北アジア人」として生きていこうと思っているという。

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利子がつかぬ通貨が地域に果たす役割

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 モノは、時間がたてば古くなり価値がなくなるのに、通貨は長期間保有するほど利子がついてもうかる。モノやサービスとの交換手段にすぎない通貨が、なぜそんな特権的な機能をもつのか--という疑問が全編にわたって提示されている。
 利子が得られるからためる。ためこむから流通がとどこおり、社会全体の購買力が減り、不況をもたらす。「利子」は商品やサービスの価格に付加されるから、けっきょく末端の消費者が損をする。利子で生活ができる金持ちと、微々たる貯金しかできない庶民のあいだの不平等を生みだすことになる。
 それを解決するために「地域通貨」が登場する。他のモノと同じように、時間がたつほど価値が減る、あるいは価値が増えない。
 「庭掃除」とか「家具作り」とか、会員が自分の提供できるモノやサービスを登録し、その報酬を地域通貨でうけとる。会員の商店やホテルでは、全部または一部を地域通貨ではらえる。
 また、1カ月ごとに1%の額のクーポンを買って裏面に貼らなければつかえない、といった価値が減るシステムを導入することで、できるだけ早くつかおうとする。だから通常の通貨の数倍のスピードで流通する。実際、1929年の大恐慌時に地域通貨を導入し、雇用増と活性化に成功した町もあるという。
 地域に限定した通貨だから、金・資本がコミュニティの外部に流出しない。大規模店の進出で危機に直面する商店街などでも効果をあげる可能性がある。多国籍企業に対抗する手段にもなりうるだろう。
 さらに、個々人が自らの思わぬ能力を開発することにつながるケースもある。地域通貨のネットワークに参加することで、自ら提供できるサービスやモノをかんがえる。普通のカネの世界では仕事とみなされなかったささやかなサービスや品物が新たな仕事として浮上する可能性があるという。
 ただ、「減価する通貨」を導入しさえすればいい、と単純に結論づけることはできない。ハイパーインフレの社会では「減価する通貨」があたりまえであり、貯蓄しても意味がないから、すぐにモノを購入し、貯蓄が意味をなさず刹那的に生きるしかない……。
 そう考えると、地域通貨はあくまで「地域」に限定するから有効であるととらえたほうがいいのだろう。
 いずれにせよ、カネの考え方を180度かえる興味深い本だった。

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紙の本戦争論

2008/05/13 12:42

「死」の実感と想像力をとりもどそう

10人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 戦争開始を決めるときには、すでに「戦争やむなし」の雰囲気ができている。政治の手段としての戦争ではなく、戦争が政治決定の前提になっている。
 国民国家の成立とともに、国家は戦争機械となり、合法的戦争が生まれた。欧州では、形式民主主義とひきかえにする形で徴兵制度が生まれている。
 日本は富国強兵のかけ声のもと徴兵制がつくられ、軍隊の規律にあわせるように教育制度も設計された。軍が社会のモデルになってしまった。自由な発想は禁じられ、しまいには戦略研究もなされぬ思考停止におちいった。拡張主義によって列強に対抗しよう、という強い意志の結果だった。
 日清・日露戦争が有利な戦況に終わり、国民のなかに「強国だ」という誤解と、中国人蔑視が刷りこまれた。「中国には近代的軍隊はない」という誤ったイメージができあがった。
 真に自由な人間は他人を奴隷化できない。奴隷が奴隷を破廉恥に弾圧する。そういう意味では旧日本軍は奴隷の軍隊だった。自らが奴隷的あつかいをうけているが故に、自分より「下」の人々を奴隷としてあつかう。
 ナチスのホロコーストは逆に、近代合理主義が生んだ「死を製造する工場」だったという。近代技術と、官僚・軍・工業・党が結びついてきわめて合理的につくられた。だれもが罪の意識をもたず、「死」の実感が消えてしまった。「仕事だからしかたない」という感覚だ。コソボを空爆したNATOの兵士も同様だ。爆撃によってセルビア兵が民族浄化を激化させ、空爆さえなければ死ななかった人が無数に殺されたが、パイロットが罪の意識をもつことはほとんどなかった。
 だが、銃を手に民衆を射殺する兵士の姿や、殺される民衆の顔が具体的に見えてきたとき、マクロな善悪では割り切れない戦争の犯罪性が見えてくる、という。
 ちょっと前の日本では、証券マン・銀行マンが、「仕事だから」と自己正当化して、老人の年金をふんだくり自殺に追いこんでいた。でももし、老人たちが首をくくる場面を実際に見たら、「仕事」とは割り切れないだろう。
 サラリーマンの仕事だろうと、戦争における軍人だろうと、会社員・軍人である前に「人間」として自らの行動に責任を負わなければならない。そうした「個の倫理」をささえるのは、具体的な現場の「人」を知ろうとする姿勢と、その人たちの苦しみをおもんぱかる想像力であろう。そのことがよくわかる。

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紙の本月と六ペンス

2008/04/28 12:39

中年の危機を突き放して描く

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 その昔、中学時代に読んだときは、モデルがゴーギャンであることさえ知らなかった。無口でまじめなだけの40歳のイギリス人の中年が、いきなり妻や子を捨てて家をでて、極貧も気にせずに絵を描きはじめるのを見て、「へんなおっさんだなあ」と思ったくらいだ。
 主人公ストリクックランドはパリで世話になった画家の妻を寝とり、その後主人公に捨てられた女は自殺する。それでも良心の呵責もかんじない。妻を寝とられた画家は、親切を仇でかえされたのに、主人公の才能にほれて、「僕と一緒にオランダに来い」とまで言うお人好しだ。
 一文無しになって野宿生活をしながら機会をねらってタヒチにわたり、死ぬまで絵を描きつづける。最後は不治の病と言われたライ病を患い死ぬ。
 その後の英国に残した妻子の記述がまた圧巻だ。死後有名になった元夫を「誇り」とし、夫の仕打ちを「許す」のだ。息子は社会的な地位もある軍人になり、平穏無事な上流階級生活をつづけている。
 平々凡々の上流生活を何十年変わらずつづける家族、そこから抜けだして波乱の生涯をおくる主人公、親切で人がよいけどなぜか魅力がない画家、主人公の危険な香りに酔ってしまった画家の妻、そして、そのすべての登場人物について語る「私」……。
 20年前は単なる物語として読んだが、実はこれらすべての登場人物は作者自身の多重な人格ではないのか、と思った。
 40歳で出奔することも、平凡な生活に流されつづけることも、それに漠然とした焦りをかんじることも、「危険」に酔いしれることも、だれもが味わう「中年危機」の心の揺れ、「平々凡々」への焦りなのだろう。
 特に哲学的に深いわけではない通俗小説なのだが、冷酷に突き放した人物描写に時折ドキリとさせられる。例えば……
 「追いすがる別れた男にとりわけ残忍な女」「女にとって恋愛はすべてだが男にとっては一部でしかない」「1人の女の死など医者にとっては統計数字の1つにすぎない」「(主人公の足跡をたどったタヒチの旅を終えるとき)もう2度と訪れることはあるまい。僕の人生の一章が閉じられた。そして僕は、避けがたい死の運命の足音の、またしても1歩近づくのを聞いた」

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紙の本奇跡を起こした村のはなし

2008/04/19 12:41

自立する村の条件

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「戦争になだれ込み破滅していった昭和史を少し丁寧に読み解けば、その前段に地方行政の手詰まり、怠慢、無能力があったことがわかるだろう」
 冒頭、こんな言葉が出てきて、そうだったんだ、と目の前が開けるような気がして買った。
 新潟県黒川村の物語だ。豪雪と天災とに悩まされる貧しい出稼ぎの村だった。そこにあらわれた31歳の村長が中心になって、集団農場をつくり、冬場に出稼ぎをしないですむようスキー場をつくり……いつしか過疎から脱却し人口増に転じた。その足跡を何年にもわたって関係者に丹念に聞き取ってまとめている。
 まずは青年たちを集めて集団農業の新しい村をつくる。冬場の働き口を求めて手作りでスキー場を開き、泊まってもらうためにホテルを開く。減反対策と農家の収入安定をはかるため畜産団地をつくり、その肉を生かすためにソーセージ工場、さらにそれと関連してビール工場、そこで使う原料を供給するために大麦を植える……
 「村おこし」は全国的に盛んだが、ほかと違うのは、施設のすべてが村営で、働いている人も村の職員であること。スキー場の整備をするのも山を切り開くのも村職員、インストラクターも職員、ホテルのコックも職員だ。
 若い職員には海外の研修をつませる。1年間、ヨーロッパなどの農家に住みこませる。帰ってくると「チーズ工場をやらないか」などと何億円の事業を丸ごと任せてしまう。必死になって勉強してその期待に応えようとする。海外で勉強した内容よりも、異文化のななかで1年間すごした経験じたいが大事なのだという。
  「村おこし」で建てたハコモノが全国各地で無残な末路を歩んでいる。そういう事例とのちがいはどこにあるのか。
 農民との生活、できた産品の活用、家畜の糞尿などの活用、それと村民の生活向上との関連づけ。水ものの「観光」に過度に寄りかからず、たえず村民の生活とのかかわりのなかで考えている。なんでも民間にゆだねればよい、という最近の風潮と一線を画する態度は、「役場」の責任感と意欲を感じる。
 バブル崩壊を乗り越え、多大な成果を積み上げてきたそんな村も、2005年に合併でなくなった。その寂しさや悔しさ。これが危ない時代への第一歩にならなければいいのだが。

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紙の本阿片王 満州の夜と霧

2010/01/05 22:42

人間的な魅力に満ちた阿片王

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 戦争中阿片王と呼ばれた里見甫の半生と、その周囲の人物を丹念に追う。個々人の生き様を詳細に描くことで、日中戦争が「アヘン戦争」であったという構図や、戦後にもつらなる右翼人脈の流れ、はたまた731部隊のことまで浮き彫りにしていく。
 筆者は「小文字」で記すことの大切さをあちこちで説いている。この作品の場合は、登場人物たち一人一人の人生が「小文字」だ。大上段に振りかぶった「論=大文字」ではなく、小文字に徹することでリアリティを高めている。
 たとえば、終戦後の京都での里見の潜伏先をつきとめるため、銀閣寺周辺を数日間かけてしらみつぶしに歩く。土地建物の不動産登記と、それより古い土地台帳を片っ端から閲覧する。昭和20年代の市街地図や電話帳にもあたっている。そうした膨大な取材が、「小文字」を生き生きと描写する材料になっている。
 取材過程そのものを描くという手法は筆者が好んで使っている。またこのパターンか、と思わなくもないが、読んでいるうちに引き込まれてしまうのだから、その筆力には脱帽せざるを得ない。
 主人公の里見という人間は「阿片王」というおどろおどろしいあだ名とは異なり、私腹を肥やさず、ひょうひょうとしていて、女性にはめっぽうもてた。独特のダンディズムを生涯通し、カネに執着しない人だったという。
 「児玉ヨシオや笹川良一のようなチンピラではなかった」という証言が本文中に何度も出てくる。笹川や児玉のようにカネにこだわらなかったから戦後は不遇だったのだが、「ああこんな生き方っていいなあ」と思わされるほど魅力がある人物として描かれている。

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紙の本「非国民」のすすめ

2009/02/01 12:31

息苦しい時代の「生活保守主義」を批判

12人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 監視カメラ、防犯パトロール……といったものが「犯罪抑止」の名目であちこち増えてきた。
 戦前の自警団と似ているのでは? オーウェルの「1984年」みたいな監視社会になるのでは? 立ち小便もできないのかよ……。そんな危惧は「少年犯罪とか強盗殺人なんかがあったら責任を取れるのか」「現実に治安が悪いんだから仕方ない」といった「現実主義」の前になぜか色あせてしまう。
 立ち小便も落書きもできない社会の薄気味悪さをどう表現したらいいのか、と自問自答するなかでこの本を手に取った。 関東大震災のとき朝鮮人を虐殺した自警団は、権力への民衆の不平不満を排外心にすりかえるために権力側が糸を引いて作らせたという。21世紀、大阪の釜ケ崎周辺の商店街で結成された自警団は棍棒をもって野宿者を追い払っている。
 監視カメラも釜ケ崎がルーツだ。警察の不祥事が原因で起きた「暴動」をきっかけに、なぜか責任者であるはずの警察が監視と抑圧の手段を手にしてしまった。
 「犯罪を監視してるんだから、悪いことをしなかったらええんや」という意見が市井には蔓延している。そんな考え方を生活保守主義と言う。そこに特徴的なのは、自分たちが監視され叩かれる側になり得るとは考えないということだという。
 戦前のような息苦しい社会がひたひたと迫っている。だからこそ「非国民」になろうと呼びかけている。

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紙の本娘巡礼記

2008/11/18 11:55

歩きつつ80年前の24歳の心に共感

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

  苔の生えたような説教くさい紀行文を想像していたが、読み始めると、引き込まれた。
 異性関係での悩みを抱えた熊本に住む24歳の女教師が、ある日、四国巡礼を思い立ち、親元を離れ半年に及ぶ遍路に旅立つ。白衣を着て歩くと、好奇の目にさらされ、仏の生まれ変わりと崇められ、「遍路は泊められない」と旅館から追い払われ……。他人の目がつらくて逃げたり、野宿を楽しんだり、宿のシラミを恐れたり。幾度となくも泣きながら、遍路道をたどる。
 風景や交通事情は今とはまったく違う。彼女はトンネルを見て「トンネルだ!」と無邪気に喜ぶが、今の歩き遍路にとっては排ガスが充満する国道のトンネルは最大の難所だ。彼女が小径をたどってたどりついた札所も、今は車道が通っている。
 80数年前に彼女がたどった道を今歩くと、風景と文化の違いはあるものの、旅する人の気持はそうは変わらないことに驚かされる。
 たとえば筆者は、遍路の墓を見て「私自身も、巡礼の姿のまま、はかなくならぬとは限られない。真の孤独に耐えうる人にしてはじめてそこに祝福された自由がある」とつづる。路傍の無縁仏を見たときに、私もまた自由と孤独とを考えた。
 また筆者は、「死」を考えて「病的な戦慄を感じてどうしても眠れない。みんな死んでいった。色んな物を書き残した少年も青年も佳人も……」と記した。死を実感し恐れるからこそ「今」を大事にしたい、と私も思う。「死」を意識し、みずみずしい感性で四国を歩いた筆者自身もまた今はもういない。
 彼女はまた、大きな悲しみ、大きな喜びがあるほど人生は豊かになる、ということも書いていた。「喜びでも悲しみでも、一晩泣き明かした経験がない人は薄っぺらだ」という言葉を学生時代に知り合った弁護士に聞かされたことがある。無難な人生よりも振幅の大きい人生を送りたい。24歳の彼女もそう考えていたんだなあと思うと、時代を超えて親近感を感じた。 

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紙の本デモクラシーの冒険

2008/10/16 09:10

無気力からの脱却へ、個々人からの発信を

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 政治に対する無力感が蔓延している。どうせ何をやったって世の中は変わらないよと。
 80年代は、無気力とか言われながら、ユニークな市民運動が各地に生まれていた。だが90年代に入ると、世の中全体を無力感が覆うと同時にナショナリスティックな言説や、外国人差別、弱いモノいじめが広がった。
 なぜそうなったのか。
 経済のグローバリゼーションがその背景にあるという。大工場などを背景に発展した労働組合は、よりコストが安い国や企業に生産をまかせてしまうから、労働者同士の団結がなりたたず、力を失う。矛盾は弱いところへ弱いところへと押しつけられる。
 WTOでは企業の論理ばかりが幅をきかせ、国民国家が判断をできる幅が狭まってきた。アメリカ以外の政府は、どんな政党が権力をにぎっても、WTOの権力に対して、ほとんど影響力を行使できない。与党でも野党でもグローバルな権力を変えられない。何をやってもムダという意識が浸透した。
 政党も、差異がなくなってきた。日本では小選挙区制の導入が大きかった。オーストラリアでも「イラク戦争反対」を言えば票を失うため、労働党でもそう主張できなくなっていった。
 安定はしているけどどうせ選択肢はない、という閉塞感に覆われたとき、安心して叩ける「敵」を見つける。北朝鮮であり、人種差別であり、学校のいじめでもある。
 では、こんな社会で私たちは何ができるのか。
 デモクラシーの「消費者」であってはいけない、という。
 企業の知的所有権は、グローバル企業の利益を守るものだ。ことにエイズ治療薬は、企業の知的所有権強化のせいで、安価なコピー薬品が製造できなくなり、途上国では薬ものめずに多くの犠牲者がでた。ブラジルと南アフリカが反旗をひるがえし、安価な薬を使えるようにした。NGOなどのネットワークが両国を支えた。ブラジル憲法が88年に生存権の規定を入れていたことも、その支えになった。ナショナルな憲法とグローバルなNGOなどが結びついて闘った成果だった。
 一歩でもいいから、たとえばホームページを作るだけでもいいから、動け。発信せよ。「デモクラシーの消費者」であることから脱せよと説いている。

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紙の本キャパその戦い

2008/10/16 08:46

戦場は悲惨だが楽しい

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 フランコの反乱軍が優勢になり、共和国側が絶望的なスペイン内戦。フランコをドイツが積極的に支援したのに対し、共和国側を本来支援すべき英仏は及び腰だった。
 そんな戦場でキャパは生涯でただ1人の本物の恋人ゲルダを失う。
 その後も、キャパは快活でみんなを楽しませたが、その裏で本当の自分であるアンドレ(キャパ)は孤独を深めていった。
 戦場独特の高揚感のなか、ヘミングウェイらとのつきあいが生まれる。
 そう、戦場は悲惨であるけれど、独特の楽しさがあるのだ。
 独ソ不可侵条約によってフランス共産党はナチスに近い立場にかわる。それくらい、「人権」や「民主主義」の意識は希薄だった。「独ソ不可侵」というスターリンの決断が、ナチスのポーランド侵攻をもたらした。同時に、共産主義者の弾圧がフランスで始まり、共産党系の雑誌に寄稿していたキャパはアメリカ渡航を余儀なくされる。
 米国に渡り、「敵性外国人」とされながら第二次大戦に従軍し、ノルマンディー上陸作戦などで戦場カメラマンとしての名声を確立する。そのときまだ30歳。ちなみにスペイン内戦の「崩れ落ちる兵士」を撮ったのは22歳のときだった。

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愛する者の死を期待する感覚

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 久野収の対談を読んで五木を読んでみようと思った。久野は「雑誌や新聞記者は五木の文章に学ぶべきだ」といった主旨の発言をしていた。「冬のひまわり」という短編もそれなりによかったが、この本の比ではなかった。筆力と、人間の洞察力に圧倒されながら、500ページ余りをあっというまに読んでしまった。
 はじめてオナニーを知るときの罪悪感。愛する人を守りたいと思いながら犯されるところを想像して興奮してしまう感覚。親の死んだ後の解放感を想像してしまう二面性と、それに気付いて「自分は冷たい人間じゃなかろうか」という自責の念……。
 性に目覚め、自我に目覚め、生き方に悩み、先の見えない人生に茫漠とした思いを抱く主人公の青春時代を描く。
 私自身の10代をふりかえると、こんなときに親に反発したなあ、とか、もてなくて苦しんだな、といった、言葉や理屈で追える部分はおぼえている。けれど、親や恋人を愛しながらもその死をどこか期待するかのような部分などは、読んでみてはじめて、「たしかにそんなことを思った」と思い出させられた。十代だったころのどろどろした感覚をすっかり失っている自分に気付き、愕然とした。
 小説の舞台は戦中から戦後直後の筑豊だ。朝鮮人への露骨なまでの差別、戦後の労働運動、それを弾圧するヤクザといった、今とはまったく異なる舞台装置なのに、古さを感じさせない。

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