ブックキュレーター哲学読書室
おとなの内に残存する子ども/わたしと再び出会う
おとなになるために、ひとは幼年期を捨て去るのだろうか? 否。深くに隠されているとしても、幼年期はおとなの世界の源泉として残存し続ける。それは、ノスタルジーや憧れだけでなく恐怖や怒りをも呼び覚ます異質なものだ。そこへ下りてゆこう、わたし/世界を新たに知るために。【選者:井岡詩子(いおか・うたこ:1987‐:芸術論研究)】
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ジョルジュ・バタイユにおける芸術と「幼年期」
井岡 詩子(著)
合理化を極める近代社会に危機感を抱いていたバタイユは、絵画や文学といった芸術に人間らしい生(至高な生)の可能性を見出していた。この時代に至高であること――他者や規範に隷属しないこと――の本質を、おとなに再び見出されたものとしての「幼年期」に探り、芸術や芸術家の在り方とともにその諸様相を描きだす。
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幼年期の描写には郷愁的な側面が強いが、西洋の近代が個人の生にとっていかなるものか、ヘッセはバタイユと認識を共有していたように思われる。時代や社会との齟齬に戸惑いながら指針を求める者たちのなかで、デミアンは自身に拠る術を身につけ、他者を服従させもしない。至高な生のひとつのかたちではないだろうか。
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エコラリアス 言語の忘却について
ダニエル・ヘラー=ローゼン(著) , 関口 涼子(訳)
エコラリアス、谺(こだま)する言語とは、わたしたちの言語のなかに響く忘却された言語のこと。それは幼児の喃語であり、発音の失われたアルファベットであり、他の言語に吸収された言語であり・・・つまりは、言語から排除されながらもその源泉であり続ける異質な言葉だろう。エコラリアスを渡り歩き、言語とまた出会う。
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ドイツ在住アーティストの自伝。幼少期から抱いてきた感覚や考え方、それらに貫かれつつも状況に応えた自身の選択が回想とともに綴られる。時系列や場所、視点が軽やかに遷移する淡々とした語りは夢や連想のリズムをもち、ある種「子どもっぽい」と自覚される筆者の心を映しだす。今ある自己と子どもとしての自己との共生。
ブックキュレーター
哲学読書室知の更新へと向かう終わりなき対話のための、人文書編集者と若手研究者の連携による開放アカウント。コーディネーターは小林浩(月曜社取締役)が務めます。アイコンはエティエンヌ・ルイ・ブレ(1728-1799)による有名な「ニュートン記念堂」より。
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