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オソロシイ題名だけど、深い内容です
2010/07/25 18:19
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぶにゃ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「あ、京極だ。」とつぶやいて、娘は平積みになった本の前でしばらく立ち止まり、「やっぱり買おう。」とその一冊を手に取ってレジへ向かった。その後ろ姿を見送るあいだ、僕は親としていささか複雑な気持ちを味わっていた。「タイトルがなあ……、どうもなあ……、若い娘が読むようななあ……、でももっとどぎつくて赤面するようなタイトルの本だってあるんだし……、京極だからまあイイかなあ……、読み終わったら貸してもらえるし……」
というわけで、この本、娘から借りて読んだ。なかなか面白い作品である。死んだ女性のことを教えてくれと関係者を訪ね歩く謎の若者。一人目、二人目、三人目、……六人目と、全体が6つの章に分かれている。それぞれの章では、謎の若者に訪問された人間たちの心の葛藤が描かれる。その表現のきわめて通俗的なのとは逆に、その方法はソクラテス的であり、その内容は哲学的である。自分ははたして何を知っているのか。何を知っていたのか。謎の若者との問答の中で、人はおのれの無知を知り、汝自身を知ることとなる。
また、興味深かったのは、作品の中で刑事政策の問題が語られたところである。犯罪、刑罰、そして量刑。語られている部分はさほど長くはないが、ウイスキーをラッパ呑みした時のような、濃く、深く、そして乱暴な味わいがした。さすが、京極である。
それにしても、ときおり妻にそう思われているのはうすうす感じているのだけれど、我が娘にだけは言われたくないな。
「死ねばいいのに」
だなんて……。
最後の望み
2011/06/18 13:08
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
死ねばいいのに 京極夏彦 講談社
短編が6本続きます。「一人目。」の章から始まり「六人目。」で終わります。章の名付け方は無機質です。それが挿絵(さしえ)のトランプカードともあいまって不気味でもある。殺害の対象者が6人ではなく、絞殺された鹿島亜佐美さん30歳ひとり暮らしをとりまく6人です。職業人であったり親族であったりします。渡来健也(わたらいけんや24歳無職ときどきバイト)が関係者のひとりずつを訪ね歩くのです。章ごとの登場人物は彼と対象者の2人しかいません。
「一人目」鹿島さんの派遣先上司である山崎部長40男が登場します。25ページあたりにある山崎さんの中間管理職としての激情的な雄叫びには共感します。家庭における地位は物悲しくて笑えます。日本人の価値観が180度転換したこの50年間でした。
「二人目」殺された鹿島亜佐美さんの隣人篠宮佳織さん30歳が登場します。愚痴をこぼす人に対して、死ねばいいのにと責める小説です。この章のラストには爽快感がありました。
「三人目」組織における最下部やくざの佐久間さんが登場します。わたしは、渡来健也君について、最初は「幽霊」と思いました。次に「刑事」と思いました。前半部は、絞殺された鹿島亜佐美さんという人物像を、周囲の人間の話を聞きながらつくる作業です。
「四人目」絞殺された鹿島亜佐美さんの母親が登場します。名ばかりの母親です。他人が見れば勝手な女です。何百年後かの日本では、結婚するためには資格がいるとか、試験に合格しないと結婚は許されないとか、出産・子育てはできなとかいう法律ができるのかもしれません。
「五人目」山科警部補(やましな)が登場します。作家たちは最近、派遣社員とか、現実的視点をもつ喜怒哀楽のない男性若者像を主人公にもってくることについて試行錯誤しています。この小説の渡来くんについていえば、言葉遣いがひどすぎます。不快感をもちました。もう少し押さえても作品の質が低下することはなかった。
「六人目」弁護士さんが登場します。カノジョにとってのシアワセの頂上は、他者にとっての不幸の最底辺だった。カノジョは人生をあきらめた。夢はない。友だちもいない。親もいない。
(2日後)
通勤の車の中でさだまさしさんのピエロがだれかを励ます歌を聴いていました。支えきれないほどの悲しみをなんとか支えるから笑ってよ!という主旨です。思いついたのは、鹿島亜佐美さんは、渡来健也君に賭けたのです。彼女にとって、健也は最後の救いでした。
現代の憑き物落とし!?
2010/12/08 17:56
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:空蝉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『厭な小説』といい本作『死ねばいいのに』といい、まったくもって挑戦的かつ興味を引かれずにはいられないタイトル。ネーミングセンスとでも言うのであろうか。次回は『非売品』とか『買わないで下さい』とかいうタイトルをつけるんじゃないかとこっちがヒヤヒヤしてしまう。
さて、そのタイトルについてあちこちのインタビューで答えているように、著者自身は本作をネガティブではなくポジティブな、「死」ではなく「生」の作品として書き上げたという。
ストーリーとしてはとても単純な構成である。
友達にも男にも、仕事にも家庭にも恵まれない、不幸だらけの人生を送ってきた孤独な女性「アサミ」が死体で発見された。 ケンヤという青年はアサミが生前付き合いのあった人物等の元に、彼女について教えてほしいと聞いて回る。
彼らの人生をアサミだけに焦点を絞ると、こうなる。
アサミはいわゆる不幸な家庭環境に生まれ、愛し方の解らない母に育てられ、その母の借金のカタにやくざに売られ、そのヤクザの弟分にお下がりされ、定職にもつけず、友もおらず、派遣先の上司に弄ばれ、ストーカーには強姦され、そのストーカーの元恋人である隣人に悪辣な嫌がらせを受けていた。
まさに不幸のかたまりである。
上司、友人、母親、ヤクザの彼、警察・・・ケンヤはアサミについて「知りたい」と聞いてまわるが、彼ら誰一人として彼女のことを「識って」はいても、「知って」はいない。語られるのは彼ら自身の人生模様ばかりであり、読者である私たちもまた、アサミでもケンヤでもなく、本来なら「その他大勢」で済まされる脇役の人生ばかりを目の当たりにすることになる。
ケンヤとの問答のうち、彼らは次第に己の人生への不満、世界への欲求、他人への非難をあらわにしその感情(怒り、悲嘆、落胆、絶望、羨望、憎しみetc…)をヒートアップさせ、頂点に達したころ彼にこう言われるのである。
「死ねばいいのに」
タイトルでもあるこの言葉は、どうして死なないの?その方が楽なのに。とい純粋無垢な問いかけの言葉だる。
「死んでくれ」という哀願でも「死ね」という命令でも「殺してやる」という殺意や憎悪でもなく、「死ねば?」といった投げやりな言葉でもない。ただ純粋に、そんなにつらいならどうして生きてるの?と主人公ケンヤが行く先々で人生に疲れた大人へ問いかける言葉なのだ。
私が「死ねばいいのに」と言われた彼らのうちの一人だったとして、どう答えられるだろう。
自分の過去、現状、先行きに不満と不幸が蔓延し(少なくともそう思い込んでいる状態で)、嫉妬や欲望、憎悪や絶望にまみれている時、人は軽々しく「もう死にたい」と口にする。
けれどそれがどれほど軽いものであるか、本心からではないタダの逃げであり、愚痴であるという事がケンヤのたった一言で暴露されてしまうのである。
「死ねばいいのに」
そして「そうだよね、死ねばいいよね、じゃあ死のう。」なんて展開は、彼らの中に一つもない。 ああ。やはり京極氏の言う通り、これはたしかにポジティブな物語なのだ。
そして気がつく。自分はまだまだ「生きたい」のだと。生きたいからこそ不満も欲求も湧くのだと。満たされないからこそ、生きようとするのだと。
この物語で、本当に死んだのはアサミただ一人である。
アサミはなぜ殺されたのか?なぜ死んだのか?
その答えもそこにある。
京極氏の描く物語はここでもやはり憑き物落とし。
形は違えとこれも一つの自己啓発本といえるかもしれない。
強烈なタイトルですが、中身は一人の女性の死をめぐる様々な人間模様で、至極真面目なもの。でも、どういう場面で「死ねばいいのに」っていうのか楽しみにする自分が怖い・・・
2010/11/20 18:12
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
好きなブックデザインです。特に金の使い方が抜群で、黒地のかなり存在感のある紙に金がとても映えています。そんなブックデザインは坂野公一(wella design)。それと山本タカトの絵の大きさ。普通、山本の絵を使うのであれば、カバー全体に使うはずです。それほどに山本の絵は単独で魅力的です。でも、坂野はあえて山本の絵を2cmのスクエアに閉じ込めます。それが実にセンスがいい。これは見てもらうしかないんですが、本当にレアな、贅沢な絵の入れ方です。
ただし、私としてはカバー中央の斜体になったアルファベットで書かれたタイトルと著者名については疑問です。ほんとうに斜体にする必要があったでしょうか。まっすぐのほうがバランスがよかったのでは、そんな気がしてなりません。それは背を見ても変わりません。本文イラストは遠藤拓人。黒地に金の縁取り、金文字と小さなイラスト、ここまでは文句なし。でもアルファベットが・・・
それにしても凄いタイトルです。これについては、この本を手にした殆どの人が、触れていますが、それほどに衝撃的なものです。万一、引きこもりの人間にこの本差し入れて、自殺でもされたらどうするんだろう、ナッチ、責任取れるんだろうか? なんて本気で心配しました。とりあえず、どんな話なのか、出版社のHPを見ると
*
「人の心ほど深く昏いものはない」
京極夏彦が紡ぐ究極の謎(ミステリー)。
死んだ女のことを教えてくれないか――。
無礼な男が突然現われ、私に尋ねる。私は一体、彼女の何を知っていたというのだろう。問いかけられた言葉に、暴かれる嘘、晒け出される業、浮かび上がる剥き出しの真実……。人は何のために生きるのか。
この世に不思議なことなど何もない。ただ1つあるとすれば、それは――
*
とあります。これじゃ全く分からない。そこで目次にしたがってまずは初出と各話の簡単な内容紹介にはいりますが、先に断っておけば、全ての話を繋ぐ人間、それが鹿島亜佐美で、三ヶ月前に死んだ派遣会社の派遣社員です。その死をめぐり関係者に色々きいてまわるのが亜佐美の知り合いで、24歳の高卒のフリーターの渡来健也です。各話のタイトルは、話を聞いて回るあいての順番ということです。内容ですが
・一人目。(小説現代2009年3月号):亜佐美が死ぬ前に三ヶ月派遣されていた中小企業の40代の部長で上司だったのが山崎です。大学受験を控えた息子がいて、家庭がピリピリして少しも楽しくない男にとって、美人の派遣社員というのは・・・。
・二人目。(小説現代2009年6月号):亜佐美の隣人で、亜佐美と同じ派遣会社の派遣社員だったのが篠宮佳織、30歳です。大学卒で、自分が希望する会社に就職できなかったことを今も悔やんでいて、亜佐美の生き方を非難します。倉田という恋人がいた女は・・・
・三人目。(小説現代2009年9月号):ヤクザで、亜佐美の恋人? だったという佐久間淳一、31歳です。好きでもない兄貴分から押し付けられ、10万円とられた女、それが亜佐美で、その愛は鬼畜のように歪み、ひどいものですが、どこか人間臭さを感じさせ・・・
・四人目。(小説現代2009年12月号):18歳で亜佐美を産み、相手と4年付き合ったものの、結婚はせず、その後、26歳、29歳、33歳の時の三回、結婚しているのが母親の鹿島尚子、45歳です。娘がいなければ、自分は幸せになれた、そんな不満だらけの女は・・・
・五人目。(小説現代2010年3月号):被害者の家族から無神経と言われ、同僚からは無能と馬鹿にされる警部補が山科です。誤認逮捕を恐れながら、折りあらば手柄を上げようとする捜査主任は、亜佐美の件で重大な見落としがあったのかと健也の訪問にびくつきながら・・・
・六人目。(書き下ろし):もともとは渉外弁護士で企業法務が専門の国選弁護人・五條は、亜佐美を殺したことを認め、自分は死刑に値するという犯人に、ともかく情状酌量の余地があることを主張させようとするのですが・・・
渡来健也が最後に相手にぶつける言葉「死ねばいいのに」の部分は、いかにも京極作品ですが、あとは比較的京極臭が薄いのではないでしょうか。色々な人のことばから浮かび上がるのは、亜佐美の真実の姿、というよりは、あくまで亜佐美とその人間の関係であり、相手の人間性です。一見、ありそうな話ですが、これが案外見つからない。視点が変われば、人の数だけ真実がある、そういうテーマではないからでしょう。強烈なタイトルですが、それを楽しんでしまう自分が怖い・・・
おまえら、愚痴ってばかりで迷惑かけて、どうせ死ねないから生きているだけならもう少しまじめにやれ
2010/06/06 11:00
7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:cuba-l - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんて非道い本のタイトルだろう、
売れれば何でもいいのか、と思って手に取りましたが、
読めばはっとする各説話、
俗っぽい設定ながらも一々わが身に刺さる事例と会話の数々に、
目から鱗、もやも晴れ、痛みも忘れて、腫れも引きました。
やはりこれを読んだ寝たきりのおじいさんは
起き上がって一人で歩けるようになりました。。。
生きづらい世の中ですが、生きづらいのは
私たちがわが身の不運を愚痴る前に、
自分の持っているもの、運や、周りとの関係のありがたさを
素直に受け止めることが出来なくなっているからかもしれません・・・。
・・・・・・・・
・・・そんな誰かの感想はさておいて、
物語では一人暮らしの若い女アサミが殺され、その女の「知り合い」だったケンヤが彼女の生前の「関係者」を訪ね歩く。ケンヤはほとんど社会からの落ちこぼれで、このケンヤと事件の関係者たちの会話がストーリーを引っ張っていくのだが、この過程では死んだ被害者のことよりもよりも、その関係者たちの「生きづらさ」ばかりが露骨に炙り出されていく。
誰にも相手にされない中間管理職、派遣切り、チンピラヤクザ、男運の悪さを呪う女。関係者たちの苦衷はやや誇張された現代の生きづらさだが、誰しも抱える生きることの苦のカリカチュアとして、自分の境遇の断片を思い重ねる読者も少なくないことだろう。
軽く卑俗な文章の作りながら、プー太郎のケンヤの会話には、古代ギリシャ哲学のストア派の信条を連想させるようなドキリとするせりふが出てくる。
「厭なら辞めりゃいいじゃん。辞めたくねーなら変えりゃいいじゃん、変わらねーなら妥協しろよ。妥協したくねーなら、戦えよ。何もしたくねーなら引き籠もっていたっていいじゃん」
現代の不幸せの見本市のような展開と、愚痴と愚痴をなじるような会話の応酬には、露悪的な共感をなぞるような、同病相憐れむのに近い読後感も得られるかもしれない。その意味で、人の不遇と殺人とを巡る重苦しいストーリながら、不快感よりもむしろ、今を生きることへの著者のキツイ督励を感じる。
本当に死にたい人以外には、お勧めの本である。
この作品で明らかにされてゆくのは…
2010/05/29 21:32
4人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:星落秋風五丈原 - この投稿者のレビュー一覧を見る
新発売のiPAD版電子書籍発売のニュースが新聞に取り上げられた、氏の最新作。
今どきの若者風の若者が、死んだ女性の事を関係者に聞いて回る。彼がどういう資格で、どういう目的を持って聞きまわるのかがわからず、関係者達は一様にいぶかしみ、そして次第にイライラし始める。というのも関係者それぞれに死んだ女性に対して思う所があったわけで…という、何やら刑事コロンボみたいな展開。「死ねばいいのに」というタイトルを聞いて、まず思い浮かんだのは「周りから死ねばいいのに、と思われていた女性が殺された。でもその女性は実は…」みたいなストーリーだった。殺人事件とその被害者&加害者の事情という事件の全貌が明らかになり、それ以外の部分-隣人やいかにも怪しそうな人たちの抱える事情-は脇筋として扱われる、通常のミステリを予測していたのだ。
だが、本篇はそこを敢えて外していたので読んでいるうちに何だかじれったくなってしまった。いつになったら事件の全貌が、被害者と犯人がわかるのだろうか?と。結局一方については叶えられたのだが、もう一方については分からずじまいでちょっと不満。被害者の影が非常に薄く、加害者自身も語ることはあまり好まないので、これだけで全貌を理解しろというのは無理だろう。
全てが解明されて大団円、というパターンがお好みという人にはちょっと不満が残るかもしれない。逆にオープンエンディングを好む人には向いているだろう。
ところで、京極風の文章で語ると、派遣切りとか現代のことが入っている言葉を今ふうの若者が述べていても、どこか時代色を感じてしまう。派遣切りとか扱っているのは現代のことなのだけれど、独特のリズムと改行を見ると、読む側にある程度京極テイストがインプットされているからかもしれないが。
うまい感想が見つからない「死ねばいいのに」――考えさせられます。
2010/10/26 17:21
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:惠。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「死ねばいいのに」
その衝撃的なタイトルに惹かれて手にとってみた。京極作品を読むのはこれが二作目。巷では評価が高いようだけれど、苦手な作家のひとりである。ついでに言うとよく米良さんと見間違える。
「死ねばいいのに」
この台詞を口に出したことのある人間は案外多いのかもしれない。「死ね!」ではなく、「死ねばいいのに」。どちらも誰かの死を望む言葉に聞こえるが、そこに込める思いは大きく異なる。
アパートの一室で首を絞めて殺された一人の若い女。その死んだ女のことを教えてほしいと、ひとりの若い男が事件の関係者を訪ねた。殺された女の上司、隣人、恋人…。男はただひたすら、死んだ女のことを知りたいと言う。
ストーリーは、殺された女のことを教えてほしいという男と、事件の関係者との対話形式で進展する。語り部は男ではなく、関係者だ。突然現れた見知らぬ男に戸惑いながらも、関係者は男の質問に答えようとする。
本書は6章に分かれていて、関係者が各章にひとりずつ登場する。その男の「話し相手」たちは男の質問に戸惑い、困惑する。そしてその会話の最中に、各章で一度だけタイトルの文言が登場する。
「死ねばいいのに」
ここで登場する「死ねばいいのに」は、わたしが想像したそれとは違った。てっきり「(あんなやつ)死ねばいいのに」という意味で用いられるのだと思っていたのだが、そうではなかった。
想像していた「死ねばいいのに」とは違ったのだけれど、これはこれで面白かった…というより興味深い作品だった。感想を言い表すのが難しい。一言でいうと「不思議」。漠然と感想を述べることはできるけれど、うまく言い表せられない。敢えて言葉にするならば、「なんかなー。うん。そうなんだよね。でもなぁ…」といったところ、か。
作風に関していえば、対話形式だからかところどころに特殊な演出が見られて、これが気に入らなかった。「」書きの会話の続き(あるいは結論)を地の文にもってくる、という独特の書き方なのだけれど、回りくどくて好きじゃない。
でも内容としては、非常に興味深い作品であった。
タイトルよりも内容が恐ろしい。
2016/01/23 15:04
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:うりゃ。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
京極夏彦氏の作品ということで手に取ったが、読んでいくうちに鬱々とした気分になっていく。
タイトルの昏さよりも描かれる人間の内側の方が、もっと暗いからだろう。
落ち込んでいる時には読まないことをおすすめする。
「六人目」のラストの一言、救われたのは誰だったのか。