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野火 改版(新潮文庫)
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.1 129件
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  • カテゴリ:一般
  • 取扱開始日:2014/07/17
  • 出版社: 新潮社
  • レーベル: 新潮文庫
  • サイズ:16cm/216p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-10-106503-8
  • 国内送料無料
文庫

紙の本

野火 改版 (新潮文庫)

著者 大岡 昇平 (著)

敗北が決定的となったフィリピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を...

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野火 改版 (新潮文庫)

432(税込)

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新潮文庫の100冊 2016 109巻セット

新潮文庫の100冊 2016 109巻セット

  • 税込価格:64,660598pt
  • 発送可能日:購入できません

商品説明

敗北が決定的となったフィリピン戦線で結核に冒され、わずか数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃えひろがる原野を彷徨う田村は、極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向ける…。平凡な一人の中年男の異常な戦争体験をもとにして、彼がなぜ人肉嗜食に踏み切れなかったかをたどる戦争文学の代表的作品である。【「BOOK」データベースの商品解説】

敗北が決定的となったフィリピン戦線で結核に冒され、数本の芋を渡されて本隊を追放された田村一等兵。野火の燃え広がる原野を彷徨う田村は極度の飢えに襲われ、自分の血を吸った蛭まで食べたあげく、友軍の屍体に目を向け…。【「TRC MARC」の商品解説】

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みんなのレビュー129件

みんなの評価4.1

評価内訳

紙の本

静謐な時間を描く。

2013/09/30 09:34

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:わびすけ - この投稿者のレビュー一覧を見る

映像化してもらいたいと思わせる一作。テーマ自体はどうでもいい、ただ静謐な時間が映像的に美しく描かれている。この筆力はすばらしい。

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紙の本

戦争で利益を得る小数の人に再び騙されてはいけない

2005/12/17 19:02

16人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:未来自由 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 私は頬を打たれた。分隊長は早口に、ほぼ次のようにいった。
「馬鹿やろ。帰れっていわれて、黙って帰って来る奴があるか。帰るところがありませんって、がんばるんだよ。そうすりゃ病院でもなんとかしてくれるんだ。中隊にゃお前みてえな肺病やみを、飼っとく余裕はねえ。
 見ろ、兵隊はあらかた、食糧収集に出勤している。味方は苦戦だ。役に立たねえ兵隊を、飼っとく余裕はねえ。病院へ帰れ。入れてくんなかったら、幾日でも座り込むんだよ。まさかほっときもしねえだろう。
 どうでも入れてくんなかったら、死ぬんだよ。手榴弾は無駄に受領しているんじゃねえぞ。それが今じゃお前のたった一つの御奉公だ」
 『野火』の書き出しである。この約半頁に日本軍の実態が要約されている。食糧の現地調達主義、兵が消耗品としてしか考えられていなかった体質、鴻毛より軽い命、御奉公の本質、これらの現実が引き起こした悲劇を予測させる。
 フィクションではあるが、おそらく多くの敗残兵たちの話を聞き取り、まとめあげたのであろうことが推測できる。
 食糧の現地調達主義が虐殺や強姦を日常化させたことは、今日までの研究であきらかになっている。また、敗残兵の約6割が餓死であったことも調査されている。
 本小説は、軍からも病院からも追い出された兵が、山野をさ迷い、飢えに苦しむ、その姿と心理を克明に描き出している。最後は人肉を食すという行為への葛藤が描かれる。
人肉を食すまで追い詰められた兵たち。精神に異常をきたす人間がいたことが想像できる。
 戦後60年、再び「戦争のできる国」にしようとする企みが活発になっている。経済界が憲法改悪を提言していることは、その狙いを浮き彫りにしている。そこに利益があるからだ。少数の人の利害に再び騙されてはいけない。著者はそのことを強く訴えている。
 今も『野火』のような小説が読まれ続けている。著者は「戦争を知らない人間は、半分は子供である」と喝破している。戦争の現実を知らずに、9条改憲を軽々しく論じてはいけない。

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紙の本

肉体的極限と精神的葛藤の果てに見た『神』が田村一等兵を見つめる

2009/12/06 19:16

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:toku - この投稿者のレビュー一覧を見る

<あらすじ>
敗北が濃厚になったフィリピンのレイテ島で結核に冒された田村一等兵は、病を理由に本体から追放された。
軍医たちが患者たちの持ってくる糧秣で食いつないでいる情況の病院でも、動ける田村は受け入れてもらえない。
田村は野火が立ち上るフィリピンを激しい飢餓に襲われながら彷徨い、草木を食べ、自分の血を吸った蛭を食い、やがて死んで間もない兵の屍体へ手が伸びる。
ぎりぎりのところで踏み留まった田村が極限状態で感じたものとは……

<感想>
私のレベルでは読み切れなかったように思う。
物語はほとんどを『私』という一人称で進められる。
インテリの田村は極限状態において目に映ったものや感じたことを分析し、掘り下げ、考察するという哲学的な思考を行うため、肉体は悲惨な状況にありながら思考は別の世界にあるような印象を受け、読み手の立ち位置がフィリピン戦線と精神世界に分かれてしまう感覚になり、小説の世界に入りきれなかったことに、読み切れなかった理由がある。

また極限の飢餓、『猿の肉』を食べてしまった罪悪感、無意識の倫理観の板挟みの果てに感じた『神』は、理解するのが難しい。
田村の頭にふとよぎった、草木に到るまで殺生し食べてしまうことを悪とする考えかたは、殺生を禁ずる仏の教えを越えた究極の『神』の考えと思えなくもない。
そしてその考えの果てに、死んでいるものならば……と考える田村の意識は、極限の飢えがもたらしたものとも考えられる。
他にも物語の終わり近くで田村が感じている『神』もあり、その価値観が理解できずなかなか複雑だ。


この作品は色々と考えさせられ、理解が難しいので、もう少し文章を味わうようにして読み進めていけば、また違った感想が得られると思う。
また時間をおいて読んでみたい。
ただあまりのめり込みすぎると、日本に帰りたくても帰ることができず異国の地を当てもなく彷徨う状況に自分の感覚も入り込んでしまいそうで、怖い気もする。


解説については少々期待はずれだった。
解説者は簡潔にまとめれば少なくすむ内容にも関わらず、大岡文学と小説の定義などを語り、「野火」については作家として試みた実験とし、その実験内容について持論を展開し、「俘虜記」などを引用して大岡作品がどういうものかなど長々と説明している。
内容について言及してる部分はほんの一握りで、理解が難しいだけに、もっと内容に突っ込んで野火の『味わい』方など解説していて欲しかった。


<映画「野火」について>
物語はほぼ原作に沿ったものになっているが、描こうとしているものは別であり、同じストーリーで表現の違う作品を比べるのも面白いかもしれない。

原作では田村の精神的な部分を中心に描いているのに対し、映画ではインテリ田村の内面描写はなく、極限状態にありながら人肉を食べることを拒否する『人間』の姿が映し出されている。
農夫がいるであろう野火へ向かうところで終わいるラストや、『猿の肉』のシーンでは展開そのものが違うので、表現の違いが見いだし易くなっていると思う。

映画での船越英二演じる田村一等兵はとぼけた感じが漂っていて、妙な脱力感を感じさせる。一見ぼーっとしていて淡々と演じているようにも見えるが、何も考えられないほどの極限状態における田村を表現しているようにも思える。
この点も原作と異なる部分である。

ラスト手前、殺したばかりの安田の肉を喰った永松の姿は、獣のようにも見え鬼気迫るものがあった。
この人でなくなった松永の姿は、ラストの田村の行動を際だたせている。

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電子書籍

初大岡昇平

2015/09/25 14:13

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みけねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

もちろん名前は知っていた。評論だっていくつか読んだ。
にもかかわらず大岡昇平を読むのはこれが初めてだった。
塚本晋也監督の映画「野火」を見るに当たって読むことにした。映画との差異はかなり大きい。かなりいろんなテーマが盛り込まれていて、どれか一つが主題というわけではないだろうと思った。
食人、殺人、暴力、神、罪悪感、戦後……混然一体としたこの小説は、何を象徴しているのか明確ではない野火というタイトルがいかにもふさわしいと、読んで思った。

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2007/11/13 11:38

投稿元:ブクログ

歴史学は史料が大切だと考える学問だ。そこでは、証言や記憶といった曖昧なものは、「二次史料」として事実を確定する「核」とはなりづらい。それでも最近ようやく、記憶や証言を歴史学としてどのように扱うか、という問題が様々な角度から議論されていると思う。

たとえば冨山一郎は、『講座日本史』10巻で次のように述べている。

「ここでいう記憶とは、覚えている過去のことでは、ない。また覚えていることをいかに言葉にするかということが問題なのでもない。それは覚えているということよりも忘れるということにかかわることであり、とりあえず「トラウマ的記憶」とよばれるものである。記憶とは、覚えることを拒み、意識の底に抑圧し、覚えていること自身を否認しようとする行為にかかわるのであり、ただ瑕疵としてのみ存在している。戦争は終わらない。だが終わったとして生きはじめるしかない。だからこそ継続する戦争状態は否認され、戦争は過去の出来事として描きなおされ、その結果戦場から切り離された日常は、戦後という時間を刻んでゆく。問題にしたいことは、こうした生きていく為に生み出される否認の構図が、否認のなかで形成された「トラウマ的記憶」より、不断に脅かされていく自体である。過去の出来事として切り離された戦争は継続中の戦争状態として想起され、歩んできたはずの日常は危機に陥る。だがこうした事態はくりかえすが、日常性から別の未来を切り開く起点でもありだろう」(p295)

この冨山の文章は僕にとって超難解だが、僕なりにこの文章を『野火』での田村にあてはめてみると次のようになるだろうか。田村は自ら体験したと思っていることをを文字化することで、逆に文字化されない彼の「トラウマ的記憶」を忘却していった。そのことによて彼は、彼なりの日常=戦後を生きていこうとする。そして封じこめられていった「トラウマ的記憶」のかわりに、田村の場合、その空虚が「神」によって埋め尽くされていく。つまり、田村は「別の未来」を「神」によって切り開いたのだ。

こう考えると(「神」によって「別の未来」を切り開くこと自体の当否は措いておくとしても)、<自らの「記憶」を日常性から飛躍させる>という冨山の2005年における提案は、実は文学の世界では、戦後わずか7年後の時期に、すでに大岡によって行われていたように思える。

そうだとしたら、僕は、このことに衝撃を受けざるをえない。歴史学が、記憶や証言を二次史料として扱っていたとき、文学はすでに記憶を未来に向けて開こうとしていた。そして実直に史料に基づこうとした歴史学は、その結果、今現在、未来を開く独自の方策や構図を提示できたのだろうか。そしてようやく歴史学が記憶にコミットしようとしている現状は、実は記憶をめぐるレースにおいては、周回遅れの存在みたいなものなのだろうか。

でも、歴史学が文学に遅れているかといえば、単純にそうではないと思いたい。冨山は続けてこう述べている。

「記憶という問題を設定することは、事実と幻想が入り乱れ、既存の知の区分けが混乱してゆく領域に分け入ることを意味している」(p298)

『野火』の場合、「記憶」という問題を設定した。そ���て事実と幻想の錯綜を「神」によって揚棄しようとした。でも歴史は、この混乱に分け入って、そして「神」とは違う「別の未来」があることを透徹した態度で想起することができるはずだ。

ただ、「神」に頼ることと、常に「別の未来」を想起し続けることの、優劣は無いと思う。ただ僕は、神の存在を単純に信じることはできないので、証言や記憶を材料に、「別の未来」を、不断に想起し続けるほうを選びたいと思う。そしてそこにこそ、僕が歴史学を学ぶ意味も、あると思うから。

2005/02/10 12:07

投稿元:ブクログ

レトリックに満ちた文章は面白い。戦争と狂気についても考えさせられる。やや読者を選びそうだが、短いし、読んでおいて損はしない。と思う。

2017/03/26 19:14

投稿元:ブクログ

第二次大戦中、結核のため部隊から追い出され、フィリピンの森の中をさまよう日本兵の話。
戦時の極限状態で、人肉を食べるか否か葛藤する主人公。
とても気軽に読める内容ではありません。戦争について、人間の倫理観について、色々と考えさせられる話です。非常に重いテーマを扱った話ですが、戦争を実際に経験された世代の方達が少なくなってきた今、若い世代の人達に一度は読んでもらいたい話です。

2005/12/15 21:45

投稿元:ブクログ

飢餓とは何か。
極限の状態とはどういったものか。
そんなものを知るゆえもない現代に生きる私に、
波紋を投げかけた本。
その表現の凄惨さは、
温い情などは許さない位である。
目を背けるな。
彼の文章がそう訴えている。

2008/05/28 20:56

投稿元:ブクログ

・自分は手を汚さずに「猿の肉」だと知って食べてるわけで、この主人公は生きたいのか生きたくないのかわからない。生き延びたいという希望すら持てない状況がこうさせるのか。
・「神」の存在を持ち出しているけど生に正面から執着できない幼稚な発想の帰結にしか思えなかった。
・人肉食に対して強いタブーを持ちながらも生きるためにその方法を選んだ「アンデスの聖餐」とどうしても比較してしまう。生きることに最後まで執着したのはアンデスの方。
・戦場において何一つ任意では行えないってのがすべてか。

2009/01/27 02:41

投稿元:ブクログ

いやーも…おどろおどろしくてもー…夢に出て来そうな戦時中の、、ああ、、、ぼぇぇ、、、
にほんぐん!!!萌えとかいっそ言えない、いっそ言ったほうが潔いと思うよバ、カッ!!

2006/08/13 19:22

投稿元:ブクログ

飢えるということ、人は何故神を作ったか。吸い込まれる感じがする。なんらかの形で人生に影響するであろう、個人的戦争文学金字塔の存在。

2007/09/25 02:33

投稿元:ブクログ

小説を貫く得体の知れないずっしり重いエネルギーが読後も残る。文体はヨーロッパの文学や詩のようで、単純に血と汗と土の匂いしかしないような戦争文学には思えなかった。

2006/03/27 09:52

投稿元:ブクログ

「人を食べるってどういうこと?」善悪に関わらず、食人に興味がある人は是非一読を。人間お腹がすいたら何食べるかわかったもんじゃないな。

2010/08/13 02:10

投稿元:ブクログ

「しかし銃を持った堕天使であった前の世の私は、人間共を懲すつもりで、実は彼等を食べたかったかもしれなかった。野火を見れば、必ずそこに人間を探しに行った私の秘密の願望は、そこにあったかも知れなかった。」

季節柄タイムリーな1作。
重い!!重いよぅ。
どよんどよんとしながら読んでしまったけれど、
物語でありながら、どこか本当であるように思える。
いや、本当のことなのではないか?

とにかく、そこにあるのは悲惨さ、苦しさ、悲しさ。
ネガティブな言葉が次々と並んでしまいそうだ。
そこから何を学び取るのか、、

【8/8読了・初読・先生蔵書】

2006/09/03 21:51

投稿元:ブクログ

戦争、人食い、と壮絶なテーマで、怖い怖いと思いつつ読んでしまう。人間が人間として生きられない極限の状態をつくり出す戦争は、とてもいけないものだと改めて。