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紙の本
謎の豪族蘇我氏 (文春新書)
著者 水谷 千秋 (著)
「逆賊」か「忠臣」か−? 6世紀に突如現れ、渡来人の先端技術により、天皇をも凌ぐ力を持った蘇我氏は、なぜ一夜で滅んだのか。天皇と豪族の関係から、東アジア情勢までをも視野に...
謎の豪族蘇我氏 (文春新書)
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商品説明
「逆賊」か「忠臣」か−? 6世紀に突如現れ、渡来人の先端技術により、天皇をも凌ぐ力を持った蘇我氏は、なぜ一夜で滅んだのか。天皇と豪族の関係から、東アジア情勢までをも視野に入れた新時代の考察。【「TRC MARC」の商品解説】
著者紹介
水谷 千秋
- 略歴
- 〈水谷千秋〉1962年大津市生まれ。龍谷大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得(国史学)。博士(文学)。龍谷大学非常勤講師。日本古代史、日本文化史専攻。著書に「継体天皇と古代の王権」など。
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紙の本
大化の改新だって壬申の乱だって講談みたいな単純な事件だったはずはないのである
2007/02/04 08:39
9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る
蘇我氏って知ってるよね? 6世紀〜7世紀,飛鳥時代に権勢を振るった豪族で,聖徳太子と共に推古女帝を補佐し仏教の普及に努めたが,次第に専横が目立つようになり,大化の改新で中大兄王子・中臣鎌足らによって滅ぼされた……というのが,オレが子どもの時に読んでいた「まんが日本の歴史」によるおおまかな盛衰である。
……だけどこの話の元ってのが唯一彼らを「誅殺」した側が編んだ「日本書紀」なんであり,眉に唾をつけたほうがいい部分も少なくない。つうか,有り体に言えばこの1、400年くらいで日本人が突然賢くなったわけぢゃないので(逆に言えば飛鳥時代の日本人が馬鹿だったわけぢゃないので),大化の改新だってその後の壬申の乱だって水戸黄門や大岡越前の講談みたいな単純な事件だったはずはないのである。
戦前の皇国史観の影響か,とかく蘇我氏を「逆賊」と捕らえがちな先入観を排し,遠く中国側,朝鮮半島側の記録などをつぶさにあたることによって,黎明期の日本をリードする思想上のヘゲモニー争いを浮かび上がらせた労作。古代史ファン必読であります。
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歴史考察とはかくあるべし
2006/04/02 22:57
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:JOEL - この投稿者のレビュー一覧を見る
「645年:大化の改新」といえば、誰もが知っている、もっとも有名な歴史年号であろう。大化改新とは、蘇我入鹿が、中大兄皇子と中臣鎌足によって斬りつけられ、これによって蘇我氏が滅んで、新政権が樹立した歴史的な出来事のことである。
しかしながら、他の歴史年号と同様にただ機械的に暗記して入るだけで、その歴史的意味や背景的事情にまで踏み込んで学習することは少ないのではないだろうか。
日本の古代の歴史を記しているのは言わずと知れた『日本書紀』であるが、ここには蘇我氏は逆賊として書かれているため、蘇我氏に関する歴史的考察は進んでいないという。これほど有名な歴史年号とともに記憶される大化の改新の本当の意味が、理解されていないとすれば、とても意外であると同時に、本書を通して与えられる真実に知的好奇心が刺激されるというものである。
蘇我氏は蘇我馬子、蝦夷、入鹿などが6世紀から7世紀にかけて活躍した一族である。天皇家に比肩するほどの実力を持っていたというが、不明な点も多くあり、著者は様々な文献を頼りに、当時の時代背景を浮かび上がらせる。蘇我氏や同時代の皇族や豪族に関する数々の説を、論拠とともに支持したり、退けたりして、学術的な見方に立脚した説を展開する。それは憶測をできるだけ排して、説得力に富む考察となっている。それ故、研究の進んでいない蘇我氏に関する一級品の書となっている。著者の執筆姿勢は、憶測まじりに読み物として面白く仕立ててしまうものとは、一線を画しており、高く評価できる。
それにしても、本書から分かるのは、当時から皇位継承や政権の主導権を巡る血なまぐさい抗争が繰り広げられていたということだ。本書には、1300年以上前の史実を浮かび上がらせた功績はあるが、現代人との類似性をも明らかにしてしまい、歴史的ロマンは逆に遠のくかも知れない。大化改新が起きた時代背景に、当時の東アジア情勢の影響を持ち出しているが、国際情勢が、国内事情にも影響するというのは、やはり今日にもあてはまる。
本書は、新書としては格調高く、新たな驚きを読者に与えてくれる。それと同時に、時空間を超えた人間という存在の連続性にも、良くも悪くも気づかせてくれる。
飛鳥の地の歴史に学術的に関心を寄せる人にとっては、読んでおいて決して損はない一冊となろう。一方、ロマン派には、変わりようのない人間という存在の業のようなものを突きつけられて、歴史の香しい土地としての見方を失ってしてしまうことになるかも知れない。
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公平的な考察の本
2019/08/31 17:13
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
蘇我氏に関する考察は多数ありますが、本書はそれらと相照らしながら、史料に出来る限り沿って結論付けされている点が良かったです。
蝦夷と入鹿は横暴で傍若無人なイメージがありましたが、蝦夷の誠実と表現された点や、聡明な一面のあった入鹿を垣間見る事を本書から得られたのは価値がありました。
いつの時代も自身が権力を掌握した時の将来展望に対する不安と直近の課題に対する焦燥には悩まされるものだというのを改めて噛み締めました。
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蘇我氏は逆臣だったの?
2021/10/25 21:49
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
私が学校で習っていた日本史では、改革派の中大兄皇子と中臣鎌足が旧勢力の蘇我氏を倒して、革新を成し遂げたことになっているけれど、それは「日本書紀」にそう書かれているから、そう思っているだけで、「日本書紀」はそもそも勝った方の言い分だけがまかり通っているものだし。蘇我氏って、何者なの?なぜ滅亡したの?本当に逆臣だったの?という疑問に水谷先生は正面から取り組んでいます
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開明的な豪族
2019/05/25 11:42
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:キック - この投稿者のレビュー一覧を見る
再読。水谷先生の本は本当に分かりやすいです。
学校で悪者と習った蘇我氏。実際は、国政改革に辣腕を振るった開明的な豪族で、焦った中大兄一派による、一世一代の騙し討ちに負けたというのが実態のようです。この権力闘争に蘇我氏が勝っていたら、全く違う日本史になっていたでしょう。逆賊の汚名を着せられた蘇我氏。まさに勝者が歴史を作る典型だと思いました。
「渡来人を使いこなす抜きん出た才覚で頭角してきた蘇我氏」そして「その蘇我氏と結びつくことによって王権が力を回復した」という水谷先生の見方に全く同意します。
ところで、入鹿の首塚があるあたりですが、「今ではこの道も舗装され、歩きやすくはなったがやや風情が失われた気もする」と本書に書かれていました。私が35年前に初めて訪れた時、この首塚は田んぼの中にポツンと立っていて、なんとも言えない風情があり、飛鳥時代を偲ぶ味わいがありました。10年くらい前に再訪すると綺麗に舗装されたが故に、逆に誰も見向きもしないようなオブジェになっていると感じました。飛鳥全体に言えると思います。綺麗に整備することが観光地化のように考えているようですが、綺麗に整備すればよいというものではないと思います。
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蘇我氏は生き残れなかった
2018/06/18 17:38
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:nobita - この投稿者のレビュー一覧を見る
逆賊にされた蘇我氏。しかし、仏教は日本は定着した。蘇我氏死して仏像を残す。
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蘇我氏に関して幅広く検討されているようでいながら、意外に範囲が狭められている印象です・・・
2019/04/19 12:33
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:多摩のおじさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
1月に亡くなられた梅原 猛氏の「隠された十字架 法隆寺論」や、関 裕二氏の今から20年以上も前から想像力溢れる自由闊達な
今までとは異なった古代史論に魅了され、すっかり古代史に嵌ってしまい、その中のひとつとして継体天皇に関して考古学資料等に沿って
丹念に迫っていた著者の 「継体天皇と朝鮮半島の謎」で、その即位には蘇我氏の支援がキーと指摘しつつも、それを示す文献等の明示
がなく残念な思いをしたので、著者による蘇我氏に関する本書を目にし、早速にその詳細を探るべく読み進んだ覚えがあります。
関 裕二氏の「蘇我氏の正体」、吉村 武彦氏の「蘇我氏の古代」、倉本 一宏氏の「蘇我氏 古代豪族の興亡」と蘇我氏に関する作品は
多くありますが、関氏の独自の展開は推理小説を読んでいるかのような面白みがあるも突飛すぎ?て別として、特に後者の2書に比較し、
謎やポイントと思われる事項~仏教受容に関する物部氏との論争、改新前後の蘇我氏と渡来系氏族と関わり、また前掲の 「継体天皇と
朝鮮半島の謎」で明記のなかった継体天皇の即位に結びつくような蘇我氏の活躍の根拠~継体の子の安閑、宣化の宮(匂金橋宮、檜
隈廬入野宮)が蘇我氏の本拠・曽我の地近くや、蘇我氏の配下の倭漢氏の本拠地と蘇我氏と由縁がある地~が示され同書の疑問点は
解明できたものの、稲目の大臣と蘇我氏の急速な台頭に結び付けた説明(p.87)、蘇我氏が物部氏本宗家滅亡後に同氏の支配下の土
地や人民の収奪(p.157-158)等の指摘(但し、他の著者の引用)、特に舒明天皇が反蘇我の行動(p.194-196百済大寺、八角墳)等、
著者によってここまでの違いがあることには意外でした。
ただその一方で、以下の疑問も残り、幅広く検討されているようですが、範囲が狭められ、また明示が不足している印象です。
例えば、外戚や「乙己の変」の一要因の半島の外交策の違いに言及がないこと、第6章の対象は蘇我氏全てではなく本宗家であること、
皇極が舒明の后で中大兄皇子を産んだ系図(p.28)でないこと、「舒明の政策を継承したのが中大兄皇子らであった」(p.194)ことを示す
ものが百済大寺、八角墳のみであること等です。
なお、小見出しまでを表記した目次は、全体を俯瞰する意味で助かりましたが、古代史では本書に限らず既出箇所の引用や繰り返しが
多くなるため索引や年表も欲しかったですね・・・