紙の本
親心とは
2020/11/04 22:57
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画の台詞とほぼ違わず、話の筋は映画よりも少しだけ肉付けされているだけでほぼ同じ。それでも映画がとても良かったから、やはり小説も引き込まれた。映画はカメラを用いる性質上、誰かの「視点」を軸に場面を観ることになる一方で、三人称で描かれる小説は幾らかフラットさを伴うし、一果の複雑な心情も、凪沙の満たされない愛情も文字でダイレクトに伝わって胸を刺す。映画では描かれなかった、昼の職場で凪沙が出会った同僚男性の何気ない気遣いだったり、堕ちてしまった凪沙の盟友瑞貴の再起は少なからず希望を与えられる。
それに、間違いなく凪沙という人物に強烈な輪郭を与えたのは、草なぎ剛の強くて儚い女性の演技だったと思う。映画を観た後に小説を読むと凪沙のざらついた情のある声色が甦るようだった。親心は戸籍に宿るものではなく、誰かを想い献身的に支えようとする純な姿勢にこそ宿るものだと思える傑作だと思う。
紙の本
悲しくて悲しくて、とてもやりきれない。
2020/10/13 18:38
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投稿者:マツモトキヨシ - この投稿者のレビュー一覧を見る
映画の評判がいいので読んでみました。
・・・キツイ。
悲しくて悲しくて、もうどうしたらいいですか?
私ならどうしたろう?私なら何が出来たろう?
この作品で少しでも多くの人たちが
考える機会を持てたらいいな、と思いました。
紙の本
作者は監督・脚本の方。ただのノベライズというわけではないのかな。
2020/10/26 05:15
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投稿者:かしこん - この投稿者のレビュー一覧を見る
先に映画を観て・・・映画での説明されていない部分が気になって、つい買ってしまった。
もう一度あの物語に触れるのはつらいのであるが・・・先を知っているから、まぁいいかな、と。
むしろ間を置かないほうがいいのかもしれない。
凪沙、一果、りん、と登場人物の名前の漢字がわかってちょっと不思議な気持ちになる(映画では名前は音でしか示されない、文字では表現されていなかった)。
映画で文字が出てくるのは呼ばれない戸籍上の名前だけだった。
小説というか・・・映画のベース、脚本に少し肉付けしたもの、という感じか。
三人称だが視点が定まらず、小説としての基本ができていないっぽさに困惑してしまうが、それも私の固定概念なのかも。
そもそも「映画を観た人」を読者に想定しているのかもなぁ。
やっぱり映画で納得のいかなかったところはこれを読んでも納得がいかなかったが・・・映画には出てこなかったけど、凪沙さんの近くにいい人がいた、ひどいやつばかりではなかったというのは、よかったなぁ、と思った。
瑞貴(ミズキ)のその後は、また別に映画になりそうだけど、それはそれでファンタジーになってしまうのだろうか。
紙の本
そして母になる
2022/08/03 13:30
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
男性として生まれてトランスジェンダーの道を選んだ凪沙に、母性が目覚める瞬間を鮮やかに捉えています。血の繋がりに頼らない一果との、親子以上の関係も感動的です。
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登場人物のほとんどが心に闇を抱えていました。
闇の大小はあれど、みんな何かを抱えて生きている。とはまた別の感覚でした。なんなのでしょう。言葉にできないです。
最後まで闇を抱えていましたが、この終わり方は嫌いではありません。
ただ、一果がとても可哀想で仕方がありませんでした(視点を変えればみんな可哀想なんですが)。
また人生は結局は自己満足の連続なんだなぁと改めて思いました。
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表紙になっている草彅くんの表情を見て是非映画を観たいなあという思いで本を先に読みましたが、悲しくて涙が止まらずに今頭がガンガンしています。
こういう話だったか…。
登場人物の誰もが愛おしいです。一果を虐待していた母親ですらきっと懸命に生き苦しんでいるのだと理解出来ました。
男であることに違和感を覚え女になりたい。けれども年齢的にも幸せな未来が見えないような諦めの中で生きていた凪沙が、一果と出会い母親になりたいと願うようになる気持ちの動きが丁寧に描かれていて、流石の映画監督の内田さんの作品ですから場面の映像が心に浮かぶような気がしました。
人を愛するということは崇高でそして悲しい。
生きていくことは楽しくもないし、楽でもない。何か重いものを背負ってみんな生きていくんだと思いました。
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【トランスジェンダーに芽生えた愛と母性の物語】人間は愛のためにどこまで自己を犠牲にすることが出来るのか。草?剛がトランスジェンダーを演じた話題の映画を、監督が自ら小説化。
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とっても心に響く物語で心が痛くなるくらいの愛しさと優しさに溢れてた‼️登場人物のそれぞれの生き方が絡み合い読むだけで引き込まれて泣いてしまい、なかなか先に進めなかったです。こんな事は初めてでした❗️
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トランスジェンダーの凪沙と育児放棄をされた親戚の子、バレエを踊ることが好きな一果とのお話。
凪沙には母になれなくても、毅然と生きていて欲しかった。
それがどんなに難しい事でも
せっかく手術したのだから…
瑞貴が立ち直ったように、立ち直って欲しかった。
新宿で強く生きて欲しかった。
一果が会いに来た時に、本当は嬉しいくせに「何しに来たの?」くらい言って欲しかった。
読了後、映画の予告見たとき
お母さんって呼ばれて嬉しそうに笑ってる剛くんを見ただけで涙が出てきた。
最初から泣きそうだから、映画は一人で観ることにします。
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重くて切なくて哀しくて優しい物語
共に孤独を抱えた一果と凪沙
相容れない二人でしたが自分と同じものを一果に感じた凪沙は歩み寄り、守りたいと思い、遂にはこの子の母になりたいと、自身が生きる理由とさえなります
しかしそれを許してはくれない周囲の世界
誰が悪いとかいうわけではないのでとてもやりきれない気持ちになります
最後絶望していた一果でしたが最愛の友と母の望みを叶える為に世界に羽ばたいていったと願います
2度目のハニージンジャーで涙腺が崩壊しました
映像でも泣きたいと思います
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新宿で暮らすトランスジェンダー凪沙の元に預けられた一果。最初は厄介者でしかなかったのに、バレエの才能を開花させ凪沙の生きがいとなっていく。女の姿では決まらない就職が男になった途端あっさり決まる。知識として知っているだけで、自分たちと違うカテゴリーの人間を排除してしまう私たち。早織も愛情がないわけじゃない、母子家庭の貧困問題。草なぎくんが「自分の代表作になる」と言っていた映画、観るのが辛そうだけど楽しみでもある。
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この小説は8月に読んでいたもので、草彅剛主演で映画化されたものが明日公開になる。
読み終えた後、しばらく放心状態になった。切なくて、歯痒くて、痛々しくて、胸が締め付けられた。
主人公の凪沙はいわゆるニューハーフ。そういうジェンダーを抱えた人たちが属する新宿のショークラブで働いている。
凪沙自身は「工事済み」ではなく、性転換の手術をして完全なる女性になるのを目標にお金を貯めているが、なかなか目標が叶わないまま日々を過ごしている。
そんなある日、田舎に住む姪を預かって欲しいと母から連絡が来る。母は凪沙が現在女性として生きていることは知らない。
そしてほぼ強制的に中学一年の姪の一果を送り込まれ、共に暮らすようになる。
色んなかたちの痛み、色んなかたちの愛、そういうものが突きつけられるような物語だった。
上記の通りで凪沙は生きづらさを抱えているけれど、一果もまた、生まれ育った環境や人の輪になじめない性格からくる生きづらさと闘っていて、それを昇華する表現が凪沙にとってはきらびやかな仕事や女性になるための努力であり、一果にとってはバレエだった。
最初はしっくりいかずほとんど喋ることもないまま共同生活をしていた2人が、徐々に心を通い合わせていく様が美しい。
2人はお互いの痛みを話すことはなくても解り合っていて、そして生きるために必要とし合った。
凪沙と一果以外の登場人物も、皆痛みを抱えていて、苦しげでそしてとても魅力的。
凪沙の同僚であり、唯一の友人とも言える瑞貴や、一果が学校内でただ1人心を開いたバレエ仲間のりん、彼女らの人生も物語の端々に綴られている。
痛みを抱えた人たちを、愛おしく思える小説でした。
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新宿のニューハーフショークラブでステージに立つトランスジェンダーの凪沙のもとに、ある日、親戚の少女、一果がやってくる。広島で実の母から虐待を受けていた一果は、一時保護されたが、広島の田舎に住む親戚たちは近所の噂になることを恐れて、東京で働いている凪沙に一果を預かってくれるように頼んできたのだ。
凪沙はトランスジェンダーであることを実家の家族に伝えていない。東京でサラリーマンとして、男性として働いていると思われていた。
高速バスで上京し、新宿駅で待ち合わせ、初めて凪沙とあった一果は、あらかじめ渡された写真と違う凪沙の姿に一瞬戸惑う。でも何も質問したりせず、黙って凪沙のあとについて行った。親に虐待され、親戚からも突き放された一果にはもう居場所がなかった。ついて行くしかなかった。 凪沙には凪沙の思惑があった。親戚とは面倒を見るかわりに養育費としてまとまった金を送金してもらうという口約束を交わしていた。性転換手術には高額な費用がかかる。少しでも足しにしたかった。親切心から引き受けたわけではなかった。
ふたりの共同生活は、ぎくしゃくとした関係から始まった・・・
以上プロローグ。以下感想。
先週から全国で公開されている映画の原作本。監督自ら書いている。小説家ではないので、映画を観てからじゃないと、細かい描写のニュアンスがわからないかもしれない。
映画ではわからなかったことも原作を読んだら、どういう意図の映像だったのかわかった。
以下若干のネタバレ。
凪沙に黙ってバレエ教室に通っていた一果だったが、ある事件がきっかけでそのことがバレてしまう。警察沙汰になり、何も知らなかったことに少なからずショックを受けた凪沙だったが、このとき一果の心の深い傷に気づき、彼女を力いっぱい抱きしめた。二人の関係はここから変化する。
凪沙の理解を得た一果は、バレニーナとしての天賦の才能を開花させる道を突き進んで行くことになる。
映画はトランスジェンダーの男性を草彅剛が演じたことが話題の中心になっているが、テーマはトランスジェンダーではないと思う。子どもを愛する母、母を愛する娘という構図の、愛憎入り混じる「親子愛」がテーマだ。一果の実母役として水川あさみ演じる早織もネグレクトにより一度は娘を手放すが、凪沙に奪われそうになる娘の心を全力で奪いにくる。一果を思う凪沙の愛は強いが、早織の愛はなお強い。一果の夢を潰すほどに一果を独占しようとする。凪沙と早織の確執に挟まれた一果の葛藤ははかり知れない。
物語は一気に坂を転がりはじめる。
バレエの「白鳥の湖」はオリジナルは悲劇で終わる。映画の結末も悲劇に映る。でも主人公が心のうちに後悔を感じたかというと、きっと、これっぽっちも感じていないと思う。
思い通りに人生を生きられる人がどれだけいるのだろう。多くの人が思い描いた理想と現実とのギャップに打ちひしがれる。凪沙の生き方は、他人の目からみれば、なぜそんなことにこだわるのか、もっと違う生き方を選択すればいいじゃないか、とケチをつけられる生き方かもしれな���。
でも最期に後悔するかしないか、最期に目に映る景色を美しいものとして、瞼に焼き付けられるかどうかは、命がけで、自分の心と対峙して生ききったかどうかにかかっている。
凪沙は生ききったと思う。ミッドナイトスワンとして。
この映画、多くの人に劇場で観てもらいたい。
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映画『ミッドナイトスワン』を内田監督自らが小説化。
先に映画を見ていたので、映像では描き切れていなかった部分がわかり、映画だけだとモヤモヤしていたものが解消された気がする。
映画で実花先生に「お母さん」と呼ばれた瞬間の凪沙の表情が忘れられない。
ラストの一果が颯爽と羽織るコート姿が凪沙を彷彿し、心の中で共に戦っているのだなと思えた。
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血の繋がりなんて、所詮ただの血の繋がり。
それよりもこの人のためなら、と思える人に出会えたことが素晴らしい。