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  3. 澤木凛さんのレビュー一覧

澤木凛さんのレビュー一覧

投稿者:澤木凛

66 件中 16 件~ 30 件を表示

紙の本日本の危機 2 解決への助走

2001/03/31 15:23

櫻井よしこの強さがはっきりとわかる一冊。今の世の中の問題点・矛盾点を見事なまでに切り取る櫻井氏の論調に脱帽。

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 非常に力強い論調だ。とにかく強い。そこらあたりにいる似非ジャーナリストや太った丸い鷹派政治家などふっとんでしまうくらい強い。これは驚愕に値する。何が日本の危機なのか的確に見つけだし、それを断固たるまで糾弾する。正しいと信じることと間違っていると考えることの明確な線引き、そしてあいまいさを許さない強さ。それらがすべてこの一冊の中に詰まっている。

 話題の見つけ方も幅広く、深い。教育問題に始まり、犯罪問題、軍事問題、自治体・官僚制度の破綻、リサイクルと化学汚染、金融問題、国際問題と広がっていく。それら一つ一つの話題をきっちりと掘り下げ、現場の声を聞きだし、その中に隠れている本質をかぎ取っていこうとする。その姿勢を文章越しに感じるだけでこちらの背筋が伸びる思いだ。我々が時に美徳とし、時にいいわけとする曖昧さを全くといっていいくらい含まない明確さ。そこには彼女の本質が座っている。

 どれも我々が真剣に取り組んでいかないいけない問題ばかりだ。しかし、その本質を見ずに取り組もうとしていることも多い。一番感じたのがリサイクルの問題。その奥底には化学汚染という問題も必ずつきまとってくる。何のためにリサイクルをするのか、それを抜きにリサイクルだけはじめる。ゴミの分別回収だけやっていれば「地球に優しい」と思いこむ。そもそも「地球に優しい」なんて言葉の持つ意味すらあやふやだ。そういう曖昧さに我々があまりにも慣れ親しんでいないか。その中で本当に重要なものを見失っていないか。問い直すことは多いと思う。

 この本は確かに難しい。私自身興味のない分野は読み飛ばしてしまいそうになる(睡魔に負けそうになることもしばしば)。しかし、あえてこの本を世の人々に勧めたい。もちろん、同じ意見を持てといっているのではない。この中に書かれている事実、その明確さを感じ取り、自分として考えることを求めたいのだ。あまりにも流されている我々の生活、政治、それを今一度考え直さなければならない。それを国民の多くがすぐにでもはじめなければならないほど、この国は絶望的な状況にある。それを知ることから始めなければならない。

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目的を見失いそうな貴女に読んでもらいたい、力強い一冊。

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 遙洋子ってだれ?って思う人もいるかもしれない。関西では有名な「しゃべりの上手なお姉さん」で「週刊トラトラタイガース」を川藤幸三と一緒にやっている。(この「週刊…」というのがおそらく関西人以外には胡散臭く聞こえるにちがいない…笑)で、そのタレントがなぜ上野千鶴子教授に教えを乞うたかということになるが、彼女実はかなり真面目に「フェミニズム」について勉強をやっていたようだ。そして、最後は日本の権威である上野教授について学びたい、という希望を実現させたのがこの本のきっかけである。

 ここまでなら「タレントなのに頑張ったのね」という程度の話で終わるが、ここからが凄い。厳しい上野ゼミを三年間通して勉強していった過程が書き記され、その中で「フェミニズムとは」ということをさりげなく語っている。もちろん、一冊の本で語れるわけなどないことは著者が一番痛感している。それでもその側面をわかりやすい言葉で「さりげに」書き記す。そして読むにつれて芸能界という非常に閉鎖的で女性差別が当然のように行われている世界で生きているが故に彼女がこの学問を選んだと言うことも見えてくる。女性故に反論できないことが多々あり、それがまかり通る世界。そこでも自分の意見を言えるようにするにはどうすればいいか、それを彼女は3年間という時間を通して体得していったのである。

 興味深かったのは上野教授の方針だ。とにかく議論をする。人間が知恵を振り絞って相手とやり合う。どこがおかしいのか、どこが正しいのか、なにが違っているのか、何にだまされているのか。道を切り開く手法はただただ論じることにだけある。そうやって他人と論じあうことは、すなわち自分を知ることでもある。それをゼミを通してみっちり教え込む。妥協は許されない。教授自身が受けてたつこともあるし、厳しさの足りない論議は教授によって徹底的に攻撃される。教授もまた真剣勝負であり、それによって成長しようとする。いや、常に論じることのみが「錆び付かせない」ための唯一の方法であるのかもしれない。

 これはきっと我々の日常生活にも同じ事が言える。最後は他者との対話ではないか。日常の中でも論じ、考えること。それが自分が保つ唯一の方法なのだ。自分の生活の中にそういう論議の相手がいることは実はもっとも幸福なことである、ふとそう思えた本であった。これは是非、一読をすすめる。自分の目的が見失いがちの人にはきっと何かを教えてくれるはずだ。勇気を与えてくれる本というのはこういう本をいうのだろう。

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語は流行語の最終形、そこにはその時代が確実に反映されているから面白い。

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 この本、いまや誰もつかわなくなった死語について年ごとに記してあるのだが、「ああ、こんな言葉もあったっけ」と思わせるところがよい。例えば「フィーバーする」「なめ猫」「三語族」「浮沈空母」「ニャンニャンする」…等々、そんなのあったなぁと思うようなものが沢山お目にかかれる。この中で最近のものはまだわずかに使われているものもあり、だんだん死語になっていくのだろうなぁというのもわかる(実際、99年まで書かれていて「これだけ、ずーっとやってくると、わかりますね。あ、これは死語になる、というのが。」と小林氏も書かれているように予想も入っています)。

 つまり死語というのは流行語の裏返しでないといけないわけで、一世を風靡した言葉がその後使われなくなるからこそ、死語を形成するわけで世間に一度は評価されないといけないわけです。そのあたりが難しい(だからボクがこの本を買ったのは死語辞典としてではなく、流行語辞典として購入しています)。言葉は時代をきちんと反映させるので時代が見えて楽しいと言うこともあります。

 言葉遊びは「たかが言葉遊び、されど言葉遊び」の部分が大きいと思います。知らないと言い切ってしまった段階でその言葉を使う人々とのコミュニケーションを自ら放棄してしまうことになるのです。「へぇ、そんな風に使っているんだ」と興味をもったり、「昔はこんな言葉があったのか」と言葉に対する探求心を持ち続けることは人間に対する興味・探求につながっていくのではないでしょうか。

 言葉に敏感にありたい人、ふと昔の自分を見てみたい人(流行語、死語はその当時の自分を思い出させるに十分な触媒です)、是非一読してみてはいかがでしょうか?

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読み聞かせのもつ大きな力、それは人と人が向かい合うところにあるのかもしれない。

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 「読みきかせ」を知っているだろうか?「読み聞かせ」とは、中学生に週に一度15分くらい本を朗読して聞かせるというものからスタートした。この本では長年中学校の国語教諭をしていた著者が実践してきたその具体的な方法や効果が書かれてある。現場の一線に立ち続けた著者の実体験を綴ったこの本は内容も非常に興味深いものであった。朗読によって感動が読み手と聞き手の間に起こるというのだ。おそらく普段ちゃんと話を聞かないような生徒も読んで聞かせるという行為に聞き入ってしまうのだろう。読み終わった後に広がる沈黙の時で生徒が感動しているのがミシミシ伝わってくると著者は書いている。現場に立つ者だけが語れるリアリティがある。

 読み聞かせは中学生だけに有効なのではない。小さい子供の頃から「読み聞かせる」ことによって本が好きな人間になっていくという。そういえばボクも幼少の頃、母親にずっと「読み聞かせ」をしてもらったようだ。そのおかげかどうかわからないが、本は好きだ。もちろん、読書を美徳とする雰囲気で育てられたことは非常に重要な要素だろうし、本好きに育ててもらったことを本当に感謝している。本が好きかどうかで人生の損得ではかなり違っていると思う。そういう意味ではこの「読み聞かせ」という行為はなかなか重要である。

 この「読み聞かせ」、著者は老人ホームにもいいのではないかと提案している。一人が読んでそれを皆で聞くというのは確かに素敵な時間を過ごすことができると思う。考えようによっては非常に贅沢な時間の過ごし方だ。老人ホームで文字を読むのが億劫になった年輩の方々相手に読むのもきっと有意義だろう。著者の提案は些細なことだが、大きな輪を作りつつある。興味ある人は是非、読んでみてはどうだろうか。

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身近なことに科学のメスをいれてみると・・・サイエンスライターの実力発揮の一冊。

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 サブタイトルが「見慣れたものに隠れた科学」となっていて、本の主旨は「普段の生活にこんな科学が隠れているよ」というもの。書いているイングラムはサイエンスライターという肩書きをもっていて、母国カナダではサイエンス番組の司会もやっているそうです。しかし、なにが凄いって「カナダサイエンスライター協会賞」とかとっているところ。サイエンスライター協会なんてカナダにはあるというのも凄い。日本ではサイエンスライターなるものは職業として存在しないからね。前々から言っているように、そういう部分が日本では遅れているなぁと痛感します。

 さて、実際の内容は軽めのコラムがずらりと並んでいます。一つのコラムはそう数頁で読むのに10分くらい、内容もそれほど難しいことは書いてなくて本当に身近にある自然現象を取り上げたものばかりです。「思わず舌をだすのはどんなときか」「コーヒーを出来るだけ冷まさない方法は」「まばたきのわけは?」「あくびはどうしてうつるのか」「虫はなんのために群れて飛ぶのか」等々が科学的なアプローチでいかに解明されるか書かれています。

 我々が普段何気なく接しているものや事象にももちろん科学的な根拠やしくみが存在します。それを疑問に思って解明しようとする人々が沢山、この世界には存在するのです。そうか、こういうしくみになっていたのか!と我々は物事の真実を知ったときに喜びを感じます。それは幼い頃に満たされた好奇心と全く同じもののはずです。幼い頃、我々の周囲は未知なる物事で一杯でした。ちょっとした毎日が冒険の連続でもありました。それが背が伸びて大人になるにつれて「ありふれた毎日」へと変化していったのです。もちろん、毎日が驚きの連続というのは結構くたびれる生活かもしれません。しかし、ドキドキ、ワクワク、不思議なことを解明する喜びがない世界はもっと寂しいものです。我々の中に眠っている好奇心という名のエンジンに再びスイッチを入れてみるのもいいことです。そのときのガソリンにはこういった本が最適なのかもしれませんね。

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紙の本運命

2001/03/26 20:47

スポーツの世界の敗者の美学、そこに真実を読む。

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 高山氏は知る人ぞしる大宅賞を受賞した気鋭のノンフィクションライターだ。その高山氏がNUMBERに書いた作品を集めて出版したのがこの本だ。スポーツにおける復活劇が書かれている。

 一人目は元巨人の吉村について。なんだ巨人の吉村か…と思う事なかれ、札幌円山球場で激突して選手生命を棒に振りかけた男だ。そのどん底で彼は必死になって野球にしがみついてはい上がってきた。リハビリをしても動かない脚を無理矢理ひきずっても打席に立ってきた。そしてその陰にもう一人の男の人生が見える、栄村だ。栄村は吉村とは対照的にずっと陰を歩いてきた男だ。その彼が一軍に昇格して今だとばかり張り切ったその時に吉村との衝突事故が起こる。球団の主軸を打とうとしている吉村と雑草のようにのし上がってきた栄村との衝突事故。悲劇は吉村の選手生命の危機とそれに対する栄村のほぼ無傷という事態にあった。その後の栄村はどうなったのか、吉村は栄村のことをどう思っているのか。事故の陰に隠れた人間模様に一筋の光をあて描き出している。

 この他にライオンズ、黒い霧事件の池永、二輪の世界グランプリ覇者であるウェイン・レイニーをとりあげて書いている。いずれも不幸な事故・事件によって絶頂期に自分の生き甲斐であり仕事であるスポーツを取り上げられた人々だ。その後彼らがその事故をどのように受け止め、押し寄せる現実を直視し、暗雲のかかる未来に何を見つめて走ってきたのか、それを丁寧に描き出している。高山氏がこの作品のタイトルを「事故」でもなければ「復活」でもない「運命」にしたところが興味深い。それを起こるべくして起こった「運命」なのだ。しかし、そのことで彼らはあきらめない、その運命を乗り越えて次にまつハードルへ向かって歩き出した。それがまた「運命」であると。

 この物語は勝者はいないし、また敗者もいない。事故によって振りまわされた彼らの陰には栄村のように巻き添えをくった人々もまたいる。そんな全ての人をひっくるめて時間という波が押し流してしまう。皆、淡々と生きている。そして自分の「運命」と向き合っている。そんな当たり前のことをきちんと描き出しているからこそこの作品は読み者にいろいろな思いを投げかける。そんな一冊である。

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紙の本美女入門 Part2

2001/03/26 20:42

林真理子女史が書くからこそ真実がある「美女」学の秘話。

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 林真理子女史に対しては世論はどうとらえているのだろうか。一般的にブス/デブの代名詞として扱われているのか、それとも単なるブランド好きとして見られているのだろうか。いや、文学としてとりあげるなら「官能小説に走ってしまった女流作家」ということになるのか。まあ、どれもあたっているようであたっていないようで…。

 私は彼女は日本人の典型である、と思う。いや、正確には「少し古い日本人の」という方が正しいか。彼女は基本的にまじめな人である。そして田舎から出てきて都会というものに一生懸命紛れ込もうと努力した。都会で認められ、賞ももらい、故郷に錦を飾った。でも根っこは田舎の普通の娘さんなのだ。お嬢でもなければ、都会育ちでもない。芸能人大好きなミーハーだし、ハイソな人々にあこがれもあるが、気後れしてしまう。しかし、彼女はあえてその中に踏み込んでいこうとする。その世界を知ってみたいとする。こんな世界もあるのね、と友達(つまり一般の人々)に知らせようとする。自分だけが知っているからちょっと自慢げになったりもする。いつでも背伸びしてハイソな世界に入っていたい、その背伸び感覚が彼女の持ち味だろう。

 もちろん、本当にハイソな人々は努力なんてしなくても美女だったりするし、努力しているところを人に見せようなんて考えもしない。私はこんなに努力しているんだ、でもダメなのねぇ、というのが林真理子女史が旧日本人たる象徴的な事実である。まあいずれにしてもこの本は肩をはらずに読むことは出来る。そして、林さんも頑張っているのねぇ、私もちょっとはダイエットでもしてみよう、と思ったらそれで十分なのだろう。この本を読んで林真理子女史を本当に鬱陶しいと感じる人もいるだろうな、その人はきっと彼女と同じ感性を持っている人だと思う。案外多かったりするのかもしれない。全く無関心でいられる人が本当のハイソな人に違いない。

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紙の本大学崩壊

2001/03/26 20:41

大学崩壊、この言葉の裏にある真実を読み始めよう。

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 この本、帯には「発売直後より各紙誌絶賛!」と大げさにかいてあるけど、まあ大学というところに在籍していたらよくわかる話ばかりだ(というか、大学院に在籍しないと見えてこないかな)。でも、世間的にはそれが象牙の塔という全く見えない世界故に新鮮だったのかもしれない。

 大学の教授がいかに人間的にたいしたことないか、私も大学にはいってすぐに痛感した。ものすごく視野が狭い人々が沢山いる。ここ以外では生きていけないんじゃないかと思う人が本当に沢山いた。彼らはある意味で子供のまま歳を重ねているのだ。政治屋(研究せずに学内人事に一生懸命の教授)は沢山いるし、政治屋のせいで大学がくだらないところになっているのもきっとかなり正しいだろう。ただ、それは今まで日本のどこの大学でも見えたことだ。一企業でも上司の顔色ばかりみている人間の方が出世したりするのはよくある。それが最近は実力主義に徐々に変わりつつある。組織というものがオープンになり、自由競争がかなり入ってきたからだろう。大学の組織もオープンにすればきっと変わっていくに違いない。

 この本では学生の学力低下もかなり深刻に取り扱っていた。実際、分数の計算ができない、なんてよく言われるけど、それ以外の部分も大変な状態になっている。ただし、これは学生だけが悪いのではなくて日本人全体のレベルがダウンしていることに起因するのではないか。全て意味で日本人のレベルがダウンしている。典型的なのは日本のリーダをみればいい、原敬、田中角栄、現在の首相と比べれば日本人のレベルダウンがわかる気がする。学生のレベルあげるために何をしなければならないか、この本の中では共通一次のように五教科受験を義務づけよと語っている。

 負の要因は沢山ある。生徒の数が減って勉強しなくても大学に入れるようになり、大学が生徒にこびる時代になっている。文部省は義務教育の週休二日を導入し、ゆとりの教育という名の下に勉強時間を減らす。これで日本の教育が復活するはずがない。そういうこれからの「教育」に対する議論を始めるきっかけにこの本は十分なる。実態を知る一つのものさしに読んでみるのもいい。

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紙の本蹴球中毒

2001/03/26 20:40

蹴球中毒と自分のことを言えるようになったらあなたも本物だ。

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 馳氏はサッカー小僧あがりの作家、金子氏はいわずとしれたサッカー関係のフリーライタとまさしく中毒にかかりそうな二人が98年のW杯の時に書いた文章、対談を元にこの本は構成されている。熱くなってしまったのは馳氏だ。ついに生のW杯を見てしまって、完全にはまってしまった。単にレベルを求めるならイタリアのセリエAとかスペインリーグの方が完成度が高かったりする。しかし、それを越えてナショナリティを含めた何かがW杯にはあったのだ。右でも左でもない馳氏ですら熱くなり、日本の応援に夢中になった。

 しかし、結果は知っての通りの惨敗。3連敗で勝ち点なしはあまりにも辛すぎた。いや、それまではW杯にでることすら、夢のまた夢であったのが、ピッチで闘ったのだからよしとしなければならないかもしれない。それでも開催国のフランスチームが優勝し、あれほどクールなパリジャンやパリジェンヌたちが熱狂し、興奮するのをみて「これを日本で味わいたい」と思うのは素直な気持ちだろう。そんなことが可能なのか、きっと可能だと馳氏は信じている。

 日本を強くするために必要なこと。それはシステムの構築だ。今の日本サッカー協会では先をみすえた構築なんかできやしない。それも明確だ。あとは皆の力でどうしていくかにかかっている。それを痛いほどわかっているから両氏はこの本を作り上げたのだろう。そこにある気持ちを感じて欲しい、ともに立って欲しいという彼らの思いを受けたサポータたちがきっと新しいシステムを作り出すに違いない。まずはこの本を読んであなたも熱い波を感じて欲しい。そこから始まる何かがあるに違いない。

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紙の本学校はなぜ壊れたか

2001/03/26 20:39

教師のプロが語る学校の昔、今、そして未来

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 著者の諏訪氏は知る人ぞ知る「プロ教師の会」の代表である。プロ教師の会は以前深夜のB級映画劇場でやっていた(もちろん、そんな名前ではない)映画の監修がプロ教師の会だった。この映画(タイトル失念)は学校内で起こる問題を妥協せずにプロ魂あふれる教師が挑んでいくというしろものでクールな主人公がなかなかよかったのを記憶する。主人公の教師役には長塚京三、諏訪哲二氏の写真はどことなく似ていて雰囲気を醸し出している。

 この諏訪氏はもうすぐ定年退職なわけだが現代教育にもの申すということでこの本を書いたみたいだ。生涯一教師にこだわった彼はどうやら定年まで一教師を選んだようで今も教壇に立っているが、生徒の質が1985年あたりを境に大きく変わったと指摘する。戦後間もないころは勤勉で学校に通うことが喜びですらあった「農業社会的な生徒」が大半を占め、その後団塊の世代あたりから「産業社会的な生徒」がでてくる。彼らは教師と自分たちを対等だと思い、教師の言うことが絶対だとは考えなくはなった。そして現代の「消費社会的な生徒」の出現である。これが85年あたりだという。彼らは自分の快楽や利益に直結して動く。教師の立場は三の次くらいだ。自分がしたいように動き、そのことになんの疑問も感じていない。

 「産業社会的な生徒」の最後である私が感じるのは、現在の自己中心的な生徒の出現は起きるべくして起きた現象だろうということだ。新しい種は突然出現したように見えて実は徐々に現れている。そしてある境界を境に大量に発生する。社会全体の流れは「ルールを守って組織に依存する」というしくみから「個人の利益優先、組織から独立する」の方向へ移っている。ただ、日本という社会の脆弱な部分はこの「組織からの独立」が上手く行かなかった点にある。組織にはしがみつきながら個々の利益を求めるようになったのだ。責任を果たさないのに権利を要求する、そういう風潮のみが残った。

 その中で生まれてきた新しい世代の生徒は確かに歪だと思う。自分のしたいことを求めるのであれば学校という枠組みに無理矢理入っている必要などない。皆がいくからという理由で学校などと言う旧型の組織にしがみついてその組織を無視して闊歩する。子供は大人の縮図だと言うがまさしくその通りの状況が起きているのだろう。諏訪氏はプロとして自分が出来ることがなにか常に試行錯誤してこなしている。こういうプロの仕事をしても成立できない組織、それが今の学校であるということを我々もしっかりと認識しなければならないようだ。

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紙の本おまえは世界の王様か!

2001/03/26 20:38

読書王時代の自分に苦笑、ハラダ氏のタイムトラベル書評。

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 この本、少し変わったタイトルがついているが、王様とは実は原田氏自身のことを指していっている。いや、正確に言うと二十年前の二十歳の時の原田氏のことをさして四十歳の氏が言っているのである。

 ことの発端は氏が実家に帰ったときに母上から「あんたが昔かいてたカードが沢山出てきたよ」というところから始まる。氏は二十歳くらいの時に読書記録を京大式カードに書きつづっていたのだ。それが二十年の時を経て発見された。読んでみると、実に偉そうなことが書き記してある。今の氏をして「お前は世界の王様か」と言わしめるばかりの感想文なのである。これを取り上げて笑ってみよう、というのがこの本はスタートしている。実に楽しい構成で、読んでいてなかなか愉快である。

 この手の本を面白くなるかそうでないかの境目は何だろうか。これは「書いている本人が楽しんで書いているかどうか」という部分が大きいと思う。本人が「これはむちゃくちゃ面白い!」と思って書いているとやはり読む方もそれに引きずりこまれていく。逆に本人が楽しめないものは読者も夢中になれない。この本では昔の自分との対話が楽しいであろう。昔の自分の日記を読むと「こんなこと考えていたんだ」とか「むちゃくちゃ言っているなぁ」とかがあって、しかもそのことをいくらでも批判しても誰も怒らない(当たり前だけど)。昔の自分との距離があいていればあいているほど、そのギャップが大きくなって面白い。ちょうど昔の自分が書いた日記をみて笑ってしまうのと似ている。

 推奨の一冊、小難しいことは一切無し、すっきり読める。しかし、なんといっても偉大なのは「若さ」か。これだけの読書を毎日飽きることなく続け、それを記録として残しているところにこの本の最大の素晴らしさがある。若い頃のインプットがきっと原田氏を「かっちょいい」オヤジにしたのだろう。この本を読んで自分も「もっと精進しないと」と思ったらそれで十分読む価値はあったといえる。

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高校野球史上に残る名勝負を今再び。

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 この本がドキュメントしている試合は、今も高校野球史に残る98年夏の名勝負である。悔しいかな、私はこの試合を全く見ていない。全く言う表現は不思議に聞こえるかもしれない。その試合を生で見ていないし、テレビ中継も見ていない。というところまでは普通だ。しかし、この試合は高校野球史上に残る名勝負であり、その後何度も放送されたのだ。翌年には深夜枠に録画で放送したくらいである。みたいと思いつつも結局見ずに今日に至っている。

 しかし、この試合はやはりすごかった。そのことは、この本を読めばわかる。高度に技術を極めていったその果てにあるのがこの試合だったのだ。高校野球もここまできているのか、というのがはっきりとわかる、そういう試合だった。横浜は大会屈指の好投手、松坂大輔。対するPL学園は突出した選手こそいなかったものの、その総合力は優勝候補筆頭、松坂をうち崩すにはこのチームしかいないと言われていた。この二校の激突は準々決勝、早すぎる対戦でもあった。

 前半はPLペース、それを横浜が追いついてからは一進一退のシーソーゲーム、そして延長突入。横浜が二度突き放すもその裏の攻撃でPLが追いつくというまさに死闘を展開。松坂をしてなんとかしのいでいるPL相手では延長再試合となった場合に勝ちはないと横浜ベンチは思っていた。この試合で決めなければ次はない。そのプレッシャーの中で見事PLをうち砕き、最後は松坂の気迫の投球で勝ちを収めた。延長17回、3時間半近い試合をこなした両チームの試合はこのときまさに「伝説」となった。250球を投げ抜いた松坂は翌日の試合、最後だけ投げてチームを逆転させ、決勝戦ではノーヒットノーランで勝ち、「平成の怪物」となる。この試合があったから怪物は目覚めたのかもしれない。まさに怪物になるために必要不可欠な戦いだったのだ。

 綿密な取材によって再構成されたこの本は精神論を一切に排除した非常にクリアな高校野球を描ききっている。最高のレベルでぶつかった両校の真の姿を描き出そうとしている。ひとつはこの試合を生でみていなかった、いや見損ねた人々によって調べあげられているということ。きっと生であの試合を見てしまってはその感動の大きさにここまでのものを必要としなかっただろう。テレビ画面を通して見た故に真実を知りたいという欲望に彼らは駆られたはずだ。綿密な取材で浮かび上がってくるものもやはり素晴らしいものだった。高校野球というものの面白さをはっきりと記した一冊だ。

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高杉良氏も絶賛の読み応え十分の企業小説登場。

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 高杉良氏が絶賛するだけあって確かに面白い。私も夢中になって読んでしまった。これだけ夢中になって読んだのは久しぶり、久々に読み応えのある企業小説の登場だ。

 話は国際金融市場を舞台に戦う男達の話。主人公は日本の富国銀行ロンドン支店に勤めるエリート、もっとも彼は日本の銀行の事なかれ主義に愛想をつかしつつ、自分のささやかな思いのために頑張っているという設定。その相手役にはその銀行に早々と見切りをつけて米国の投資銀行でバリバリと働いている今や英国国籍になってしまった男。この二人が「国際協調融資(シンジケートローン)」の主幹事銀行の座(トップレフト)をめぐって激しく攻防するというのがストーリィだ。

 書いたのが現役の金融マンというだけあって非常に面白い。もちろん、全てを理解できるわけではないが、生きるか死ぬかの瀬戸際を綱渡りで歩く金融のプロ達の息づかいが聞こえてくるようであっという間にその世界に引き込まれる。細かく描かれた詳細(ディテイル)によって臨場感にあふれ、その中で勢いよく動き回る物語、確かに面白い。

 もちろん専門用語のオンパレードだ。ぼんやりとしかわからない言葉ばかりだが、読んでいく間に独特の世界に入っていくことがわかる。そしてふと思ったのはこれは瀬名秀明氏の「パラサイト・イヴ」と同じではないか、ということだ。瀬名氏が描く世界は理系の私は読んでいてよくわかるのだが、これが何も知らない一般文系の人が読んで面白いのかと思っていた。それと全く同じことがここでも繰り広げられている。しかし、わからないから全く面白くないわけではない。それが十分に舞台を作り出す効果を担っているのだ。ここで使われる金融市場のシステム・専門用語は詳しくない人にとってはそれは臨場感を与える小道具になるし、一方よく知っている人には意味のある設定として焼き付く。

 絶賛の作品だが、もちろん難がないわけではない。なんといってもクライマックスとその落ちの付け所は全然納得がいかない。悪役の彼の処遇があまりにもナンセンスだ。決着が付いたところでもう一度立ち上がらせる細工が欲しかった。最後に一番美味しいところをとる会社もあまりにも短絡的ではある。そこは思い切って書いて欲しかったところではある。ただ、久々に血沸き肉踊る企業小説の出現であることは間違いない。次回作にも期待したい。

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紙の本絶版

2001/03/25 20:23

ヲタクの道も奥が深い。極めた三人の究極のオタク談義の最終章。

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 岡田斗司夫・田中公平・山本弘の3氏の究極のオタク対談の第三弾がこの本である。前の二冊は「封印」、「回収」の両方ともサブカルチャーの極みという内容であったが、最後に出てきた本作も十分に濃い内容になっている。

 さて、三冊目も前の二冊と同じように濃ゆい。ギャルゲーの話ではトキメモのキャラクタが実は絵的には全然個性的ではないと言う話が書いてあり、フィギュアにしたら区別がたいしてつかなかったらしい。それをみたとあるモデラは「全然、区別がつかないな。赤く塗るか」といったとか(笑)さあ、この文章を読んで爆笑した貴方、貴方は立派なオタクです。この本をすぐに読んで十分に堪能できるはずです。

 こうやってオタク談義をしている三人だが、彼らも実はかなりの才能の持ち主。田中氏は「サクラ大戦」の主題歌テイゲキを作っている売れっ子作曲だ。「田中公平なんて知らない」という人はほとんどだが、この田中氏、かなりの数のアニメ、ゲームの主題歌を作曲し、音楽もつけている。ゲーム業界は必ずCDになるから、芸能界で売れない作曲家よりも収入はいいし、やりがいもあるという。では、誰でも出来るのかといえば、氏は一笑に付すのだ。「才能がないとこの世界でやっていけない。アニメだからといってバカにはできない」

 かくいう氏も東京芸大を出ているし、そのあたりの「○○○音楽学院」なんていう専門学校で少しやったくらいでは無理だという。ゲームやアニメの音楽業界で生きていこうと思ったらかなりの実力がいる、らしい。たしかに劇場用の音楽つけると何百万というギャラなわけだし、オーケストラの譜面に書き下すのはちょいちょいとできるかというと、そりゃ大変なわけ。

 しかし、これらだけのオタクな三人が集まって語っているのは「我々よりもっと凄い奴は絶対にいる。そいつらは表に出てこないだけだ」というのには脱帽。そうだな、ホンモノはいるに違いない。きっとK1とかに出てこないようなとんでもない殺し屋というか格闘家がどこぞの山奥にいるみたいなものだろう。道を極めるとはそういう世俗と切るところからありか、んんん、オタクの道も奥が深い(感嘆)。

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ポケモンをカルトとしてみるとその秘密が少しだけわかってくる。

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 この著者はちょいと癖のある人みたいで(失礼)、幼児教育をずっとやってきているその傍らでカルト宗教から信者を救い出すみたいな活動もやっているという。つまりその二つの専門分野の交錯点が「ポケモン」だというのだ。これは着眼点としてはなかなか面白いものがある。

 子供達は熱狂的にポケモンを支持する。そしてものすごく盲目的だ。ピカチュウがかわいい、これは絶対的な「真」なのだ。その幼い心に「刷り込み」が繰り返される。戦って死んだポケモンはどうなる?また再生させれば大丈夫、そんなに簡単に再生が行われると思ってしまって大丈夫なのか?痛みを伴わない「死」が確かにそこにはある(再生という概念もカルトの重要要素だと著者は説いているが)。

 そして、私が個人的に興味深く思ったのは「ポケモンというストーリィの基幹が『育てて戦わせる』というコンセプトである」という著者の指摘である。つまり戦うのは自分ではない、あくまで自分の育てたポケモンが戦うのだ。傷つくのは自分ではなく、ペット。努力するのもペット。著者の指摘は厳しい。主人公サトシが一生懸命ポケモンを調教して上手くいかなくて涙する。そのことに対して仙人なりが「おまえは感心な子じゃ、特別に力を貸してやろう」という、一体、サトシがなんの努力をしたのか。そんなバーチャルなものでいいのか。確かにその指摘は正しい。他人との接触をポケモンというインターフェイスを使わないといけないということが既に現代社会の歪みがある。

 著者は「子供に大量の消費させるために作られた何の教育的概念も持たない暴力番組」と手厳しいが、本当にいい加減に作られたかどうかは制作者側の言い分も聞いてみないとわからない。できれば制作者の意図(畠山けんじ・久保雅一著「ポケモンストーリー」)も読んでみるのも面白いだろう。ただ、確かにあるのはこのキャラクターは圧倒的な影響力を持っているということだ。確かにピカチュウに言われたらそれを信じる子供達は沢山いる。単なるキャラクターをこえてポケモンという重大なサブカルチャーを検証してみるのも興味深いことだろう。

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