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北祭さんのレビュー一覧

投稿者:北祭

114 件中 46 件~ 60 件を表示

紙の本沖縄文化論 忘れられた日本

2004/02/01 10:18

何も無いことに事の本質をみる

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 天才芸術家、岡本太郎。その昔、テレビのCMでピアノを弾くなりカメラに向かって「芸術はバクハツだ!」と叫んだ姿ばかりをイメージすると火傷をする。実は、岡本は艶と毒味のある独特な文章をあやつる作家という一面をもっていた。

 本書が書かれた当時、川端康成は「あの本はいいですねえ。沖縄にいきたくなった」と語り、三島由紀夫は「『沖縄文化論』になぜ読売文学賞をやらないんだ。僕が審査員なら絶対あれを推すな。内容といい、文章といい、あれこそ文学だ」と絶賛したのであった。このエピソードから、当時の岡本に寄せられた評価の質を察することができる。

 岡本は当時まだ米軍占領下であった沖縄を訪れた。『芸術新潮』に連載していた「芸術風土記」のための探検旅行の最後を締めくくる旅である。

 はじめ、岡本は<何か在る>ことを期待していた。「私の究めたいのは、悠久の過去から未来にわたる因果の中で、沖縄の生命の本質がどのように運命と対決したか。またするか−」との意欲満々の思いを語る。沖縄見学をすすめるなか、人々の温かさや自然体としての風俗を体験していく。しかし、ある種の「けだるさ」におかされる。何かが足りない。

「私はまるまる一週間、島内をかけずり廻った。見るべきところはほとんど案内してもらったのだが、結果は予想に反した。いわゆる<文化>というべきもの、発見としてグンとこちらにぶつかってくるものがないのである。」

 何も無いことに苛立ち、何も無いことに眩暈を感じる岡本。この率直な意見が文面から伝わり、もうそろそろ本書を閉じようかと思いつつ頁をめくった、まさにそのとき、一枚の老婆の写真に目が釘付けとなった。”久高のろ”である。

 沖縄には日本の原始宗教、古神道に近い信仰が生きていた。各島、各村には必ず”祝女(のろ)”とよぶ、云わゆるシャーマンがいたという。岡本は久高島に入り、この島を護る祝女、すなわち”久高のろ”に会う。このくだりから、本書は突如として沖縄文化の本質に迫る緊張感に満ち始める。”久高のろ”が放つ清楚で強烈な印象が本書全体を覆い始める。
 岡本は”のろ”の息子さんの案内で儀式に使われる神聖な場所「大御獄」に赴くが、そこには、なんと何も無い。「何の手ごたえもない」「ただの石っころだけ」。しかし、村に帰った岡本の身体を<うちつづけるもの>があった。

「日本の古代の神の場所はやはりここのように、清潔に、なんにもなかったのではないか。おそらくわれわれの祖先の信仰、その日常を支えていた感動、絶対感はこれと同質だった。でなければ、なんのひっかかりもない御獄が、このようにピンと肉体的に迫ってくるはずがない。−こちらの側に、何か触発されるものがあるからだ。日本人の血の中、伝統の中に、このなんにもない浄らかさに対する共感が生きているのだ。この御獄に来て、ハッと不意をつかれたようにそれに気がつく。
 そしてそれは言いようのない激しさをもったノスタルジアである。」

 <何か在る>ことを証明することは容易い。だが、<何も無い>ことに事の本質を見出すことはけっして容易なことではない。岡本太郎の芸術家魂は遂に日本文化の本質が<何も無い透明さ>にあることを掴み取ったのである。

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紙の本本はこうして選ぶ買う

2004/01/19 23:47

うがった見方の道破本

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 やはり本好きによる「本のための本」はいいものです。もちろん、著者の様々な提案やご案内は自分の背丈に合っていないこともままあります。けれども、天下一品の本好きが語るのですから、その熱意は最高温度。読み進めるとそれが伝わり、どこかしら温まってくるその感触が心地よい。

 谷沢さんは「本は読んでも読まなくてもよい」とする人です。そのくせ、普段から読書の効用を語るのですからなかなかズルイ。そもそも希代の読書家が「読まなくてもよい」といっても説得力はゼロです。そんなわけで、当然、本書は読書を否定する類の書ではありません。「本を買い、本を読み、その悦楽を得る」ための手引書となっています。また、本にまつわる細かい雑談が盛沢山。

 <「まえがき」と「あとがき」は頼りにできるか>とか、<著者経歴の略記掲示はなにかの役に立つのか>とか、<文庫>とはなんぞや、<新書>とはなんぞや、などなど雑談タイトルはそのものずばりのシンプルさ。向井敏さんにいわせれば、「まさに谷沢永一でなければできん、うがった見方」が全開です。

 とても印象深いのが<書評>について。その昔、五大紙が揃って書評欄を設置したころ、「向井敏が神経の細やかな名人芸を見せ、書評をはじめて独立にして独自の表現形式に高められたと評せられている」としたあと、さらに分析を続けます。書評を担当すれば、どうしても批判せねばならないときはあるもの。しかし新聞社は当然それを嫌がる。そんな状況の中、書評で禄を食んでいた向井敏さんはどうしたのか−。

「そこのところを上手にくぐりぬけた向井敏は、隅から隅まで誉めていながら、文章の背中で衝くべきは衝く、という手品のような腕前を見せた」

と谷沢さんは喝破するのです。その一例として、「私がヤラレている箇所」とやらの引用が続きます。たとえ良く知った間柄であろうとも、本人にだけは必ず分かる痛いところをチクリと一刺し。なるほど「紳士の書評を志す方向」とは見事なものでした。恐るべき書評。もう向井敏さんの書評を流し読みなどできません。そこにある本意を掴んでこそ、その書評の面白さ、奥深さ、あるいは恐さまで幾倍にもなるのだと分かりました。

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まっとうに生きた猪山家の人々、ドキュメントの傑作

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 神田神保町の古書店秦川(しんせん)堂に、著者は現金をポケットにねじ込み駆けつけた。

<見るからに慌てている私とは逆に、古書店の主人は落ち着いたものである。「それです」。ゆっくり、ゆびさした。そこにはふるい和紙を詰め込んだ段ボールが一つおかれていた。p.5>

 その段ボールのなかには著者が十年来捜し求めていた“武士の家計簿”が入っていた。金沢藩士猪山家による天保十三年から明治十二年の約三十七年間にわたる完璧な記録…。
 この著者の“猪山家の家計簿”との出会いの場面から本書は幕を開ける。著者の純な驚きと嬉しさとが伝わる。これから始まる“武士の生活”の全容解明に否応もなく期待が高まる仕掛けである。

 発見された“猪山家の家計簿”が凄い。何が凄いのか。実は猪山家は加賀藩の「御算用者」であったのだという。つまり、代々、経理のプロとして会計処理の実務をもって前田家に仕えていたのである。発見された“家計簿”とは、まさに「会計のプロ」によるものであった。その完成度や信頼度は極めて高い。この第一級の資料をもとにしていることが本書の価値をいや増している。

 本書には大きく二つの読みどころがある。

 一つには、猪山家の「幕末から明治にかけての歴史」を通して、あの時代の武士の生きかたが鮮やかに読み解かれる点である。著者は“家計簿”以外にも“書簡”などの資料を交え、金融破綻、地価下落、リストラ、教育問題などという現代社会が直面するような問題を当時の武士はすべて経験していたことを解明してみせる。なかでも、明治維新がなぜに無血なる革命となりえたのか、その理由についての独自の見解が興味深い。

 二つ目には、著者の執筆に対する姿勢である。“家計簿”の記述をもとに細かく行き届いた推理を積み上げるという著者の姿勢。そこが面白い。
 猪山家の“家計簿”は三代にわたる記録であった。その二代目直之に嫡男成之が誕生する。成之が満八歳を迎えたとき天然痘を発症した。江戸時代の死病である。
<この日から救出大作戦がはじまっている。
 まず父直之が役所にいって借金をした。その金で成之に「なし・みかん・たらこ」なんでも高価なものを買ってきて食べさせた。「さじ一本」を買った記録があるから、木製スプーンで口に運んでやったのだろう。医者は三人用意した。五回往診させている。ただ、医者に治せるものではなく、当時の風習にしたがって神に祈った。猪山家でも「赤紙二枚とお神酒二本」を用意して祭壇をつくり、疱瘡神を祭った。
 成之は天然痘と十八日間闘い、そして勝った。p.124>
 「なし・みかん・たらこ」「さじ一本」「赤紙二枚とお神酒二本」から推理される息をも詰まる救出劇の顛末である。

 まっとうに必死に生きた猪山家の人々。“家計簿”で読み解く「猪山家の物語」。これこそ、古文書に直接に触れ、その声を聞いた著者の書きたいことであったにちがいない。

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紙の本天平の甍 改版

2003/09/27 23:54

遙なる天平の薫り

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 国宝“鑑真和上像”を間近に見たことがある。
 瞼は静かに閉じていた。ごく自然な瞑想のさまが穏和で寛容なる精神を感じさせる。一方、写実的で肉感的なつくりの細部に目を向けてみると新たな一面が浮かびあがる。そのがっしりとした顎、筋の入った太い首、広い肩幅、静かなる精神の根底にある和上の確たる意志の強さを感じさせる。
 伝承によるとこの像は、弟子の忍基が夢で和上の遷化の近いことを知り、その姿を脱活乾漆技法を用いて写した寿像であるとされる。しかしまた一説には、天平の天才彫刻家・国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)作ではないかとするものがある。いずれにせよ、類稀な“天平時代の肖像彫刻の白眉”であることは確かである。
 この“鑑真和上像”という肖像彫刻の魅力の源はなんであろう。彫刻家の腕が良いのはいうに及ばないが、はたしてそれのみであろうか。モデル鑑真和上その人の魅力こそ源なのではないか—。

 本書の舞台は天平5年(733年)の第九次遣唐使船出港で幕をあける。当時、日本では公地公民の制が崩れ、重税から逃れる為に農民がこぞって寺院に入り僧侶になるといった堕落のていであった。そこで唐より正式な授戒を行える大師を招くという使命を帯びた2人の僧侶が遣唐使船に同乗する。栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)である。
 唐に渡った栄叡と普照は、当時、第一流の名僧と崇められていた鑑真にめぐりあい、日本への来遊を懇願する。取り巻きの僧侶が皆尻込みするなか鑑真は「是は法事のためなり、何ぞ身命を惜しまん。諸人去かずんば、我すなわち去かんのみ」と喝破し、渡日が決定した。
 鑑真は5度の受難、失明に見舞われるも、遂に6度目にして渡航に成功する。栄叡すでに亡く、普照のみ鑑真とその弟子たちと共に20年ぶりの帰郷を果たす。

 作家は、この普照なる留学僧に焦点をあて、当時の僧侶達が如何なるものを考え行動したのかを確かな創造力で描き出してみせる。特に“言葉”や“会話”そして“心の語り”の風景がすばらしい。鑑真和上の生きる姿や発する言葉を、側にいる普照の目で見させ、感じさせ、そして心で語らせる。ひとつの時代小説が、“天平時代の肖像彫刻の白眉”へと肉薄し、その形に生命を与え、しぐさ、言葉、そして思想を甦らせるかのようである。

 本書を読み終えたとき、遥かなる“天平の薫り”を感じ、“鑑真和上”の静かな声を聴く、そんな心地よい錯覚にとらわれることを期待し、瞼を静かに閉じていた。

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紙の本浮雲 改版

2003/09/12 00:26

未完であるのが人生か

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 明治20年に第一編が発売され、今日、「日本における近代小説は『浮雲』に発する」ともいわれる未完の長編小説である。

 主人公の文三は、どうにも人生が上手くない男である。誠実なのは良いけれど、官職を首になっては思い悩み、下宿先の叔父の娘・お勢の慄然(ぞっ)とするほど凄みのある美しさに惚れるも「好きです」と、その一言がいえなくて思い悩む。人生に、これといった答えを出せずに常に思い悩むその様は、まったく生身の人間そのものである。もう痛々しくて、思わず、「文三、なにやってんだよ、はっきりものを言えよ」と堪らず呟いてしまう。これは、紛れもない小説である。

 文三は惚れたお勢に、ついに思い切って打ち明けようと試みる。お勢に、貴方という親友が出来たから大変気丈夫になったなどと言われ、もう嬉しい。しかし、文三にとっては、親友などでは済まされない。惚れた女性に親友扱いされたる男の辛さ、はちきれそうな胸の内、ままよと決意する。

「‥私には‥親より‥大切な者があります‥」
ト吃ながら言ッて文三は差俯向いてしまう。
お勢は不思議そうに文三の様子を眺めながら
「親より大切な者‥親より‥大切な‥者‥親より大切な者は私にも有りますワ」
文三はうな垂れた頸を振揚げて
「エ、貴嬢にも有りますと」
「ハア有りますワ」
「誰‥誰れが」
「人じゃないの、アノ真理」
「真理」
ト文三は慄然(ぶるぶる)と胴震をして唇を喰いしめたまま暫らく無言、…

 この場面、強烈である。これから巡る恋の受難を暗示するのか、当時の女性の流行なのか、四迷の遊びか。ここぞという瞬間に、「真理」と語らせ雲に巻く。雲に巻かれた文三は、答えのない人生をただ生きる。未完に終わる人生。否、生きている限り未完であるのが人生か。

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紙の本古本生活読本

2005/01/23 16:14

古本屋めぐりの心躍り

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 いま、書店にある文芸評論の棚をよく見れば本、古本、古本屋にまつわる著作は意外に多い。作家、書評子、書店員、書き手はプロアマ総出の態である。そのなかにあって、古本屋めぐりの心躍りを語らせたなら著者の右に出るひとはそうはいない。

「まず、私という人間が、一日に一度は、古本屋の軒先をくぐり、古本の匂いをかぎ、棚に並んだ背の文字を目にやきつけないと、身体の調子がおかしくなる人種だということを、申し述べておかねばならない。お通じのない日はあっても、古本屋へ行かない日はない」

 鹿島茂の著作『子供より古書が大事と思いたい』というタイトルは記憶に新しいが、著者は「お通じよりも古本屋めぐりが大事と思いたい」と宣言しているようでもある。もちろん洒落だが、そこが著者の語りには欠かせない妙技である。本、古本、古本屋の話をするなかで薬味がわりの漫談が洒落た空気を醸しだす。

 古本屋の「均一台」めぐりが何といっても著者の真骨頂である。いかに廻り拾うのか、その楽しさ明るさ奇天烈さまで本書はよく伝えてくれる。じつのところ、それはすべて古本屋あっての物だねなのだが、そこを衝いた著者の古本屋とその店主に対する目線が印象深い。

「…本当の意味での本屋とはじつは古本屋のことなのだ。しかも、そこには古今も東西も超越した、ありとあらゆる本の中から、店主の眼力と個性によって選ばれた本が、いかにして客の手に取らせるかを考え並べられている。混沌の中から結晶を導きだし発光させるわけだ」

 書物がとことん好きな古本屋の店主なら、本をただの売り物などと見切れるはずはないであろう。自分と同じようにその本に価値を見出す者があるはずだ、との思いが込められた古本が書棚や均一台には積まれている。著者は、それらの古本はすべて「店主の蔵書」であることに注意を促すことにも怠りがない。

 自らの拠って立つ足場を古本の世界に見いだし、ひた走り、そのすばらしさを真摯に説く清清しさが、著者の文章にはみなぎっている。

 本書は6年前に刊行された『古本めぐりはやめられない』(東京書籍)を元本とし、そこからの三十ページの削除と、新たに書下ろしを加えての文庫化ということである。欲をいえば、文庫王というニックネームをいただく著者の書物ゆえ、「文庫」の魅力を伝える新鮮な文章をもっと読みたかった。が、それは次作への期待としたい。

 解説はこのほど直木賞を受賞された角田光代。おそらく原稿は受賞直前のもの。「本書が指南する古本のたのしみは、知らなくたって充分生きていける。けれど、ここに書かれている種類のたのしさは、たぶんほかのことでは味わえない。古本だけが与えてくれるものである。そういうたのしみを分けてくれる太っ腹な著者に、私はたいへん感謝する」との言葉にはまったく同感であった。 

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紙の本人生を豊かにする日本語

2005/01/21 10:37

言葉を楽しむ気分

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 巨匠・開高健はかつて自らの過労と過敏と焦燥と絶望をなぐさめてくれた谷沢永一とその書斎について、こう回想している。

 「書斎のなかは大学生のコレクションとはとても察しのつけようのない汗牛充棟ぶりで、壁から天井まで、それからはみだして床も足の踏み場がないまでになっている本、古雑誌、本、古雑誌、本、古雑誌。…稀観本をどうやって手に入れるか、手に入れたか、何が稀観本になるのか、など喋らせたら、たかが二十三歳か四歳なのに、私には鬱蒼とした森に感じられ、とても太刀うちできなかった。“畏友”というのはこれかと思った。」(完本『読書人の壺中』より)

 開高健が“畏友”としたのは、その書斎に置いてある本の物質的な数に驚いたからではないであろう。谷沢永一は読む人である。その書見によってなされた博大細微の蓄積とその放出が開高健をときに圧倒したからである。

 ほとんど生まれながらにして読書人である谷沢永一は、元来、本のどこに惹かれて書物耽溺の道を歩み始めたのであろうか。それは、小説の構成か、あらず。論述の手法か、あらず。谷沢永一は本書の「あとがき」の冒頭にこう書いている。

「言葉って、なんと面白いのだろう、と感じ入って、言葉を楽しむ気分を覚えた。手当たり次第に雑然と、向こう見ずに読みかじるようになった、そもそものきっかけである。」

 例によって谷沢永一はズバリと事の核心を衝いてくる。いったいに、読書に慣れ、あれこれ評することに目を奪われて、せっせと先を急いでしまうと、書物の素が「言葉」であるということを存外見失ってしまうものではあるまいか。どうしてこんなに読書は楽しいのか。それは「言葉」が楽しいからなので、一度じっくり振り返ってみる必要がありそうである。

 以前、谷沢永一は『教養が試される341語』という書物を著した。その書では日常の会話でよく使う言葉が取り上げられた。「言葉の意味を知る」という主題のみに捉われず、その言葉の詮索を通して「人間」を知り「世間」を知ろうとする試みであった。

 本書もまた人間通を地で行く路線は変らない。ただし、選ばれた336語の言葉が平素は使われないゆえに、ポンとそこに差し出されても下手をすれば意味不明、なんとも難渋極まりないしろものなのである。

 さて。そこで、居住いをととのえた谷沢永一のペンはいよいよ走る。その言葉の生い立ち、用例、月日による意味のねじれなどの、ときにピリリと山葵を効させた解説によって、言葉の意味がある気分をともなって立ちあらわれてくるのである。難解と思われた言葉が一転、深い味わいをもつて身近に感ぜられることへの澄んだ驚き。そんな言葉を楽しむ気分が本書には満ちている。

※ちなみに、さきに取り上げた開高健の言葉の中にある「汗牛充棟」が本書で解説されているが、その意味の解釈には留意が必要のようである。コトバを練りに練り上げた作家開高健らしく、尊敬しながらも半ば呆れているさまが、よくあらわされた言葉であることが分かる。

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紙の本司馬遼太郎という人

2004/11/28 17:02

あたたかな包み

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 著者の和田宏さんは、文藝春秋で30年近く司馬遼太郎さんの担当編集者をつとめた人である。しぜん司馬さんについて書くことは山ほどあったにちがいないが、そばに見ている人が大勢いるので「なにも私が書くことはない」のだと、追悼文を一つ二つ書くのみでその殻を閉じていた。このあたり、執筆はプロやお身内に任せておくのだという凛とした編集者たる職人肌を感じさせてくれる。

 しかし、司馬さんが亡くなられてから8年になるいま、著者のこころにある転機が訪れる。

「もしいま書くとしたらなにが書けるだろうかと思った。
 そして愕然とした。
 自分が考えていたより記憶が薄れていることに気づいたのである。
  …
 なにか私しか知らないこともあるのではないか。それが書く意義があることなら、いま書いておくべきではないのか」

 奇を衒うのではなく、著者のこころの内側から生じた「書いておきたい」という衝動が本書を著す発端となった。

 本書には、著者が司馬さんと接してきた長い年月の記憶をさぐり丹念にメモをとる要領で、司馬さんの言葉を表題として108の短い文章が収められている。その表題の言葉がまた余韻のあるいい響きなのである。

「言葉には表情がある。かすかにゆらめく香りがある。言葉は一語一語それぞれ違った雰囲気に、ふんわり包まれながら現れる」とは、谷沢永一氏が『人生を豊かにする日本語』(幻冬舎)のあとがきに記した言葉である。

 司馬さんが著者のまえでもらした言葉の数々。そのひとつひとつが司馬さんという人にふんわり包まれている。それがどれほどあたたかな包みであったことか、そのことを著者は淡たんと綴ってゆく。ときに司馬さんを失ったことへの声にならないため息がきこえもし、著者にとって司馬さんがどれほど大切な人であったのか、それがじんと伝わってくる。

 さあ、これでもう、司馬さんの記憶は薄れることはなく消えることもない…。そう著者は思ったであろうか。ここに残る本が誕生した。

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いま、基本に戻るとき

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 企業による商品不良の隠蔽が後を絶たない。何となさけないことだろう。「日本のものづくり」は、世界に誇るまでになったはずではなかったのか。

 問題が発覚した企業を責めるのは容易い。が、はたして他人ごとで済むだろうか。毎日、せっせと数字ばかりを追い、顧客に迷惑がかかること承知の上で、仕事の出来に妥協してはいまいか。

 企業は、経営上の不手際から倒産すると社会に多大な迷惑をかける。そうしないために、利潤を上げ、組織を維持存続させていかねばならない。しかし、「それだけで十分とはいえない」と西堀栄三郎氏はいう。企業には「人類の福祉に貢献する役目が担わされている」と。

 西堀氏は「人類の福祉」という言葉を「学問や芸術や宗教という精神的なものと、労働や技術や資本が組織されて生み出される物質的なものの双方が過不足なく充足され、調和のある状態」と定義している。「顧客が本当に喜ぶものを作る」ことが、その状態に至るために、企業がなすべき「ものづくり」の本質であるという。
 
 西堀氏は先の本質をおさえた上で「企業のための四つの法則」を示している。一つ、引用してみたい。

「一、法の上に良心を置く

 これは法に触れないだけでなく、その上に良心を置いて運営に当らなければならないことを示している。法に触れればそれなりの罰則を受けるが、現行法内であっても、人体に悪い影響があることを知りながらそれを隠し、無視して、経営を続けるような企業があってはならないということである。
 たとえば仮に、当初は有用物と思って提供した品物なりサービスが後になって人類に害を与えることが判ったら、速やかに販売および製造を止めるべきである。これが良心にしたがって行動することになるのだと考える」

 まことの基本であろう。企業の経営者のみに限らず、開発、設計、製造、販売、これらすべての現場の人間が「良心」をもつように「普段から魂を磨くように努めねばならない」という西堀氏の指摘には、姿勢を正さずにはいられない。

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紙の本死の壁

2004/04/27 22:57

最終章にみる眞の壁

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 またもや周回遅れで養老さんはやってきました。

 本書は「なぜ人を殺してはいけないのか」というお題から始まります。これは以前話題になりました。大事件があった時は深刻に議論するのに、ノドもと過ぎれば何とやらで、すぐにケロリと忘れてしまう。もっとも毎日それを考えていたのでは身がもちません。でもそれを、考え続けているのが養老さんの養老さんたる所以。この本には、議論が尽きた観のある「脳死」や「安楽死」といった「死」というキーワードの周囲を巡る論考が網羅されています。「逆さに振っても、もうなにも出ない」、これが養老さんの思いです。

 「死」というのは曖昧で抽象的な概念ですが、これを「死体」と置き換え考えたとき、あることに気づいたのだと養老さんは語ります。それは「死体」には三種類あるということです。すなわち、「自分(一人称)の死体」「親しい人(二人称)の死体」そして「他人(三人称)の死体」。このように鮮やかに切り分けられるところに養老さんという人の本質が見えます。

 「他人の死体」というものと、世の中で最も本気で向き合うのは解剖学者かもしれません。解剖を進めるうちに、死体と自身とが同一化すると言うのが養老さんで、「死んだ人も生きた人と同じだ」という言葉には有無を言わせぬ迫力があります。そしてそのことが「自分の死体(死)」については「何を考えたってしょうがないよ」という養老さんの考えと分かち難く結びついているように思うのです。
 「自分の死」をまともに考えると不安になります。その気持ちの根底には、死んだらどうなるか分からないという「未知に対する恐怖」があるように思うのですが、他人の死体と自身との同一化を体験したとしたならば、少なくとも「未知」だとは思えなくなるのではないか。養老さんはそこを克服している。「自分の死」という証明しようのない未来のことに搦(から)め捕られていないことが養老さんの哲学を健全なものにしている、そう思います。

 ただひとつ、養老さんが搦め捕られていたことがあります。それは「父の死」です。養老さんの最も古い記憶は結核で病床に臥していた父のことでした。
 父の喀血。
 無意識に焼きついた父の死。
 それから三十年近くたった頃、ある衝動が養老さんを襲います。

「その頃、ふと、地下鉄に乗っているときに、急に自分が挨拶が苦手なことと、父親の死が結びついていることに気づいた。そのとき初めて <親父が死んだ> と実感したのです。
 そして急に涙があふれてきた」

 養老さんにとって越えねばならなかった「死の壁」とは、最終章で語った「父の死」でありました。先に引いた場面から更に時を重ね、齢五十にしてどうにかこうにかこの壁を乗り越えたとき、「死」について語る最小限の準備がなったのだと思います。
 本書は最終章のためにある、そう言えるのかもしれません。

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紙の本パーキンソンの法則

2004/04/16 01:26

秘密の定理

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 ここに一つの法則がある。

 定理:
 役人の数はなすべき仕事の軽量、時には有無にかかわらず、一定の割合で増加する

 この定理は、長期の研究と厖大な資料から統計的に証明されるものであるという。まず差しあたって「全般的傾向の根拠となっている二つの素因」の解明から。すなわち、

(1)役人は部下を増やすことを望む。しかしながら、ライヴァルは望まない。
(2)役人は互いのために仕事をつくり合う。

 ある人物をAとする。仮にAが更年期障害などによる精力の減退を感じたとする。Aは二人の部下CおよびDの助力を求めるのが普通である。同僚のBに助力を求めることはまずない。そうこうするうちに(これは必ずそうなるのだが)CもDも仕事の過重を訴えてくる。そこでCとDにもそれぞれ二人の助手をつけることになる。こうして前は一人でやっていた仕事を七人の人間でやることになる。これが(1)の素因が動いた結果である。
 さてここで(2)の素因が動き出す。なんと七人の人間は互いに仕事をつくり合うのだ。一通の書類は彼らのあいだを次々にまわり、下書き、修正、改訂の改訂、果てはAによるメクラ判と相成る。Aは助手達の人間関係など新しく湧き出す問題に忙殺され、いよいよ仕事は過重となる−。

 本書では、この定理を裏付ける統計が二例紹介されている。
 まずはイギリス海軍省の統計である。
  1914年 現役主力艦 62   海軍省人員 2000
  1928年 現役主力艦 20   海軍省人員 3569(+78.45)
 役人数の増加は、年平均 5.6%

 次に、植民地省の統計が挙げられる。
  1935年 人員 372
  1954年 人員 1661
 人員の増加は、年平均 5.89%

 必要な仕事量には無関係なこの増加率の酷似はどうであろう。その増加率は「数式」によって表すことができるのだという。

 ある一人の上役がお気に召した数人を現場から引き離して囲ってしまう現象を説明する上で、これほど使える法則はちょっと他にないのではなかろうか。
 そこで自分も計算してみた。この春の人事による我が会社の役職の増加率は…

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紙の本こころ 改版

2004/02/01 10:42

打ち込まれる楔

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 親友の死というものは、如何なる状況であれ、こころに深い楔を打つ。普段は忘れていても、なにげなく夜中に目が覚めたとき、あるいは漠然と物思いにふけるとき、唐突にその楔が疼き出し、一瞬息が詰まるときがある。そんな楔のあることは、けっして他人に明かせない。

 小説『こころ』の「先生」には他人にはいえぬ秘密があった。主人公の「私」は、その若さに任せて熱い師弟関係を欲するが、「先生」にはそれを受け止めることができない。なぜなら、「先生」も一人の人間として如何に生きるべきかを問い続け、他人にはいえぬ苦しみにあえいでいたからである。ここに人間関係における微妙な現実が見える。「私」が「先生」を敬愛し、何かを欲することで、なにほどか責任を負わせようとすればするほど「先生」にはそれが堪えられない。荷が重過ぎるのだ…そして「先生」は最後にぬいてはならない<楔>をぬく。

 小説はある意味真っ赤な嘘である。しかし真っ赤な嘘であればこそ、普段は隠されている人の世の真実が裸の形で目の前にぼろりと出でるときがある。『こころ』にはそれがある。このことが『こころ』を名作たらしめる所以である。
 
 しかし、ここで一歩踏みとどまりたい。『こころ』で明かされた真実は、楔を片面でしか捉えていないのではなかろうか。

 夏目漱石の墓は、『こころ』の舞台となった雑司ヶ谷墓地にあるという。このことは、楔には別の種類があるのだと語っているかのようである。漱石は生涯病苦に堪え偲び、生きるために書き、書くために生き続けた人である。死んで尚、その大きな墓石の前に立つものに、生きぬく勇気という名の楔を打ち込む人である。それもまた真実である。

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紙の本禅的生活

2003/12/23 21:45

生きにくい世に吹く温かな風

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 生きにくい世の中であると著者はいう。その最たる悲劇といえる「自殺」はあとを絶たない。なぜ自殺するのか、それは簡単にはいえないとしたのち、著者は語る。

「私に言えるのは、今の私が、なぜ生きるのが楽なのか、ということだけだ。もしかするとそれは年齢のせいかもしれないが、私としては<禅>のお陰だと思っている。p.7」

 著者は現在、臨済宗妙心寺派福聚寺の副住職であるという。禅僧として悟りに近づいた人物の世離れした説教かと思いきや、そうではなかった。

 本書をさっと見渡してみる。まず「<迷い>はなぜ生じるのか」についての考察。さらに続けて「悟ったといわれる人には世界がどう見えるのか」「日常をどう生きるか」「<私>とは何者なのか」、そして最後に「<風流>に生きるすべ」を語る。

 その“やわらかい語り口”や、時に避けられない「禅語」についての実に丁寧な解説によって「禅」という謎の世界がとても身近に感じられる。少々戯け気味のことばすら並べるその姿勢には、ときに読者に近寄る「足音」を感じるほどである。なぜそうまで分かり易く語ろうとするのか。それは本書の主眼が「<生活>という視点で貫く」ことにあるからに他ならない。「禅的」なるものを基調とした生活が如何に「楽」なのか。それを説こうとする著者の読者に対する気遣いが本書全体に満ちているのである。

 禅的生活のヒントとなる逸話で印象深いものがある。
 著者にはマーチンというアメリカ人の友人がいた。その友人が禅を学ぶためにとある神戸のお寺の道場に入ったときの出来事である。彼の毎朝の食事はお粥。そこはアメリカ人、味気ないお粥はとても食べられず、なんと牛乳を加えていた−。

「しかし運悪く牛乳を入れようとするとお寺の住職さんに見つかってしまった。ところがその和尚さん、呵呵大笑という感じで笑ったらしい。笑われればなんとなく赦された気分になるのが人情。彼は次の日もその次の日も、毎日牛乳を入れつづけたという。
 そしてここからが不思議なのだが、毎日牛乳を入れるマーチンを、和尚さんは毎日おなじように大声で笑ったというのだ。来る日も来る日も、雨の日も風の日も、である。p.68」

 この和尚さんの姿を「大愚」と呼ぶ。和尚さんには「住する」所がなく、記憶を蓄積しないというのである。日日是好日(にちにちこれこうにち)。日々初心となりて、その日することを楽しむという生き方。因果に落ちない生き方…。
 毎日おなじように大声で笑った和尚さんの姿は、なにほどか冷たくなりかけた現代人の心に温かい風を運んでくれる。

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紙の本聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎

2003/11/16 23:22

「戦争終結」への御本なきシナリオ

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 軍人には、戦争を始めることは出来ても、終わらせることは出来ない。それは政治の仕事であるといわれる。

 様々な要因があったにせよ、軍によって始められた大東亜戦争は、これを終わらせるべきタイミングを完全に逸していた…。
 1945年8月9日、昭和天皇臨席のもとに御前会議が開かれた。ポツダム宣言を受託するか否か。会議は三対三にわかれた。鈴木(首相)、東郷(外相)、米内(海相)と阿南(陸相)、梅津(参謀総長)、豊田(軍指令総長)の対立である。会議は延々と続き、翌日の午前二時をすぎたころ、総理大臣鈴木貫太郎はそろそろと立ち上がり、軽く咳ばらいして口を開いた。

「…この上は、まことに異例で畏れ多いことでございますが、ご聖断(天皇が下す判断)を拝しまして、聖慮をもって本会議の結論といたしたいと存じます。」p.331
 
 一瞬、緊張のざわめきが起こった。
 昭和天皇臨席の御前会議は、その内容・結論をあらかじめ充分に打ち合わせて準備した「御本(シナリオ)」を使った芝居が常であった。普通ならば「御本」の無い“あやしい”御前会議に陸海軍首脳が出席するはずはなかった。しかし、この日の会議に「御本」はなかったのである。本書によれば、その陰に鈴木貫太郎により秘密裏にすすめられた万全の準備、戦争終結への命をかけた最後のシナリオがあったのだという。

 昭和天皇はしずかに語りだした。

「空襲は激化しており、これ以上国民を塗炭の苦しみに陥れ、文化を破壊し、世界人類の不幸を招くのは、私の欲していないところである。私の任務は祖先からうけついだ日本という国を子孫につたえることである。今となっては、ひとりでも多くの国民に生きて残ってもらって、その人たちに将来ふたたび起ち上がってもらうほか道はない。
 もちろん、忠勇なる軍隊を武装解除し、また昨日まで忠勤をはげんでくれたものを戦争犯罪人として処罰するのは、情において忍び難いものがある。しかし今日は忍び難きを忍ばねばならぬときと思う。明治天皇の三国干渉の際のお心持を偲び奉り、私は涙をのんでポツダム宣言受託に賛成する。」p.332

 著者は、昭和天皇の「聖断」を語る上で、一つの大きな歴史解釈を打ち立てている。昭和天皇の二面性である。“立憲君主”として憲法に誰よりも忠実であり、戦争に否定的であり続けた「天皇」と、“統帥権”をもち戦争を推進する「大元帥」という二重性が相克をなしていたというのである。
 軍は昭和天皇の「大元帥」の面をたてて戦争を遂行していた。そのような状況の中でいったい誰に戦争を終結させられようか。「天皇」をおいて他になかった。
 そこに気付いたのが鈴木貫太郎であった。鈴木は昭和天皇から絶大な信頼を得ていたという。同時に鈴木には昭和天皇の心がよく分かっていた。それには深い理由があった。著者は、鈴木貫太郎の生きざまを語り尽くすことで、昭和天皇の心中とその「聖断」へと踏み込むのである。

 本書は十八年ぶりの新装出版であるが、半藤版ノンフィクション近代史として今だ色あせぬ異彩を放っている。

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「統帥権干犯問題」を軸とする一つの読解法

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 昭和史には謎がある。なぜ大東亜戦争などしたのか。当時の日本のリーダー達だって、日本と英米の国力差くらい分かっていたはずである。どうも昭和になるとわけのわからないことが多すぎる。—著者は、こんな疑問を40年間も頭でこね回していた。そして“日本がおかしな行動を取り出すのは昭和5年を堺にしていること”に気付いたのだという。では昭和5年に何があったのか。

 —統帥権干犯問題があったのである。p.9—

 「統帥権」とは軍隊の最高指揮権のことである。明治憲法・第十一条の天皇大権は「統帥大権」、第十二条の天皇大権は「編成大権」と言われていた。つまり、行政・立法・司法の三権分立に加えて軍部は別だとする四権分立ということが可能となる。「編成」は予算が絡むので内閣や議会から完全に独立はできないが、「統帥」となれば軍の作戦そのものであって政府や議会とは関係なくやれることになる。
 ロンドン条約(昭和5年)で日本の軍艦が削減されることになると、軍人の中でこれに反撥する者が出た。軍縮の条約を政府が結ぶとはなにごとか—これは統帥権の干犯だ—というわけである。とんだ屁理屈だと著者はいう。しかし、軍部が勝手にやり出す昭和の悲劇がここに始まる。
 明治憲法に“致命的欠陥”があったのである。なぜそのような憲法になったか。著者は当時の憲法を作った人たちの事情、その後の成り行きを緻密にかつ明快に解いていく。

 さらに「統帥権干犯問題」は3つの外圧によって噴出したという。
 その外圧とは、第一に「アメリカの日系移民排斥問題」である。日本は、これによって人種的に徹底的な差別を受けていることを知らされる。これには従えぬという国民感情が出た。
 第二に「アメリカの保護貿易のため、世界中が底なし不況に陥ったこと」である。イギリスなどのような広大な植民地を持つ国はブロック経済圏を作ることとなる。この様な状況で日本はどうなるか。その一方、大不況はマルクスの予言を証明するごとくであった。日本では、天皇を戴く社会主義・共産主義が軍官僚や新官僚に浸透しだした。
 第三に「シナ大陸における度重なる排日・侮日運動」である。これによって非帝国主義的な幣原外交が不可能となった。

 本書は数多ある大東亜戦争突入の謎についての「統帥権干犯問題」を軸とする一つの読解法といえる。“明治憲法の欠陥”が時代の推移と共に“制定趣旨”を越えて国家迷走の要因となった。この歴史解釈の波紋は、今の日本にとって憲法というものが如何にあるべきなのか改めて問う高波となって押し寄せる。

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