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ナポレオンがキター!
2014/03/26 23:27
5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
ナポレオンが攻めて来ることははっきりしている。それはロシア人にとって世界の一大事のような気がするのだが、なんとなくのんびりしているように見えるのは、宮廷の人々に緊迫感が足りないということとも少し違うようだ。元々ロシア貴族はフランスびいき、むしろフランスかぶれとでも言うような愛着があるのがまず一つ。そしてロシアというのは年中トルコやらオーストリアやらとの戦争だの内乱だのを起こしていて、それがまた首都まで及ぶようなことは滅多に無いので、ナポレオンについても小競り合いの一つになるぐらいにしか想像が及ばないのだ。
その親フランス的な人々で、またナポレオンの革新性を賞賛するような人々でも、国王の命令ならなんの疑問もなしに戦地に向かう。まるでスポーツの試合のように。しかしそれが命をかけたスポーツであることは貴族達も重々分かってはいる、ただそれでも彼らは命よりは勇敢さや名誉を重んじようという意識が強い。
その一方で、ナポレオン軍は甘くない。はるばる遠征して来て、いくらかの譲歩で満足して帰還するつもりは無く、戦う機械のようにどこまでも進軍することを使命とした、近代戦争の貌を見せ始める。
この第1巻まででは、ロシア宮廷や貴族達の内幕と戦場の過酷さが対比されて描かれているようだが、本当に対比されるのは旧来の戦争の通念の中で、新しいそれの訪れた衝撃ではなかろうか。トルストイが見たクリミア戦争の戦場で発見した、砲弾が飛び交い、大軍勢がひしめき合う中で、個人の力では進むことも退くことも出来ないという恐怖の形がここにある。
もう一つ、この戦場という空間でその才能を発揮し始める青年貴族がいる。おそらく彼は宮廷内でこ狡く立ち回るようなことはできなかったろうし、敵との戦いより味方同士の権力闘争に明け暮れるような旧来の戦場でもすぐにその場を投げ出してしまいそうだ。ただ怒涛のようなナポレオン軍を押しとどめるために必要な才能として発見される。するとこれも近代の合理化社会の生んだ一つの生き様なのだろうか。それを青年の成長と呼ぶなら、産業革命に先駆けて戦争によって近代的合理主義が生まれたという、一つの悲劇の姿のことかもしれない。
「戦争と平和」第一巻
2022/08/10 23:38
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:tam - この投稿者のレビュー一覧を見る
第一巻
読書、特に長編小説の読書で一番たいせつなのは、読み進めるエネルギーだ。そのエネルギーを供給するのは、ワクワク感以外にはない。
そしてこの「戦争と平和」は、まさにそのワクワク感に満ち溢れた小説と言える。
悠久の国、ロシアとナポレオンとの一大攻防戦を軸にニコライ、アンドレイ、ピエールなどのいかにもロシア人らしい性格を持った人物を操って展開して行くストーリーは、ドストエフスキーとはまた違う(それは彼自身が貴族の出身だからなのだが)味を見せてくれる。
昔、一度読んだ本だが、半世紀ぶりに読み返してみようと、読み始めた。
現代のお粗末な小説とは桁違いのエネルギー、奥行きの深さ、スケールの大きさはロシアの壮大な国土、きびしい気候風土が産み出した傑作と言える。
軍隊と家族
2016/12/24 12:57
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かつのそ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この小説の主題は、ニコライの初陣の場面に端的に書かれています。軍隊では人は取り替え可能なたくさんある小さな歯車の1つに過ぎないが、家族にとってはかけがえのない命であると言う事です。
圧巻の大作に新訳の工夫
2006/05/10 15:00
11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ナポレオン戦争を描いたトルストイの不朽の大作の新訳である。岩波文庫の旧版(米川正夫訳)も読みやすい訳であったが、こちらはこちらで好感が持てる。 しかし「なぜいま」、岩波は新版をだしたのだろう?
ストーリーは後回しになるが、まず新版の工夫について:古典にはよくある「巻末の注釈」は旧版(米川訳)にもなく、文中に括弧で少しつけられていた程度であったが、この版ではコラムと言う形式で「ロシア人とフランス語」「ロシアの暦」など、この作品を読むのに知っておくとよいだろう事柄がまとめられている。フランス人と戦っているロシア人がフランス語を話す、というおかしな状況についてもコラムに指摘されているので、幾度か出てくるそれに関する本文の記述も理解しやすくなったのではないだろうか。コラムによってはその前後の文脈とあまり関係を感じないものもあったのが少し残念ではある。
戦闘地域の地図や、巻末の年表なども、長い話を整理するには手助けになる。第一部第一篇1、と全編が数ページの章に分かれているのだが、旧版では各頁の小見出しには篇までしか表示されず、折角巻末に各章の要約があるのに、内容から遡って読み返したいとき捜すのに不便を感じていた。この版では章まで表示されているのもありがたい。しかし、巻末の要約はなくなり、年表となっているので、旧版での不満解消、というのとも違う結果なのだが。
カバーはロシア映画「戦争と平和」からのスチール写真になっている。あまり写実的にナポレオンや兵士を掲げてしまうより、旧版の処理をかけたカバーの方が想像力をかきたてるようで、これは旧版の方が私的には好みなのだがどうであろうか。
訳そのものについては、わかり易くしようとして行き過ぎたのでは、と思ったところもある。私的には「ヴェルヌーイ・ラーブ」という親しい人への呼びかけの言葉を原語に近いままに残して(忠実な奴隷)と括弧で説明するのなら、「草入り酒」に(ひたしざけ)とルビをつけるよりは同じように原語に近いままにして括弧で説明すればいいのに、と少々不統一さが気にはなった。しかしこのあたりは好みで意見がわかれるところであろう。
全6巻の内、この第一巻は第一部の一篇と二篇を収録。「戦争と平和」のクライマックスはナポレオンのモスクワ侵攻だが、一篇はせまり来るナポレオンへの不安と動揺の中の貴族の生活を描く。いささか退屈に思える部分でもあるが、遺産相続のどたばたや、働かずとも良い貴族の若者の生活、淡い恋心などに著者の流石の筆力がにじみ出ている。
二篇では戦場が舞台となりアウステルリッツの戦いへと繋がる戦闘が描かれる。戦闘が近付くにつれ「戦うことは恐ろしいが楽しい」という描写があちこちに出てきて、人間とは(あるいは男というものは?)戦闘を怖くも楽しくも思うものなのだろうかと考えさせる一方、負傷して逃げるニコライの「犬から逃れるウサギの気持ち」、「恐ろしさのあまり寒気が走った」気持ちも描かれている。 戦闘のさなかに身をおくような心理の描写はこの第一巻だけでも圧巻である。
戦いの話はまだ序盤である。トルストイはこの先、戦争に対峙する人間の心理をどのように描いていくのだろうか。ちなみにトルストイ晩年の大作「文読む月日」には、「戦争というものは、最も低劣で罪深い連中が、権力と名誉を掌握するごとき人々の状態である。(2月9日)」とあるそんな言葉も念頭に置きつつ新版の工夫の力を借りてもう一度読んでみたくなった。
引っかかる翻訳が多いのが気になります。
2011/09/25 11:25
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:南北 - この投稿者のレビュー一覧を見る
登場人物の多さとスケールの雄大さに圧倒されてしまいそうになる作品ですが、ベズーホフ家(ピエール)、ボルコンスキー家(アンドレイやマリア)、ロストフ家(ニコライやナターシャなど)、クラーギン家(イッポリトやアナトール、エレンなど)を中心に系図を作りながら読んでいけば、読みやすくなると思います。
これまでも同じ岩波文庫の旧訳となった米川正夫氏をはじめとして、多くの方の翻訳で知られていますので、比較しながら読むのもおもしろいと思います。今回の岩波文庫の新訳は、当時の地図だけでなく、「ロシア人とフランス語」や「軍の組織と部隊の種類」などのコラムが各巻に入っているので、この小説がなぜ冒頭からフランス語で始まっているのかなど、小説を読む上で背景がよくわかります。古典文学などは特にこのようなコラムを入れてもらうと親しみが増しますので、今後、岩波書店だけではなく、各出版社ともこうした工夫を行っていただきたいと思います。
この第1巻と第2巻の前半に収録されている第1部は、アウステルリッツ戦でのフランス軍とロシア-オーストリア連合軍の戦闘までを描いていますが、フランス語しかできない(またはロシア語は片言か話すだけで書けない)ロシア帝国の上流階級とロシア語しかわからない下層階級が、フランスと戦争するために団結して戦うことができるのかを考えながら、読んでいくとわかりやすくなります。いわばフランス語という敵国語を使いながら、ロシア的なものに目覚めていくことができるのか、そもそもロシア的なものは上流階級に残っているのかが、底流となっています。
今回の新訳ですが、上記のような地図やコラムなどの他にはない工夫があるものの翻訳自体にはいくつか問題があります。もともと岩波文庫の翻訳はわかりにくいものが多く、山本夏彦の「私の岩波物語」にも「最も私が言いたいのは『国語の破壊者としての岩波』である。(中略)それは日本語とは似ても似つかぬ岩波用語で、それで教育された人があるから分かる人が生じるに至った怪しい言葉である。」とあるように読んでいる途中で何度も首をかしげるような翻訳に出会いました。
1.今回の新訳も含めて未だに修正されていない誤訳がある。
リーザ(ボルコンスキー公爵夫人)のかわいらしさを表現するために「上唇」を使っているのですが、「ほんの少し黒みがかったうぶ毛のはえている上唇」(31ページ)とあり、「上唇」に「うぶ毛」が生えていることになっています。原文のロシア語では「верхняя губка」となっていますが、ロシア語の「верхняя губка」は日本語の「上唇」と同じではありません。日本語で言うと「上唇」と「鼻の下」にあたる部分全体を指しています。「鼻の下」であれば、汗をかいたり、ひげが生えたり(女性でもうぶ毛ぐらいは生えたり)しますが、日本語の「上唇」にはひげが生えることはありません。この点は確認した限り、すべての訳者で間違えています。リーザのこの描写はこの後も何回も触れる点ですので、そのたびに違和感を感じます。
2.特に会話で変な受け答えがある。
アンドレイ公爵が妻のリーザをたしなめる箇所で「リーザ、お願いだからやめてください」(77ページ)は変です。アンドレイ公爵の家庭は「かかあ天下」ではありません。北御門二郎訳の「リーザ、よさないか」が妥当でしょう。
また、アンドレイ公爵が父のニコライ・ボルコンスキー公爵に「『そんなことは僕に向かって言えないはずですよ、おとうさん』微笑して、息子は言った。」(286ページ)では、まるで父親にけんかを売っているか、反抗期の中学生のようです。しかも「微笑して」となると、前後が全くつながらなくなります。。北御門二郎訳では、「おっしゃるまでもないことです」となっています。
「負傷した将校はどこに行った?」という問いに対して「おろしました、いかれちゃったんで」(490ページ)では、まるで将校がモノ扱いです。ここは北御門二郎訳の「亡くなられましたので」でしょう。
3.その他
「食事をして真っ赤になった二十二歳の非の打ちどころのない将軍」(495ページ)ですが、ロシア帝国でも22歳で将軍になれたとは思えません。北御門二郎訳では「食事のために顔を真っ赤にした、二十二年間手落ちなく勤めた将軍」となっています。
日本でも昭和天皇の弟君であった秩父宮は37歳で大佐、その後、42歳で少将となられています。また、高松宮は終戦時に40歳で大佐でしたので、将軍にはなっていません。このことから考えても「22歳で将軍」というのはあり得ないのではないかと思います。
「ラン指揮のフランス軍」(468ページ)とありますが、ジャン・ランヌ元帥のことですので、「ラン」ではなく、「ランヌ」とすべきところです(ロシア語では「ラン」なのかもしれませんが、フランス人ですので、フランス語に近い表記にすべきだと思います)。第2巻の11ページの地図にも「ランヌ」となっていて、地図と本文が一致していません。
今回初めて翻訳した本であれば別ですが、過去に多くの方が翻訳されているのですから、それらの訳と照合したり、参考にしたりすることは必須です。上記以外にも疑問な箇所がありますが、増刷か改版するときに改めていただきたいと思います。個人的には、上記のコラムや地図を参考にしながら、北御門二郎訳を読むことをお勧めします。