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  3. テトラさんのレビュー一覧

テトラさんのレビュー一覧

投稿者:テトラ

49 件中 16 件~ 30 件を表示

紙の本墓場への切符

2016/08/28 19:41

倒錯三部作の記念すべき第1作目

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マット・スカダーシリーズが人気と高評価を持って迎えられるようになったのはシリーズの転機となった『八百万の死にざま』と本書から始まるいわゆる“倒錯三部作”と呼ばれる、陰惨な事件に立ち向かう“動”のマットが描かれる諸作があったからだというのは的外れな意見ではないだろう。
本書が今までのシリーズと違うのはマットの前に明確な“敵”が現れたことだ。彼の昔からの友人である高級娼婦エレイン・マーデルをかつて苦しめたジェイムズ・レオ・モットリー。錬鉄のような鋼の肉体を持ち、人のツボを強力な指の力で抑えることで動けなくする、相手の心をすくませる蛇のような目を持ち、何よりも女性を貶め、降伏させ、そして死に至らしめることを至上の歓びとするシリアル・キラー。刑務所で鋼の肉体にさらに磨きをかけ、スカダー達の前に現れる。
これほどまでにキャラ立ちした敵の存在は今までのシリーズにはなかった。確かにシリアル・キラーをテーマにした作品はあった。『暗闇にひと突き』に登場するルイス・ピネルがそうだ。しかしこの作品ではそれは過去の事件を調べるモチーフでしかなかった。
しかし本書ではリアルタイムにマットを、エレインをモットリーがじわりじわりと追い詰めていく。つまりそれは自身の過去に溺れ、ペシミスティックに人の過去をあてどもなく便宜を図るために探る後ろ向きのマットではなく、今の困難に対峙する前向きなマットの姿なのだ。
それはやはり酒との訣別が大きな要素となっているのだろう。過去の過ちを悔い、それを酒を飲むことで癒し、いや逃げ場としていたマットから、酒と訣別してAAの集会に出て新たな人脈を築いていく姿へ変わったマットがここにはいる。警察時代には敵の1人であった殺し屋ミック・バルーも今や心を通わす友人の1人だ。
平穏と云う水面に石を投げ込んでさざ波を、波紋を起こすのが物語の常であり、その役割はマットが果たしていた。事件に関わった人物たちがどうにか忌まわしい過去を隠蔽して平穏な日々を過ごしているところに彼に人捜しや死の真相を探る人が現れ、彼ら彼女らに便宜を図るためにマットが眠っていた傷を掘り起こすのがそれまでのシリーズの常だった。しかし本書ではさざ波を起こすのがモットリーと云う敵であり、平穏を、忌まわしい過去を掘り起こされるのがマットであるという逆転の構図を見せる。マットは自分に関わった女性を全て殺害するというモットリーの毒牙から関係者を守るために否応なく過去と対峙せざるを得なくなる。
じわりじわりとマットに少しでも関わった女性たちを惨たらしい方法で殺害していくモットリー。そしてマット自身もまたモットリーに完膚なきまでに叩きのめされる。さらには法的に人的被害を訴えることでスカダーを孤立無援にさせる邪悪的なまでな狡猾さまで備えている。そんなスリル溢れる物語なのにもかかわらず、シリーズの持ち味である叙情性が損なわれないのだから畏れ入る。
そして追い詰められたスカダーはとうとうアルコールを購入してしまう。自ら望むがままに。果たしてマットは再びアルコールに手を出すのか?この緊張感こそがシリーズの白眉だと云っても過言ではないだろう。そしてこのアルコールこそがまた彼の決意を左右するトリガーの役割を果たす。酒を飲めば元の負け犬のような生活に戻ってしまう。しかしそれを振り切れば、正義を揮う一人の男が目覚めるのだ。この辺の小道具の使い方がブロックは非常に上手い。
困難に立ち向かい、己の信念と正義を貫いたマット。今後彼にどんな事件が悲劇が起こっていくのだろうか。

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紙の本怪笑小説

2020/01/30 23:40

ちょっと身につまされる思いがしたり

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東野圭吾版ユーモア短編集とでも云おうか。その名の通り、ちょっと笑いを誘う短編で編まれている。

タイトルに偽りなし。まさに「快笑」ならぬ「怪笑」といわざるを得ないブラックなユーモアが詰まった短編集だ。
ここに収められている短編の登場人物はいわゆる「あなたに似た人」。我々の平凡な日常や世間にどこにでもいる、もしくはいそうなちょっと変わった滑稽な人々のお話だ。
ラッシュアワーの電車内での風景、老後生活に入ってからスターの追っかけに目覚めた人、プロ野球選手になれなかった自分の夢を託して息子を鍛える一徹親父、教師同士の同窓会、幼い頃の原初体験をきっかけにトンデモ学の研究にのめり込む者にあるスポーツに異様に詳しい者や甘い言葉にだまされ郊外に家を建てて通勤地獄に苦しむ者たち、身内を亡くして行く当てもなく孤独死を迎えるだけの一人身の老人に家庭崩壊寸前の核家族。通勤中や会社で、飲み屋で見かける人々や新聞の三行記事で書かれていたり、ワイドショーで取り上げられたりするような家族や人。日常というドア一枚隔てた先に広がる空間でいるだろう人々だ。

つまり登場人物が非常に人間臭いのだ。だから例えば殺人事件が起きたとしても警察にすぐさま通報というミステリの定型を取らず、そのことで降りかかる風評被害といった災厄を懸念し、皆で隠蔽しようとする。
しかしよくよく考えるとこれこそが日常を生きる我々が取ってもおかしくない行動であり、思考である。重ね重ねになるがここに出てくる見苦しくも愛らしい人々は私の、あなたの姿だといえる。だからこそ非常に親近感を覚えて作品を楽しめる。

個人的なベストはブラックユーモア色が一番濃い「しかばね台分譲住宅」で、次点で「鬱積電車」か。着想の妙では「逆転同窓会」が実際にありそうでリアルに感じた。

しかし東野氏はユーモアを書かせても上手いなぁ。というよりも関西人の彼の本領は実はここにあるのではないか?
「おっかけバァサン」や「一徹おやじ」、「無人島大相撲実況中継」などはコントとして発表してもおかしくない。この前読んだ『あの頃ぼくらはアホでした』で、本当にしょーもないことばかりを面白おかしく語ってみせ、緻密で流麗で後味がほろ苦い感傷的なミステリを書く作家というイメージを覆した東野氏があのエッセイを書くことで何かが吹っ切れ、地の姿を存分に出したようだ。

この後『毒笑小説』、『黒笑小説』とシリーズ(?)は続くようなので非常に楽しみ。本当は8ツ星献上したかったのだが、それはまた次に取っておくとしよう。

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紙の本虹を操る少年

2020/01/30 22:46

恐らく作者はこれ以上語ることを恐れたのでは?

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稀代の天才高校生白河光瑠が創作した音楽と光をシンクロさせるエンタテインメント、「光楽」が一世を風靡し、その奔流に呑まれていく様を描いた作品。

東野氏の作品にはミステリに留まらずいくつかジャンルが存在するが、まだ現代には存在しないが少し未来に存在しうる事象を扱ったプチSF物語だ。従って殺人や何が起こったのかを探る本格ミステリではなく、新たな物が起こることでその渦中にいる人間がどんな人生や運命に引き込まれていくのかを描いた作品。抜群のストーリーテリング力を誇る東野氏だから、先が気になってページを繰る手が止められない。

特に光瑠の光楽を体験した者が次第に光瑠と同じ能力を獲得していくあたりの兆候からそこに至るまでの件は不穏な予感を抱かせながらぐいぐい引っ張っていく。光楽を体験した者に恍惚感と明日への活力をもたらすが、同時にそれを長く体験しないでいると、倦怠感や幻視、分裂症などの禁断症状を齎すという諸刃の刃でもあるのだ。この辺の毒の仕込み方が非常に上手い。

しかし人の感情や考えていることが光となって見えるという能力が本書の受け入れるべき設定であることは間違いないが、それがある歴史的根拠に基づいて設定されていたとは思わなかった。
いわゆる過去の宗教家の肖像画や仏像にあしらわれている後光やオーラという物が実は光瑠が持っている能力が万人にもある能力であることを裏付ける。なぜなら光を見ているのは信者である一般人であるからだ。この辺の話の持って行き方は非常に巧みだなぁと感心した。思わず膝を叩いてしまった。

しかし本書は何といっても光楽という光と音楽を絡めた芸術と主人公白河光瑠の造形に尽きる。光楽が人を魅了していく過程とその光楽の真の目的(疑似オーラを作り出し、オーラが見える人物を発掘していく)が遺跡などに表現されている事象に結びついていくことは面白い。

そして天才児白河光瑠の全てを達観している姿勢と視座。全てをあるがままに受け入れながらも、将来を見据え、そのためには自分が犠牲になっても踏み台になっても構わないと思うキャラクターは正に天才だ。

人の考えを察して云わなくてもしてほしいことを先んじてするという勘の良さも光が見えるという能力ゆえのことだというのが判明する。しかしそんな全てを見通す能力を持った彼に危難をもたらす為に設定したコンサート会場での爆破事件へのいきさつなどは本当にこの作家の構成力のすごさを思い知らされる。

1994年の作品だから時代を感じさせる記述が見られるのは致し方ない。ポケベルでの連絡のやり取りやレーザーディスクやビデオテープなどは懐かしい感じがした。新しい読者を次々と獲得している作者のこと、近い将来これらの単語の意味が解らない世代が出てくるかもしれない。

本書におけるメッセージは異端児はマジョリティである一般人に淘汰される人間の愚かさに対する警鐘だ。突出した能力を持つ者は時にはもてはやされ、時代の寵児となるが、安定を求める支配層にとっては自らの地位を脅かす膿であり、排除すべき存在にしか過ぎない。
しかしそれは人類の進化を停滞する愚行だと光瑠は述べる。それは深読みすれば江戸川乱歩賞作家として作家デビューしながら本格ミステリに留まらず色んなジャンルを描き、「明日のミステリ」を模索する作者自身の秘められたメッセージなのかなと思ったりした。

これだけ読ませる物語を書きながら、最後が唐突終わってしまうのが勿体無い。これ以上書くことは蛇足にしか過ぎないとする作者の潔さともいえるが、やはりいい作品だっただけにもっと余韻がほしかった。

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紙の本むかし僕が死んだ家

2020/01/29 23:42

知らなくてよい事とは人生の真理か

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本書はある家で何が起きたのかを残された手がかりで解き明かす男女2人の物語。しかしその家には女性の失われた過去が関係している陰惨な事件が隠されていた。
一枚一枚皮を捲るかのように散りばめられた手がかりによって次第にその家で何が起こったのかが明かされていく。その過程は非常にスリリングだ。

読書というものは不思議なもので、こちらが意図していないのに同じようなテーマを扱った作品を続けて読む、そんな不思議なことがよくある。まるで神の導きによって吸い寄せられているかのような錯覚を覚える。

本書もそんな奇縁を感じることがあった。というのもこの前に読んだ篠田氏の『原罪の庭』で取り上げられていた幼児虐待がテーマとして扱われているからだ。

虐待はそれをする親が過去に虐待をされていた経験を持つという負の連鎖から沙也加は自分が実の娘に虐待めいた酷い仕打ちをするのは自分も虐待の経験があるのではないかと疑い、自分が小学校以前の記憶が一切ないことに愕然とし、その記憶を辿るために亡き父が残した地図に示された場所に向かうというのが本書の発端だ。

以前も書いたがこの90年代というのは“自分探し”というのが一つのブームになった時期でもある。
“自分探し”というのは文字通り自身の足跡を辿り、自分がどんな人間なのかを探ることも指すし、心理テストを行い、自分の願望や性格をその結果から客観的に知るという手法もまた自分探しの一環であった。当時『それいけ!!ココロジー』に代表される心理ゲームの番組が非常に流行っていた。

そして東野氏もこの頃人間の心をテーマにした謎に関心があり、『宿命』、『変身』、『分身』など人間の心理もしくは人間そのものの存在をテーマにした作品を著している。

本書はその一連の作品群の中の1つといってもいいだろう。
しかし失われた記憶を取り戻した暁には常に苦い思い出だけが残る。知らないままにしておいた方がいいこともある、一連の作品で東野氏はアンチミステリとも取れる宣言をしているかのように思える。

なんとも謎めいた題名『むかし僕が死んだ家』。
アイリッシュに「わたしが死んだ夜」という短編があったが、あれに比肩する魅力的な題名だ。
しかしこの内容はロジックで得心するものではなく、感情に訴える観念的な意味が込められている。
成長する過程で誰もが何かを失っていく。それは知らないでおればよかったものとも云える。
本書を読み終わったとき、結城昌治氏の『幻の殺意』を思い浮かべた。今まで生きてきた人生とはなんとも危ういバランスで成り立っており、それは一種の幻のようなものなのかもしれないとその作品では語られているが、本書の底に流れるメッセージも共通している。
今までの作品でも東野氏の作品は読後何か苦いものを残していたが、本書ではそれがいっそう濃く感じた。感情の層のもっと深いところにある部分をテーマに持ち出した作品、そんな風に感じた。

300ページ足らずの佳作だが、心に残る思いは思いの外、苦かった。

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紙の本怪しい人びと

2020/01/29 23:02

結局、人の心なんだよね

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題名が示すように主人公が出くわす「怪しい人びと」が織り成す奇妙な事件を綴った短編集。

過去の東野作品を匂わすようなテイストを盛り込んだ短編集で収録された作品はよくよく気づいてみると1編を除いて全て一人称叙述の作品だ。つまり主人公の視点で語られている。事件に巻き込まれた人物が抱える心理状態や違和感が主体となっている。つまり短編集の題名である「怪しい人びと」とは主人公を取り巻く人たちなのだ。

しかし本書で語られる事件そのものに目新しさはないだろう。これぞ東野圭吾だ!と快哉を叫ぶような大トリックやどんでん返しがあるわけではない。
しかし明らかになる事件に関係する人それぞれの心の持ちように東野氏ならではのエッセンスが込められているのだ。

「寝ていた女」の犯人の本性、「もう一度コールしてくれ」の元審判南波の昭和人間的厳格さ、「死んだら働けない」のワーカホリック係長に辟易する犯人の心理、「甘いはずなのに」の容疑者が本当のことをあえて云わない心持ち、「灯台にて」の幼馴染の主人公二人の精神的優劣性がもたらした事件といったように謎の真相に至った心理の綾が読みどころだといえる。

個人的ベストは「灯台にて」。このブラックなテイストと読後感はなかなかいい。ある筋からの話によれば、なんと経験談とのこと。迫真性があるわけだ。
そして工場勤めの経験ある私の主観を交えて「死んだら働けない」が次点となる。また「甘いはずなのに」も印象に残った。

しかし軽めの短編集であることには間違いなく、加えて東野の読みやすい文体もあって、印象に残りにくい作品になっている。物語の世界に引き込む着想と展開は素晴らしく完成度が高いだけになんともその辺が惜しいと思う。

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紙の本分身

2020/01/29 22:35

先駆的作品だったんだね

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多彩な作風を繰り広げる東野圭吾氏のジャンルの1つに医学系サスペンスというのが挙げられる。
古くはスポーツミステリ『鳥人計画』も人間の能力を科学的に向上させるある計画が通奏低音であったし、東野圭吾氏の作風の転機となった作品『宿命』と『変身』も医学の闇をテーマにして人間の心の謎を扱った作品だった。さらに変化球としては女性版ターミネーター、タランチュラが登場する『美しき凶器』もまた当て嵌まるだろう。
そして本書はその2文字の題名からして『宿命』、『変身』に連なる作品といえるだろう。

本書は全く同じ容貌をした氏家鞠子の章と小林双葉の章が交互で語られる形で物語は進む。題名とこの構成からも明らかだろうからネタバレにならないので敢えて書くが、この2人は同一の遺伝子から生まれたクローンなのだ。体外受精で生まれた子供たちが成長した姿である。

本書で語られる学問は発生学という耳慣れない学問。刊行されたのが93年なので現在同じ呼称なのか判らないが、細胞分裂の過程でどの細胞が目となり、口となるのか、その現象を探る学問と作中では書かれている。即ち『宿命』、『変身』と脳から遺伝子へと続く系譜が本書で垣間見える。

『宿命』では何が過去に起きていたのかを巧みに隠し、それが最終的に晃彦、勇作、美佐子の三人の隠された関係へ発展していくのに対し、『変身』、『分身』では先に何がなされているのかが判るようになっている。つまり医学的なミステリがこれら2作の主眼ではなく、それに伴う人間ドラマがメインテーマなのだ。

そして本書で描かれるのは母性。たとえ本当の自分の子ではなくとも母は子供を愛するのだという深い母の愛だ。
しとやかなお嬢様として育てられた氏家鞠子の母、男勝りの活発な女性として育てられた小林双葉の母、それぞれ方法は違っても、根底に通じるのは鞠子、双葉への献身的な愛だった。だからこそ2人は性格の違うのにも関わらず、我が子と自らの境遇の行く末を思い、悲嘆に暮れるのだ。特に事件の発端となった、頑なに禁じていた我が子のTV出演を叱りつける事無く、受け流した小林志保の母性が印象に強く残った。

鞠子と双葉がお互いの出生の秘密を探る道筋は交錯しながらもなかなか交わらず、なかなか邂逅に至らない。この最後に2人が出逢うラストシーンは作者が本書でやりたかった事なのは判るが、そこに至るまでが濃厚だっただけに最後は駆け足で過ぎた感じがするのが残念だ。
鞠子、双葉それぞれの旅程のパートナーだった下条、脇坂講介が途中退場するのもこの構成のために致し方ないがなんとも尻切れトンボのような結末に感じてならない。

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続編が望まれる肝っ玉女先生の奮闘記

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前作『浪花少年探偵団』から5年。あのしのぶセンセが帰ってきた。
本書も前作同様、しのぶセンセこと竹内しのぶと彼女の元教え子の2人が主要登場人物の連作短編集となっている。そしてタイトルが示すとおり、本書がシリーズの幕引きとなる一冊でもある。

シリーズ1作目同様、肩の力を抜いて楽しく読めるキャラクター小説である。こちらの独断かもしれないが、物語の構成が手がかりを提示した本格ミステリの風合いから次々と事件が起きて読者を愉しませるストーリー重視の犯罪物に変わっているように思う。
それぞれの短編の雑誌掲載時期が載せられていないので、どの作品がいつ頃書かれたか解らないため、これが東野氏の作風の変遷と同調しているのかが解らないのが残念なところだ。
しかしあとがきにも作者自身が作風の変化を自覚していることを述べているからこの推察は間違いないだろう。読者の推理の余地がないので、本格ミステリ度は薄いが、逆に東野氏のストーリーテリングの上手さと、関係のないと思われた事象がどのように繋がっていくのかを愉しんで読める作品になっている。

従って推理するという作品ではなく、しのぶセンセとレギュラーメンバーである浪花少年探偵団(といってもたった2人だが)こと田中鉄平と原田郁夫、そいて新藤刑事に恋敵本間義彦らが織り成す涙と笑いのミステリ風大阪人情話なのだ。

そして今回しのぶセンセは教師ではなく、兵庫の大学に内地留学している身である。
これが本作にどう影響しているかというと、教え子が絡む小学校に関係する事件ではなく、しのぶセンセを取り巻く環境で起きた事件を題材にしている。そして前作でレギュラーだった田中鉄平と原田郁夫が元教え子として絡む。従って自由度は以前よりも上がっているから事件も学校・生徒という限定空間から外側に広がっている。

各短編の出来は平均的といってよく、駄作もなければ傑作もない。強いてベストを挙げるとなるとやはり最後の「しのぶセンセの復活」となるか。子供の跳び箱事故からある家族の家庭事情に繋がり、教師の転勤へと繋がっていく話の妙はさすがだが、この短編の読みどころは教師生活にブランクを置いたしのぶの再起する姿にある。シリーズの終焉に相応しい好編だ。

大阪弁を前面に出した軽妙なストーリー運びと下町の姉ちゃんと呼べる威勢のいい女教師のこのシリーズ、シリアスな作品が多い東野作品の中でも異色のシリーズだっただけにたった2冊でシリーズを終えるのは惜しいものだ。
現在押しも押されぬ国民的人気作家となった東野圭吾氏がこのシリーズを再開するのは限りなく0%に近いだろうけど、執筆活動の気晴らしとしてまたぼつぼつと書いて欲しいものだ。

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紙の本同級生

2020/01/28 23:23

久々の学園ミステリはやはり良かった

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てっきり学園青春ミステリとは縁を切ったと思っていた東野圭吾氏が久々に学生、しかも高校生を主人公にして書いたミステリが本書。しかもデビュー当時の瑞々しさは失わずに、寧ろ豊かな経験を重ねた分、人物像にさらに厚みが増し、そしてプロットの切れ味が増しているという、東野氏のこの手の作品が好きな人にはまさに堪らない一品となっている。

何しろ主人公の西原荘一はじめ、彼を取り巻く高校生たちがなんとも瑞々しい。親や先生の云うことを聞く、聞き分けのいい生徒ではなく、彼らはすでに自分達の世界を持ち、恋にスポーツに受験に明け暮れているのだ。
この歳になると、高校時代とか大学時代という、世の中のしがらみに囚われずに一所懸命何かに取り組めた頃を懐かしむ傾向に私はあるようだ。

技巧派である東野が本書で主人公西原の一人称叙述を用いたことで学校で起こる恋人の交通事故死と妊娠騒ぎ、そして教師の自殺に同級生の自殺未遂とショッキングな事件が連続する事件の数々を、高校生の青臭さと純粋さを持った視点から同世代の友達との交流も合わせて語らせて、あえて難しくない事件を解りにくく書かせることに成功している。

そしてまた冒頭のエピローグで語られる先天的に心臓に異常を抱える妹春美に纏わるもう一つの物語の軸を煙幕で覆い隠すことにも成功している。

ただ非常に危うい設定の作品であると云わざるを得ない。
主人公の行動に矛盾がありすぎるのだ。
特に恋人宮前の死の真相を明かすべく、クラス全員の前で自分がお腹の子の父親だと公言し、その死因に教師の過剰な生活指導に原因があると糾弾する。しかしこういうことをしながらも自身の所属する野球部が地区大会に出られるように事を大きくすることを危ぶむ。
自分で騒ぎを大きくしておきながら、この心配がどうにもちぐはぐな印象を受ける。高校生の考えること、そう考えれば納得は行くかもしれないが、世を斜に構えた姿勢で見る、あの頃特有の生意気さと背伸びした大人の素振りを見せる主人公がこのような行為をすることがどうしても結びつかない。

しかしこれらは推理小説として捉えればの話であり、青春小説として捉えれば、この主人公の行動も理解が出来る。要するに自分に正直に生きることを信条とするがゆえの若気の至りなのだ。
最後に至って西原の真意が明かされるに当たり、それが明確に見えてくる。これは若さゆえの何物でもないな、と。こういう心情を書ける東野圭吾氏の若さを本作では買いたい。

しかし毎回思うがこの作者の筆致の淀みの無さはいったい何なんだろう?全く退屈を感じさせること無く最後まで読ませる。しかも巧みに物語に謎を溶け込ませ、読者に推理を容易にさせない。推理するためにページを繰る手を止めるよりもストーリーが気になって先に進めることを選択せざるを得ないのだ。
そして最後の一行のカッコ良さ。青臭さを感じる生意気な高校球児である主人公西原荘一のお株をグンと挙げるキメ台詞だ。

人を教育することに信念を持つ先生という大人と、大人と子供の境で日々を生きる高校生という人種が交わる閉鎖空間、高校。
この特異な空間で歪められた人間関係が生み出した悲劇。
個人的には悪人は誰もいなかったように思う。誰もが己の正義を貫こうと、己の護るべき物を護ろうとした結果ゆえに、これほどまでに捩れてしまったのだ。
成熟の域に達した東野氏が久々に放った青春学園ミステリは、やはり上手さの光る逸品であった。

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紙の本美しき凶器

2020/01/27 23:32

ただの連続殺人鬼物ではない

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本作のテーマは殺人鬼物。しかし荒唐無稽な殺人鬼ではなく、現代スポーツ医学の歪みから生み出された殺人機械。
そして単純連続虐殺劇というチープな設定を採らないところがこの作家のいいところ。

とにかくまず東野圭吾氏がまさかこのようなモンスター小説を書いているとは思わなかった。
殺し屋タランチュラは狂えるスポーツドクター仙道之則が生み出した七種競技の選手。より高く跳び、より速く走り、より遠く投げ、より長く走れる万能選手のみが出場できる陸上界至高の競技。この競技を制するものはクイーン・オヴ・クイーンズとまで称される。
まずその選手を殺人鬼に仕立てたのが東野氏のアイデアの秀逸さ。そして驚愕させるまで鍛え上げられ、肉体改造されたタランチュラはまさしく女ターミネーター。狂気のスポーツトレーナー仙道が生み出した運動機械。
その完璧に鍛え上げられた肉体は裏返せば人を屠る凶器にもなる。運動機械から殺人機械へ。まさしく題名どおり「美しき凶器」だ。

通常このような殺人鬼物ならばスプラッターホラーに代表されるようにとにかく凄惨な虐殺シーンを強調するだけに留まり、なぜ彼が無差別に人を殺すのかなどはありきたりの設定で流し、アクションシーンのみを強調するのだが、東野氏の優れた点は彼らがタランチュラに襲われることになった原因があり、しかも彼らにはその殺人鬼から逃げてはならない理由があるところ。
よくよく考えるとこういう連続殺人鬼物は殺されたくないがために必死に逃げ惑い、人数が減って最後に返り討ちにする為、主人公らが勇気を振り絞って殺人鬼を打ち破るという定型があった。そこに自分たちの犯行を絡ませて敢えて殺人鬼と対峙しなければならないというシチュエーションは今までになかった設定でさすがは東野氏!と褒め称えたいところだ。
そして日浦を初めとする4人たちに共通するドーピングという蠱惑的な堕落への道に陥ったスポーツ選手の苦悩。どうしても超えられない選手としての壁に直面した時に自分の弱さゆえに、克己心よりも自己中心的考えを優先して「ばれなければいい」という悪魔の囁きに屈した後の代償が殺人鬼の報復というのはなかなか面白い。

また世界で肉体増強として様々な手法が開発されていることを知らされた。特に運動機械タランチュラを生み出した、妊娠させてわざと中絶をさせることで筋肉を増強させる方法は人命を軽視した悪魔の所業で憤懣やる方ない。妊婦が体力が必要になることから自然に筋肉を増強させる物質を分泌するという性質を利用して、薬で流産させ、筋肉増強を図る方法。しかも何度も妊娠・流産を繰り返すことで無敵のスポーツ選手が出来るという。
ここまで来ると倫理なぞはもうどこかへ消えてしまい、人体実験の領域にまで達し、もはや実験牧場である。

しかしそんな設定の妙がありつつも作品の評価は佳作どまりだろう。疾走感は買うものの、物語、人物設定に膨らみが感じられなかった。逆に疾走感を取るならば読者に考える間を与えず、次から次へと災厄が降りかかる手法を取った方がエンタテインメント性が増して何も考えずに読めて面白かっただろう。
確かにこれは通勤・通学中に読むにはクイクイ読めて面白いが後に残るものがあるかといえばそうでもない。最後にタランチュラが取った意外な行動には胸を打ち、光るセンスを感じたが、総じて軽めの作品だった。
しかし隙のない物語運びとプロットだ。さほど名の知られていないが読んで損はない作品と云っておこう。

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紙の本ある閉ざされた雪の山荘で

2020/01/27 23:00

Is this real ?

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題名が示すように本書は「嵐の山荘物」であるが、そんな単純な物を東野圭吾という作家は書かない。この本格ミステリお馴染みの設定に劇団員の推理劇というツイストを効かせた味付けを施す。
いやはやさすがは東野圭吾というべきか。
従って「嵐の山荘」でありながらも、実際は雪は降っていないし、殺人も遺体が残らず、事件がどのように起きたかを知らせるメモが残されているのみ。しかし舞台劇を想定しながらその実、劇団員が1人、また1人と消えていくうちに団員たちの中に不信感が生まれ、疑心暗鬼に陥る。
これは芝居なのか現実なのか?
この辺のフィクションと現実との境が解らなくなっていく展開が非常に上手い。

また巻頭に収められた一見描き殴られたように見える粗末な見取り図にも謎を解くヒントが隠されているのが心憎い。私は単に登場人物配置を解りやすくするためだけに付けられたのだと思っていたので全く顧みなかったのだが。

しかも読者の目には登場人物が消え去るシーンは恰も殺人がなされているように書かれているため、読んでいる方も本当に殺人が起きているのかいないのか判断に迷わされる。この叙述方法もまたトリックの1つであることに最後には明かされる。
単に奇抜なシチュエーションを用意しただけでなく、色々な仕掛けを施した作品なのだ。

またこの山荘での殺人劇、しかも虚実どちらか解らぬ状態で互いが互いを疑いあう状況からなんとなくゲーム『かまいたちの夜』を思い出させる。

逆に実際に舞台劇として演じられると非常に面白いかもしれない。劇中劇という設定で劇の中の演者がさらに演技を要求され、それが観客に虚実を混同させる効果を生み出し、どこまでが演技でどこからが素なのか解らなくなりそうだ。
いや実際既にどこかの劇団で公演されたのかも。

さて本書では登場人物の口を借りて東野流“ノックスの十戒”が開陳される。

曰く、「人間描写もできない作家が名探偵なんか作ろうとするな」、「警察の捜査能力を馬鹿にするな」

本書ではこの2つのみが書かれたがこれが後に『名探偵の掟』に繋がる着想の萌芽ではないかと考えると、やはり作品は発表順に読んでこそ、その作者の創作姿勢が時系列に垣間見れて楽しい、などとマニアックな悦に浸ってしまうのだった。

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紙の本天使の耳

2020/01/26 23:34

自動車教習所の必修課題本にしてはいかがかと

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本書に収められた短編は交通事故を題材にしたミステリである。

本書は今までの短編集と違い、交通事故という、通常のミステリで起こる殺人事件よりも読者にとって非常に身近な事件にクローズアップしており、それが非常に新鮮だった。従って諸作品で起こる事故が読者にとっても起こりうる可能性が高く感じ、私を含め特に車を運転する人々には他人事とは思えないほどのリアルさがある。

扱っている事件も交差点での信号の変わり目での出会い頭の事故、中央分離帯がある道路での急な飛び出し、初心者マークの車を脅かす煽り運転、雪の日の路上駐車中での当て逃げ、高速道路での空き缶の投げ捨て、交差点でのハンドルミスと、非常に日常的である。

そして事故に遭った人ならば誰もが一度は抱くと思うだろうが、交通事故の解決というのは被害者・加害者双方が納得いくようなものではなく、道交法に忠実に則って処理されるため、一種理不尽な扱いを受けたような思いを抱き、不平等感といったしこりが残る。つまり法律的には正当性が証明されても、感情的にはどちらが被害者か解らないといった感情を抱いたりする。
また交通事故の多い日本では機械的に処理する警察官もいるくらいだし、本書でも出てくるが、偶然起こった事件などは警察も捜査しても犯人が挙がる可能性が低いから、被害者の心情を慮らずに投げやりに応対したりもする。

そんな交通事故で遭遇する理不尽さが本書では語られている。特に前半の3編は泣き寝入りするしかない被害者側の、加害者に対する怨念が最後のサプライズとして用意されている。しかしそれは決して胸の空くような清々しいものではなく、弱者と思っていた者が最後に見せる狂喜や冷徹さが立ち上るようになっており、うすら寒さを覚える。

また他の3編でも被害者が実は間接的に加害者へ被害を加えていた、知らないうちに被害者が加害者へ仕返しをしていた、などとヴァリエーションに富んでいる。

個人的に好きな作品は「分離帯」、「通りゃんせ」、「捨てないで」の3編。特に「捨てないで」は先が読めないだけに最後の皮肉な結末にニヤリとしてしまった。

いやあ、しかし交通事故だけに絞ってもこれほどの作品が書けるのかとひたすら感服。
その読みやすさゆえに物語のフックが効きにくく、平凡さを感じてしまうが、実は完成度は非常に高い。この人はどれだけ引き出しがあるのだろうと、途方に暮れてしまう。この軽い読後感が私を含め本書の評価をさほど高くしていないのがこの作家の功罪か。

しかし東野作品を読んだことのないミステリ初心者がいたら、『犯人のいない殺人の夜』かもしくは本書を勧めるだろう。東野氏のエッセンスが詰まった、非常に損をしている作品集とだけ最後に云っておこう。

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紙の本回廊亭殺人事件

2020/01/23 23:31

この設定には無理を感じるが

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この頃の東野作品には『宿命』や『変身』といった人間の心や過去の因果によって引き起こされる運命の皮肉を扱ったミステリと、片や『白馬山荘殺人事件』、『仮面山荘殺人事件』など、昔からのトリッキーな舞台設定でペンションや館といった閉鎖空間で繰り広げられるオーソドックスなミステリと、2つの大きな流れがあったように思うが、本書はその題名から連想されるように後者の流れを汲むミステリだ。

かつて愛した人を、その男が実業家の隠し子で遺産を相続する権利があるという理由で無理心中という形で殺された元秘書が、実業家一族と懇意である老婆に変装し、遺言公開が行われる回廊亭という旅館で、犯人を見つけ出し、復讐するというプロットがメインだが、やはり東野氏はそんな通り一辺倒に物語を展開せず、容疑者の目処が付いた時点でその容疑者を殺し、復讐者が警察と一緒になってその犯人を探し出すという物語の転換を見せる。つまり倒叙物に犯人探しを織り込んだ作品だといえる。

実にさらっと書いており、しかもその流れが実に淀みが無いので普通に読んでしまいがちだが、限られた登場人物で捜査が進むに連れて判明する新事実に容疑者が二転三転するこの物語運びはなかなか出来るものではない。

特にその淀みない筆致こそが曲者であり、読んでいる最中、どうにか作者の術中に嵌らないことを念頭に読んでいたが、今回もすんなりと騙されてしまった。

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紙の本犯人のいない殺人の夜

2020/01/22 23:23

読みやすさゆえの功罪

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東野氏の短編集はこれまでにも『浪花少年探偵団』、『犯行現場は雲の上』、『探偵倶楽部』などが発表されていたが、それらは全て連作短編集で意外にもノンシリーズの短編集はこれが初である。

統一キャラクターで繰り広げられる連作短編集はキャラクター偏重の趣きが強いが、本作ではそれらを排し、トリックよりもロジック、さらに理論よりも理屈では割り切れない感情、人間の心が生み出す動機について焦点を当てているように感じた。

「小さな故意の物語」では嫉妬心から来る悪戯心と与えられる愛情に対する疲労感を、「闇の中の二人」では思春期にありがちな欲望と嫉妬心を、「踊り子」では淡い恋心を、「エンドレス・ナイト」はトラウマを、「白い凶器」は現実逃避から来る狂気を、「さよならコーチ」は人生を捧げたよすがを失った女性の絶望を描く。
唯一表題作が実にトリッキーな作品で動機も今までの東野ミステリにありがちな天才肌の犯罪者による、利己心だ。

ただ短編であるからか書込みが少なく、それ故それらの動機についてはちょっと踏み込みが足りないように感じた。「踊り子」、「エンドレス・ナイト」、「白い凶器」あたりは「小さな故意の物語」や「闇の中の二人」のような解決の後の真相をもたらすような二重構造が欲しかったところだ。

今回の作品集を読んで浮かんだ作家は連城三紀彦氏だ。特に表題作で明かされる真相には頭に描いていた既成概念を覆され、眩暈に似た感覚を覚えた。

以前にも書いたが、東野氏の最大の特徴は読みやすい文体にある。開巻して一行目からすっと違和感無く物語に入っていける透明感がある。従って読者はするりと物語の流れるままに身を委ね、登場人物と同化し、作中で起こる出来事をありのままに受け入れてしまい、気づいた時には思いもよらない展開の只中に晒されるような感覚を抱く。これはこの作家の最たる長所だろう。

個人的良作は「小さな故意の物語」と「さよならコーチ」。次点で表題作となるが、後日思い起こして話題に出るほどではない。技巧の冴えが目立つ故に軽く感じてしまう諸刃の剣のような短編集だ。

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題名が意味が解りそうで解り難い

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今回は犯罪者側から物語を描いた、いわゆる倒叙物である。
こういう倒叙物であれば、作品の主眼というのは完全犯罪を目論む側に不測の事態が起きて、果たして犯罪が成功するか否かに終始する。つまりこの作品で云えば死体移動中に事故が起きたり、共犯者がいなかったりと殺人リレーが成立か否かに焦点を当てて、スリルを描く事も出来るのだが、それを東野氏はそこをさらりと流す。
実に魅力ある設定を惜しげもなく使い捨てるとまで云ってもいいくらいだ。

で、東野氏が選んだストーリーとはなんと拓也が受取った死体が計画立案者である仁科直樹その人だったという仰天の展開。
そして物語は犯行を行った側と捜査する警察陣の両側面から推理する形で描かれる。
すなわち、「誰が仁科直樹を殺したのか?」

なんとも実に物語としてツイストが効いているではないか。
ここに東野圭吾という作家の非凡さが現れている。

さらにこのような展開をもたらす事で、物語は仁科直樹殺害犯人の捜索に加え、末永拓也の当初のターゲットである雨宮康子の殺害計画の再考も語られ、物語が重奏的に進行する。
こういった類いの趣向は以前にも『鳥人計画』でも見られたが、あの作品では犯人の犯行自体も謎であり、動機なども最後の方で判るのだが、今回は極めてシンプルに動機も犯行方法も第1章で全て詳らかにされるのが特徴だ。これだけ冒頭で手札を晒しつつ、先を読ませない展開で読者を引っ張っていくのだから、本当にこの作者はミステリ・マインドに溢れている。

そして本作の主人公となる末永拓也は完全なる左脳型思考の人間で、生まれ育ちの悪さをバネにして、一生懸命勉強し、独力で成り上がろうとする野心家だ。
人生の敗北者のような父親に育てられた彼は人間としての情よりも、理論を愛するようになり、とりわけミスをしないロボットにのめり込んでいる。だから彼は装飾品や絵画など芸術には一切の関心を抱かない。また自分の出世の道に邪魔になる者は、自ら排除するのも厭わない冷血漢である。
今までの東野作品では、どこか感情面で欠落した人間がいたが、本作もその型の人間である。ただ今までと違うのはこの人間が罪を暴く探偵側の人間でなく、犯行に加担する悪側の人間だというところで、共感は持てないにしろ、物語の主人公としては違和感なく受け入れる事が出来た。

また第2の、橋本が密室で殺される事件など作者はすぐそのトリックを明かしてしまう潔さには驚いた。まるでそこに主眼がないかのようだ。私でもトリックがすぐに解っただけに、謎を持続するには弱いだろうと作者自身も思ったのだろう。
逆に云えば物語に更なる謎を付け加える要素として使ったことで逆に謎が深まった事は確かだ。

今回はなんとしても東野マジックに引っかからないようにプロローグについて常に注意を払ってきたのだが、それでも無駄に終わってしまった。しかしこの展開はさすがに読めない。
やはり東野作品とは犯人探しや動機探しを行う物ではなくて、作者が周到に隠したバックストーリーを作者が1枚1枚、ヴェールを剥がすように読者に知らされる経過を楽しむものなのだろう。

さて本作のタイトルとなっている「ブルータス」とは末永が開発した産業用ロボットの名前である。人間でも難しい精密な動きをするこのロボットは末永の技術の粋を尽くして作った最高のロボットである。しかしだから本作のタイトルとして相応しいかというとそうでもない。
特になぜ「心臓」なのか?やはり今回も東野は題名に無頓着だったのかなと苦笑してしまった。

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紙の本十字屋敷のピエロ

2020/01/20 22:35

まさに神経衰弱をしているかのよう

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東野圭吾はただでは転ばない、これが読後の率直な感想だった。
読者を楽しませるのにこれほど貪欲なのかと改めて感嘆した次第。あくの強い押しでぐいぐい迫るクーンツのエンタテインメント性とは違い、淡々と物語を綴りながらも最後に思いもかけない真相が作者の手元から次々と現れてくる。
正にこれはトランプの神経衰弱に似たカタルシスだ。数字の判らない同じマークのトランプを徐々に捲る事で、何がどこに隠されているかが次第に解り、ゲーム終盤、怒涛の如く、バタバタバタと裏返っていく、あの気持ちのよさに似ている。

題名が示すように物語の舞台は十字屋敷と呼ばれる奇妙な作りの館と悲劇を呼ぶピエロの人形が物語を彩る。正に本格ミステリの舞台設定ど真ん中である。
2ヶ月前の不可解な死、四十九日のために一同集まった中で起こる殺人事件。密室でもない殺人事件。しかもピエロの一人称描写の段落で語られる事件の顛末から正直今回の内容は小粒だと思っていた。

しかし、東野圭吾はやはり只者ではなかった。ページ数にして320ページの長さながらもかなりの満腹感を提供してくれた。
特にデビュー以来、何かと作中で登場するピエロの存在を今回は物語の中心に据えたことからも作者の企みに期待していたが、きちんと応えてくれている。ピエロの人形の一人称という奇抜な設定に面食らい、多少の不安は感じたが、雲散霧消してくれたし、この企みがきちんと成功していることを付記しておこう。

数ある東野作品の中において、ベストに挙げられる作品ではないものの、一読忘れがたい余韻が残る良作だ。
出版後、18年以上経って今なお重版されるにはやはりそれなりの訳があるのだ。

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