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  3. ミケ子さんのレビュー一覧

ミケ子さんのレビュー一覧

投稿者:ミケ子

28 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

紙の本世界の中心で、愛をさけぶ

2004/04/12 20:16

朔太郎のおじいちゃんが好きです

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 表紙の写真がとってもいい。タイトルもロマンティック。
ちょっと読んでみたいと思った。
ん? 待て、待て。著者は男性?
ええ〜っ! 男が愛を叫んでるの〜?
と思ってちょっと引いてしまった。
その後、気になりながらもどうしても読めずにいた。
でも気になってるんだから、やっぱり読んでみようと
今になって手にとって読みました。

 少女漫画のよう。
そんなに悪くはないけど、なぜこれがそれほど話題になっているのか?
中・高生の恋愛って、こんなに上手じゃない。
気持ちは確かに朔太郎やアキと同じかもしれないけれど
こんなに上手に相手に自分を伝えられないよ。
100%皆がそうだとは言えないけど。
こういうの、純愛っていうのかな? なんか大人臭い。

もっともっと不器用で、情けなくて、上手くいかなくて。
上手くコミュニケーションが取れなかった分、
いつまでもいつまでも後悔して。
それでも私は、そんな不器用な恋愛をしたことを後悔していない。
朔太郎の祖父が言った言葉に納得する。
「人生の美しさというものは、実現しなかったことにたいする思いによって
担われているんじゃないだろうか。実現しなかったことは、ただ虚しく
実現しなかったわけではない。美しさとして、本当はすでに実現しているんだよ。」


 朔太郎とアキの関係は「好き」とか「愛」だけがクローズアップされすぎて
青春時代にどっぷり浸かっている人たちの特権である「可能性」が
描かれていないところにも閉塞感がある。もうちょっと趣味の話とか
友達のこととか、将来の夢の話もして欲しかった。
下校後だけならまだしも、授業中先生に注意されるくらいに
イチャついている二人って、世界が狭すぎる気がする。


「死」は辛くて哀しいもの。
残された者は、その悲しみを乗り越えるために「死」を美しく
浄化させる必要があるのかもしれない。でも、「死」をロマンティックにして
羨ましがらせてはいけない。
医学が進歩した現在、恋人が徴兵されて前線に送られることのない現在
(イラクの自衛隊派遣はあるものの)、ロマンティックな純愛を
実感するのは、なかなか難しいのだろうか。
恋人が「そこにいる」という事だけで満足できる、そしてそのことに
感謝できる世の中ではないよね、今は。
だから、小説の中だけでも「きゅーん」となりたい人が多いのかもしれない。

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紙の本

紙の本インストール

2004/02/19 13:32

「若気の至り」今も昔も。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 彼女の著書で芥川賞受賞作品「蹴りたい背中」をちょっと読んでみようかなと
思って本屋に行ったら品切れだった。出版元にもなくて、次の入荷はしばらく後に
なるらしい。ああ、残念。
と思ったら、この「インストール」が1冊だけ置いてあった。
ま、こっちの方が読んでみたかったから、これでもいいやと買って帰って
あっという間に読んでしまった。

 高校生の時に書いた小説ということだが、読んでみたらホントにとっても上手な学生の
作文といった感じだった。若さからなのか、句読点の付け方がちょっと独特な感じで
最初は読みづらさを感じたが、次第に話に引き込まれて気にならなくなった。
内容は、あれ? どこかでこんなの読んだなぁと思う部分が結構あった。ということは
私たち大人から見れば「小学生と高校生コンビで風俗チャット」なんて、奇想天外な
発想のように見えるが実は意外と何処にでもころがっている話なのかもしれない。
 以前に、村上龍の「希望の国のエクソダス」という小説を読んだ時(中学生が
インターネットを使って世の中を支配するような内容)世も末だと思ったことが
あったけれど小学生がインターネットを使いこなす、この「インストール」を読みながら
さらに世も末だと暗い気持ちになった。

ところが読み終わると、あれ? なんだかスッキリしてるぞ?

 この話には、特別な人は出てこない。誰をとってみても普通の人である。
普通の人がちょっとだけ道をそれた。そしてまた、元の道に戻った。
ただそれだけなのだ。
昔、不良と呼ばれた人たちがやってきたこと、つまり番長なんかがいて、他校の生徒と
殴り合いのケンカをする。授業をサボって溜まり場でウダウダと時間をつぶす。
ちょっとお酒やタバコをのんでみる。
そんなことをやっていた殆どの人は、また元の道にもどり、きっと今やいっぱしに
人の親なんかになって、普通の社会生活を送っているのだろう。時々、お酒の席で
「昔は若気の至りで、いろいろやったけどなぁ。」なんて懐かしがりながら。

私は「インストール」にそれと同じ空気を感じた。
パソコンを触れない世代や、あまり使いこなせない世代は、「インストール」という言葉も
その意味するところも、その言葉の裏にある感情も分からないかもしれない。
解らないゆえに眉をひそめ「世も末」と思うだろう。しかしパソコンのインストールができる
イマドキの世代が大人になった時も、やっぱり同じように「若い時はいろいろやったよなぁ。」と
言いながら友達と酒を酌み交わしているような気がする。
アウトプットの仕方は違っても、若者の苦悩の種類は昔も今も変わらないのではないだろうか。

 もとの道に戻った朝子とかずよしは、また普通に生活していくことだろう。
風俗チャットの給料をもらった後の描写に、閉め切った押入れの中から明るい外に出て
新しい空気を吸い込んだ時のような、すがすがしさを感じた。

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紙の本

紙の本娼年

2004/05/24 10:34

「娼年」というタイトルながら、少女のように心震わせる女たちに目が吸い寄せられる

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 「娼年」というタイトルが、目に飛び込んできた。
電車で居眠りをしていて、ふと目が覚めたそのときに。

 少女漫画「正しい恋愛のススメ(一条ゆかり)」を読んだことがあるので
あんな感じで美少年の男娼が出てくる話かな、と思って読み始めた。
そう、その通りでした。
美少年(美かどうかわからないけど)が、ふとした好奇心から男娼になり
普通のホストクラブなどには、たぶん来ないであろう種類の女性たちを相手にする。
 タイトルが「娼年」だから、20歳の大学生リョウが主人公の、ひと夏の成長物語であると
思うのだが、私はリョウが相手をした女性たちの方に意識が流れていった。
それは私が女性だからかもしれない。
男性作家の描いた女性なのに、これほど彼女たちの哀しみのようなものが私の心に
沁みてくるのが驚きだった。
名のある男性作家の描く女性像というのは、今までちっとも心に響かなくて
「何なの、コレ。」という感じで反発を覚えたものだ。
女性が女性を描いた時もまた、特に官能的な場面は生臭い感じがして私は好きではないのだが
この小説の中の女性の描写には生臭さを感じなかった。
女性が知っている女性というものを、生臭くなく、まるで少年のような透明さで描いていると思う。

 陽炎のような、水のなかでゆらめいているような、そんなつかみ所のない印象の中で
(つまり、そのことで登場人物すべての不安な心の揺れを感じ取れるのだが)
ひときわ実在感を持って迫ってくるのが、リョウの大学の同級生メグミだ。
あの、断定的な物言いは、「常識的」すぎて、逆に何かに取り憑かれているような狂気を感じた。
「きっとリョウくんも、いつかわたしに感謝するようになる。
わたしはすべてリョウくんのためにやるんだからね。」
とたたきつけるように言ったメグミの姿は、そのまま子どもに対する母親の姿と重なって怖かった。
リョウが男娼として売れっ子になりダブつくほどのお金を稼いでも、金銭的な感覚が
マヒしないようにとバーテンダーのバイトを辞めないのと同じで、メグミのその怖いくらいの
「常識的行動」もまたこの社会で生きているんだという実感を忘れないためにリョウには
必要かもしれない。

 石田衣良の小説は「うつくしい子ども」とこの「娼年」しか読んだことがないけれど
繊細なタッチがかなり読み心地が良いので、他の作品も読んでみたいと興味が湧いてきた。

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紙の本

紙の本トムは真夜中の庭で

2004/01/15 23:16

時の流れに迷い込んだら

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

時の流れというものを、古の人たちはどうやって認識したのだろう。
時の流れとは、いったい何だろう。
自分が今生きて、食事をしたり、本を読んだり、散歩をしたりする間に
太陽の位置が変わる。明るい昼間から暗い夜へと。
その物理的変化を「時」の流れと決めたのか。

この地球上の、たぶんほとんど全てのものは、この物理的側面から見ると
同じように進んでいる。赤ん坊から老人へ時が流れても、老人から赤ん坊へ
時が流れる人はいないのだ。

ところが実際目には見えないところで、いつもと違う時の流れ方をする
場所がある。それは、たとえば夢の中だったり、絵の中だったり、
想い出の中だったり。
このような場所で、時間は、ゆっくり、時には速く。
ずっと先の方を示したり、または昔に逆戻りしたりする。
この流れは、何と言うのだろう。これもまた「時」ではないのか?
現実の時間は私たちに身体的変化を与え、「見えないもう一つの」時間は
私たちの心に変化を与えるだろう。

もし夢の中の時間と、現実の時間が交差してしまったらどうなるのだろう?
あっちの人とこっちの人はどのように出会うのだろうか?

この本を読んだせいか、昨夜はとても幸せな夢を見た。
いつもいつも、私の心が会いたがってる、あの人。
今はたぶん、もう会うことも叶わぬあの人に会えた。
今までも何度かあの人は私の夢にやってきたけれど、いつも子どもだった。
でも昨夜は初めて大人のあの人がやってきた。
私たちは、これまでの人生をお互い語り合い始めていた。
あの人の話を最後まで聞けぬまま、私はこちらの世界へ戻ってきてしまった。
ああ、なんと幸せな時間だったことか。
あの人が夢に現れたとき、私はいつだって夢の中の時間を、私の永遠と
取り換えたくなるのだ。

この物語の最後に、現実の時間の中でお互いを認め合ったトムとハティを
羨ましく思うのは私だけではないだろう。
どんな人にも、その人だけの時の流れがあることに気づかせてくれる
そんな物語である。

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紙の本

紙の本いちねんせいのいちにち

2004/04/06 22:42

ピッカピッカの一年生

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 今日は次男坊の入学式だった。
ピッカピッカの一年生だ。
明日からさっそくランドセルを背負って学校へ行く。
明日のランドセルの中身は筆箱と連絡帳のみ。
最初はみんなで挨拶をして、トイレの場所や職員室や保健室など
学校中を歩いてまわって、学校探検をするのだろう。
数日してからやっと授業と給食が始まる。

学校ってどんなことをするのだろう?
ボク、まだあんまり字も書けないし、お兄ちゃんみたいに計算もできない。
先生から怒られるかな?
でもやっぱり、明日学校へ行くのは楽しみだ。

 そんな次男にこの絵本を読んでやった。
読む前は、あんまり面白くなさそう…と乗り気でなかった次男も
国語の時間に自分の名前を書く練習をする場面で、「ねもと たくや」君が
「おれ、この じ きらいだよ。だって、ぐにゅぐにゅ まがってるんだもん。」と言ったり
「すずき ゆう」君が「ゆ」の字を書く時目が回りそうになると言ったり
「さかのうえ りょうたろう」君が11コも字があってイヤだと言うのを見て
なんだか嬉しそうにニヤニヤ笑っていた。

休み時間には、女の子たちが誘い合ってトイレに行く場面を見て
「なんで、トイレにみんなで一緒に行くんだよー。」と可笑しそうに言い
ボール蹴りをしていたしゅんちゃんが、転んで膝小僧をすりむいて血が出たので
保健室に行く場面では、心配そうな顔になったりしていた。

 他にも、体育の時間、図工の時間、算数の時間、給食の時間、掃除の時間など
学校生活の一日が描かれてある。
一年生の教室を描いているので、次男もきっとこの本を読んでもらいながら
その教室の中に自分がいるような気持ちになっていたのだろう。

 読み終わってからも、何度も何度も、「もう一回読んで」とこの本を持ってくる。
新生活の不安と希望とが混ざり合って、不安定なこの時期の一年生にぴったりの一冊。
まだ、ほっぺたがぷっくりと可愛い、そんな一年生が生き生きと描かれている。

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紙の本

紙の本ぼくの・稲荷山戦記

2004/03/15 10:48

イマドキの子も、たまにはこんな本を読んで欲しい

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 先祖代々、裏山の稲荷神社の巫女をつとめるマモルの家に、
不思議な下宿人・守山さんがやってきた。
守山さんはM大学の院生で、専攻は考古学、専門は古墳だ。
中学校で地歴部に入っているマモルは、次第に守山さんの魅力にひかれていく。
そんな時、裏山にレジャーランド開発の計画があることを知る。
海や山や森を太古の昔から見守ってきた“存在”との出会いにより
“信じる”ということがどのようなものであるかを知るマモル。
そして、自然破壊から裏山を守ろうとする守山さんと行動を共にする。
守山さんの正体とは…?
そしてレジャーランド開発の行方は…?


 この物語を読み始めてすぐ「あれ? こんな話、前にも読んだことある。」と思った。
佐藤さとるが書いた幼年童話『ふしぎな あの子』とそっくりだ。
『ふしぎな あの子』は小学校低学年向けの本だが、その内容をもっと
深く詳しく描いたのがこの『ぼくの・稲荷山戦記』という感じ。

 主人公のマモルが中学生なので、この本の対象読者はたぶん
小学校5,6年生〜中学生なのだろう。内容的にはやはりこのくらいの
年齢の子どもが読んだ方がいいと思うが、描写があまりにも素朴なので
小学校中学年向けの読み物のような印象を受ける。
約20年前に出版された本なので、当時の中学生だったら読んだのかも
しれないが、果たしてイマドキの中学生がこの本を手にするだろうか?
ハリーポッターのようなスピード感溢れる物語は、ほうっておいても
子どもたち自ら本を手に取るだろうが、この「稲荷山戦記」は
ほうっておいたら、本当にほうっておかれそう。
とてもいい本なだけに、残念だ。
ぜひ、小学校の図書館の「今月のおすすめ本」などのコーナーで
紹介して欲しい本である。

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紙の本

紙の本月の森に、カミよ眠れ

2004/06/23 13:57

自然は理路整然と存在し、人間の情を受入れてくれない。両者は共存できるのか。

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 娘は夫がおそろしい大蛇だとわかった後も愛し続け、子を産んで育てたという
九州の祖母山に伝わる『あかぎれ多弥多(たやた)伝説』に強く心ひかれて
上橋さんはこの物語を書いたそうだが、この話を読みながら、蛇ガミと娘の婚姻伝説を
昔どこかで聞いたことがあるなぁと、懐かしく感じた。
私は九州の出身なので、小学生の頃「九州の民話」とかいう本を読んだのか、
祖母が布団の中で私に語って聞かせてくれた話のひとつなのか、
はたまたテレビのアニメ番組で見たのか定かではないけれど。

 カミが守る自然とは、人間が生きるためにあるものなのか、それともカミにとって
人間は自然の中のほんの小さな一部分でしかないのか。カミとは何なのか。
朝廷への「租」のために、苦しい生活を強いられるムラの人々は、
自分達の生活のためにカミの土地を開拓していくことを望む。
そのカミの土地にしか稲が育つ場所がないからだ。
死ぬか生きるかの苦しい生活をしているムラの人々は、自然のバランスが
崩れるからという理由でカミの土地で稲作をすることを許さないカミを
信じなくなっていく。
目の前で死んでいく我々を見捨てるのがカミなのかと。
それは、カミではなくオニであると。

 人間の生死の尺度で計れるほど、自然の生死のサイクルは短くない。
いくら人間に想像力があるとはいえ、その二つを添わせるのは案外難しい。
人間に、情と欲とがあるかぎり。

この物語には、宝石の原石のような力強さがあると思う。

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紙の本

紙の本無名

2004/01/31 00:06

透明でいて確かな父親と息子の関係

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

沢木耕太郎・著 幻冬舎

私は沢木耕太郎という作家を「深夜特急」で知った。
とても面白くてどんどん読み進んだ。
その後、彼のほかの作品も読んでみようという気になり
2〜3冊手に取ってみたものの、最後まで読んだという
記憶はない。
私にとって沢木耕太郎=深夜特急となっている。

この小説が出たことは、新聞の書評欄を見て知っていた。
その書評を見て「あ、これは面白いかもしれないな」とは
思っていたがその後、改めて書店に行って買うということはなかった。
すっかりこの小説のことを忘れていたのに、最近になって友人が
夫がこの本を買っていたのを知らずに自分も買ってしまい
2冊もあるから、あなた読まない?と持ってきてくれた。
ああ、そういえば読みたかったんだ。

そんなくらいの気持ちで読み始めたが、これはいいと思った。
勿論それは、沢木耕太郎の書くものがいいとか悪いとかいうことではなく
たまたま私の好みがそうだという、ただそれだけの事なのだが。

脳出血のために入院した実の父の看病をしながら
父親と自分をつなぐものをゆっくりと、しかし多分限られているだろう時間の中で
思いを巡らしながら、ぽつりぽつりと確かめていく。
その描写やそこに漂う空気が透明で美しい。
父と息子というのは、傍から見ると愛想も何もないような関係に見えるし
また実際、ボソボソと一言二言言葉をかわすだけのイメージしかない。
それでも同性であることと血の繋がりがあるということは不思議なもので
父と息子は確かな絆で結ばれているのだろう。

沢木耕太郎の父二郎の感性が私は好きだ。私には到底このような物の捉え方は
実際にはできないだろうが、「一日一合の酒と一冊の本があれば、それが最高の贅沢」という
そんな生き方が出来たらいいのにといつも思う。
二郎の書いた二編のエッセイがとても好き。特に「隅田川」というエッセイのもつ
ノスタルジックな色がたまらなく好きだ。セピア色のベールの向こうで
路地から聞こえてくる日常の音までもが、頭の中でカラカラ回るような感じがする。

こんな無名の人生もあるのだなぁと、しみじみと本を閉じた。

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紙の本

「アグリー」が日本語になってるなんてブッ飛びました

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 インターネットの『ほぼ日刊イトイ新聞』で連載された人気コーナが
本になったものである。私もこのコーナーが好きで、いつも新しいネタを
楽しみにしていた。

それにしてもこのコピー!
「オレ的には アグリーできかねるんだよね」

 この「アグリー(agree)」という単語には思い出がある。
約20年ほど前、短大生だった頃。私の仲間内で「ワンス・アポン・ア・タイム・
イン・アメリカ」というアメリカのギャング映画が話題になったことがある。
(今でもこの映画は私のベスト1の映画であるが)
その映画の少年たちの会話の中に“agree?”と同意を求めたセリフがあった。
その言葉を発した少年が私好みであったことと、その言い方がカッコよかったことで
私たちも真似して、何か同意を求めたい時は「agree?」と聞くようになった。
(因みに私たちは普段日本語しか話さない日本人です。)
その後、アメリカに“agree”という商品名のシャンプーがあることを知った。
香りなども気に入ったので、夏休みを利用してアメリカへ旅行に行った時
友人へのお土産は、リクエストにお答えして“agree”のシャンプーだった。

その“agree”が日本語の「アグリー」になるなんて! 「テレビ」とか「ケーキ」
なんていう名詞ならわかる。でも「アグリー」を日本語として使うのは
どうなのよーーーー?
でもオトナはさらりと使いこなすんですね、この「アグリー」を。

 この本の中に出てくる様々なオトナ語は、ほとんど会社人語だ。
会社人以外の大人はあまり使わないんじゃないかなぁ? 専業主婦の私も
OL時代を思い出しながら読むと、「そう、そう、こんな言い方してた」と
思いあたるものがあるけれど、さすがに専業主婦歴が長くなると
最新オトナ語事情に疎くなってしまい、このコピーの
「オレ的には アグリーできかねるんだよね」
のようなものは「ウソでしょ? こんな言い方。」と思ってしまう。
でも投稿があるんだから、きっと普通に使われているんでしょう。

 それにしても、面白い。面白いけど日本語乱れすぎ。
とはいえ、このオトナ語を使いこなせなきゃ仕事にならぬ。
学生諸君も社会人になる前にちょっとこの本に目を通しておくと
少しは役に立つかもしれない。
それと同時に、新潮新書の『口のきき方』(梶原しげる・著)にも目を
通すことをお勧めする。

 この『口のきき方』の第4章「若者言葉の味わい方」を読むと、
どうも若者言葉の延長線上にオトナ語があるような気がする。
若者は、他者と深く関わることで自分が傷つくことを恐れるあまり
あいまい表現にすがり付き、そのあいまい表現を武器にすることを
覚えた大人は、オトナ語を駆使して相手を煙に巻く。

 人間は切羽詰ったら泣くのではなく笑うものだと誰かが言ったけど
(OL時代の先輩だったかな?)会社で使うオトナ語をネタに
これほど盛り上がって笑うって、大人も相当切羽詰ってる?
笑うといえば、同じく「ほぼ日」から出版された『言いまつがい』も
人の揚げ足をとったような内容だが、愛情を込めて相当笑える。

笑う門には福来るってことで、御一読下さい。

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紙の本

紙の本ジャズ・カントリー ベスト版

2004/03/05 19:05

人との出会いで得る人生の糧

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 この小説は、ジャズに魅せられた白人の高校生トムが、大学に進学すべきか
大好きなジャズの道に進むべきか悩みながらも、出会った人たちに
影響を受けながら一歩一歩前に進んでいくという少年の成長物語である。
と同時に、ジャズの入門書としても若い人たちに受入れられるかもしれない。

 自分のトランペットの実力が世の中でどの程度通用するのかという不安と
大好きな音楽が黒人音楽であり、自分は白人ゆえにジャズの道で
やっていけるのかという不安から、トム少年はあれこれと思い悩む。

 前者の不安は、私たち誰もが抱く不安なので自分を重ねながら読むことができたが
後者の不安は、生まれた時から今の日本で暮らしている私にはちょっと理解するのが難しい。
いや、頭では理解できる。でも肌で感じたことがない事柄に対して、それでも相手の力に
なりたいと思うとき、その悩みと私の間には高い壁があり自分の無力を感じる。
所詮どんなアドバイスも想像の域を超えることはなく、トムのような少年に対して
自分が何も力になれないだろうことにショックを受ける。
キレイ事だけでは生きてゆけない現実を前に、黒人のミュージシャンや
黒人の同年代の友人との出会いでトム少年は何を学び、何を自分の糧にしていくのだろう。

 人生の中で人との出会いというのは他のどんなものよりも一番の宝物なのだ。

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紙の本

紙の本ウルフ・サーガ 上

2004/02/24 19:29

「ウルフ・サーガ」上・下

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 ワカの掟に従って暮らしていた狼たちは、北の国からやってきた一匹の
大きな黒狼によって支配されるようになる。黒狼ショーガル・カンは
狼の子どもが飢える事のない豊かな国を作るのだという。しかし、それは
自分たちの種族のみの幸せを考えた、エゴイスティックな思想であった。
ショーガル・カンの威圧的な態度と彼への恐怖から、狼たちの群れはつぎつぎに
自分たちの猟場を明け渡した。そしてショーガル・カンは自分の占領した
世界を整え始めるのだった。
そんな中、ショーガル・カンに抵抗して群れを追われた家族があった。
彼らはワカの作る世界を忘れることができなかったのだ。しかし、ショーガル・カンに
はむかってしまった今、彼らは逃亡の旅へ出るしかない。
雪の岩山で雪崩にあったり、砂漠の死の国で力尽き、倒れたりしながら
新天地を求めてさまよった。しかし、その家族の中でも一番きゃしゃで弱い
一匹の狼シリキが、ショーガル・カンからワカの世界を取り戻すために立ち上がった…。

 造物主ワカの名も含めて、狼たちに付けられた名はインディアンの諸種族の言葉を
参考にしたらしい。
ワカの掟というのは、つまり食物連鎖のことだ。
この物語は、そのワカを無視して狼のみが幸せに暮らせればいいと信じた
大黒狼が支配することにより、この連鎖が崩れ、結局狼自身も滅びかけてしまう、
という物語である。
 一匹の弱い狼シリキは不思議な力を持っていて、何か暗示的な夢を見る。
シリキは、黒狼が毛皮を脱いで毛のない二本足の動物になってしまうという
恐ろしい夢にうなされるが、この黒狼こそが人類の姿であることは容易に想像できる。
人類至上主義に警鐘を鳴らしているのである。

 まあ、この物語に限らず、色々な分野の人、そして一般人からもその声は上がっていて、
今さらという感がなくもない。がしかし、それゆえに人類至上主義が人類を
滅ぼすということが常識になり、改めて声高に言わなくなっている気もする。
もしくは、声高に言ったとしても「またか…」という感じで、聞く耳を
持たなくなる。あるいは、やすきに流れる人間は「聞かなかった」ことにしてしまう。
正論のあまり、声を高くするのをためらってしまう人もいるだろう。
だからこそ、児童文学の中では繰り返しテーマにしてほしい。大人にとっては
何度も聞いた話でも、子どもにとってははじめて触れるテーマかもしれないから。
この「ウルフ・サーガ」は人間を通してではなく、何のしがらみもない狼を通して
それを訴えたことで、テーマが明確に、そしてわかりやすくストレートに読み手に
伝わると思った。

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紙の本

紙の本負け犬の遠吠え

2004/02/22 22:37

「勝ち犬」の逆鱗に触れそうだけど、そこをユーモアで回避

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

『どんなに美人で仕事ができても、30代以上・未婚・子ナシは
「女の負け犬」なのです。』
ピンクの表紙で本屋の目立つところに平積みされ、
帯には「嫁がず、産まず、この齢に。」と書いてある。
女性として興味湧くじゃないですか。

 本書では負け犬の定義を30代以上で未婚・出産経験ナシとし、
美人だろうがキレ者だろうが「負け犬」であるとしている。
逆に「勝ち犬」とはどんな女か。
いわゆる、普通に結婚して子どもを産んでいる人たちのこと。
お金持ちの夫を得て子どものお受験にも成功して余裕のある専業主婦から
収入の少ない夫をパートで支えていたら子どもはグレてしまったという主婦まで
勝ち犬も幅広い層がある。

 で、私はというと著者のいうところの「勝ち犬」なんですね。
いや〜、ハッキリ言って自分のこと「勝ち」と思ってませんでした。
どちらかと言うと、著者のいうところの「負け犬」の皆さんを
ヒジョーに羨ましがっているクチであります。
ですから本書を読んで、まあ予想通りの内容だったとはいえ
それでも数枚は目からウロコが落ちました。
あ、そうだったの〜?ってカンジで。

 「勝ち犬」組にしても「負け犬」組にしても、皆が皆十把一絡げに
括れるわけはなく、少数の例外が存在するし「負け犬」さん方が
想像しているような生活を「勝ち犬」がやっているわけではないよと
突っ込みたくなります。
そして、その逆も言えるわけで。

……。
でも、負け犬の皆さんは本当に「負け犬」だと思っているんでしょうか?
今や「勝ち犬」は貧乏くじばかり引いている気がしていますが。
「負け犬」…普通に結婚して家庭に入り子どもを産んだ女。
「勝ち犬」…家庭に入らず、経済的に自立している女。
と定義を変えても同じような本ができそう。
隣の芝生は青く見えるってことですか?

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紙の本

紙の本ブリット‐マリはただいま幸せ

2004/01/15 23:51

元気をいっぱいもらえる一冊

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「子どもの本の女王」リンドグレーンの幻のデビュー作登場!
と帯に書いてありました。
「長靴下のピッピ」などで有名なリンドグレーンのデビュー作が
本邦初訳で出版されました。

本のタイトルと、表紙の絵が、まさに「幸せ」そのもの。
15歳のブリッド-マリがペンフレンドに宛てた手紙の形式をとった
この物語は、その手紙から彼女の豊かな感受性と、彼女をとりまく
暖かい家族の姿が目に浮かびます。

リンドグレーンの作品を読むと、いつも軽い自己嫌悪に陥ります。
私にはこんなユーモアが、まったくといっていいほど備わってないことを
思い知らされるから。
ブリット-マリってちょっと赤毛のアンに似てるかな。
赤毛のアンといい、このブリット-マリといい、生きていることを
こんなに楽しんでいるって羨ましい。
こんな風に物事をとらえられたらいいのに、と思わずにいられません。

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紙の本

紙の本きんぎょが にげた

2004/05/06 20:00

小さなお子様をお持ちの家庭にこの絵本は必需品

19人中、19人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

 以前、ほんの1年間でしたが自宅で絵本の家庭文庫をしていたことがありました。
そのころ息子の幼稚園で同じクラスになったとっても元気のよい男の子がいたのですが
その子のお母さん、それまで全く絵本なんて子どもに読んであげていなかったらしいのです。
日々の雑務に追われて、忙しい忙しいって、絵本を読もうなんて思ったことなかったそうです。
それが、ひょんなことから親しくなり、ちょっとしたきっかけから我が家の文庫に
遊びにきてくれるようになりました。
 どんな本を選んでよいやらわからないので、何かお勧めの本を教えて欲しいと
いうことだったのですが、この場での私の選書でこの親子のこれからの絵本との
かかわりが決まってしまうのではないかと緊張しました。
そして、私がお勧めした絵本がこの五味太郎さんの「きんぎょが にげた」でした。
ほとんど絵だけで、逃げたきんぎょを探すと言うシンプルな内容ながら、
子どもを惹きつけずにはおかない魅力のある絵本です。

 本の返却にきた時、そのお母さんが
「子どもが、こんなに笑いながら楽しそうに絵本を見るなんて、思いもよらなかったわ。
何度も何度も、読んでくれとせがまれて、『こんなのが、そんなに楽しいのかしら?』
と思いながらもゲラゲラ笑いながら楽しそうにしているので、ついつい何度も
読んでやったのよ。ホントにびっくりしちゃった。」
と仰ってくださったので、とても嬉しく思いました。
そして、五味太郎さんの絵本で他にいい本はないかしら、と言うので今度は
「きいろいのは ちょうちょ」と「ぐう ぐう ぐう」をお勧めしました。

 この男の子に限らず、この「きんぎょがにげた」はおはなし会などでも大人気で、
1、2歳の小さな子どもから小学校高学年の子どもまで一緒になって楽しめる絵本です。
もう、みんな身を乗り出してきて盛り上がるのです。

 夜寝る前に子どもと一緒にこの絵本を開いたなら、一度読むだけではすまないと
覚悟した方がよいでしょう。(笑)

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紙の本

紙の本こんにちは、長くつ下のピッピ

2004/03/16 10:32

ようこそ、ピッピワールドへ

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 岩波書店から出版されている小学校中高学年向きの児童文学
「長くつ下のピッピ」の絵本版である。
 小学生の頃、大好きで何度も読んだ「長くつ下のピッピ」。
当時TVでもピッピの番組が放送されていて、いつも楽しみに見ていた。
岩波の本の挿絵のピッピと、TVのピッピ(アニメではなく実写)が
とてもイメージが似ていたので、その挿絵がオリジナルだと思っていた。
独特の画風で、私も子どもながらとても気に入っていたし。

ところが、その挿絵はオリジナルじゃなかったんですね。
今回、徳間書店から出版されたこの「こんにちは、長くつ下のピッピ」の絵が
オリジナルだったのだ。
イングリッド・ニイマンという人が描いているが、ピッピの生まれ故郷
スウェーデンでは、このニイマンの描くピッピこそが「ピッピ」だそう。
東欧・北欧の絵本の絵でお馴染みの、くっきり・はっきりした絵で
とても愛らしい。

 内容はといえば、岩波の小学校中高学年向きの本の美味しいとこだけを
詰め込んだ絵本になっているので飽きない。
私が子どもの頃から大好きで忘れられなかった場面ばかりが
ページをめくる度に、次々とあらわれて楽しい、楽しい。

何でも一人で出来ちゃう、たくましいピッピ。
想像力が豊かで、小さなことは気にしない、愉快なピッピ。

「えっ?」と驚くような、人が振り返るような奇抜なことを平気で
人目も気にせずやるのだが、それが決して「あくたれ」ではなく
一本筋が通っているからピッピは子どもたちから尊敬されるのだろう。

 この絵本が日本で出版されたことで、小さな子どもたちとも
この愉快なピッピワールドを共有することができると思うととても嬉しい。

 それから、この絵本の最後に着せ替え人形が付いていてこれまた嬉しい。
そのまま切り取ったらもったいないから、カラーコピーして使おうかな。
でも、コピー紙だとペラペラで遊びにくいなぁ。
そんなことあれこれ思い巡らしていて、ふと気づいた。
我が家の子どもは小学生(低学年)の男の子二人なのだ。
着せ替え人形なんかしないよね。
……。
実は、私がやってみたいだけなのである。

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