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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
室町時代の大乱を紹介し世間に興味を広げるきっかけを作った本。当初から最後までかかわった人物に焦点を当てることで分かりやすくなっている。
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ほんと室町幕府って、わけがわからない
2019/01/26 23:18
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本の帯に書いている「戦国乱世の序曲とも評されるが、高い地名とは対照的に、実態は十分知らされていない」という文は、ほとんどの私を含む歴史好きに共通な認識で、私などは「意志も虚しく(1467年)応仁の乱」という語呂合わせと、西軍が山名宗全、東軍が細川勝元だという知識に、大河「花の乱」に登場した義政のダメっぷりしか印象になかったのだが、管領家の畠山氏や斯波氏だけではなくて、細川氏までもが身内同士の争いに疲弊して没落していったという過程が丁寧に説明されている。
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戦国時代の始まりの謎
2018/12/25 12:26
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投稿者:しゅん - この投稿者のレビュー一覧を見る
あまりよく知らない応仁の乱についての本が、人気なので手に取った。
知らなかった経緯、様々な登場人物の思惑、などが理解できる。
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応仁の乱とは何だったのか
2018/11/16 01:06
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投稿者:Carpaccio - この投稿者のレビュー一覧を見る
その名を聞いたことのない人はいないであろう日本史上の大事件、応仁の乱について一般人向けに解説する良書。
明応の政変を戦国時代の始まりとする近年の研究結果を踏まえた上で、応仁の乱が及ぼした影響の大きさを再評価している。一般人向けとはいえ、ある程度の知識が無ければ読了は難しいかもしれない。しかし、歴史好きや日本史について多少の知識がある人なら問題なく楽しめるだろう。
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充実した新書です
2017/08/27 15:30
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投稿者:ルイージ - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者も言う通り戦国や幕末に比べてあまり人気の無い応仁の乱だけど、本書は史実を丁寧に分析していてしかも人間模様が描かれていて、ドラマとして読んでも十分行けそうな気がした。そこらへんの軽佻浮薄な新書版とは大違い、値段以上の充実した内容で、夏休みの読書にもオススメです。
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応仁の乱
2016/11/04 20:19
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投稿者:iwasabi47 - この投稿者のレビュー一覧を見る
前著『戦争の日本中世史』で終盤一気に叙述されていた応仁の乱。こちらでは当該政治史の再検討と同時代の興福寺の二人の僧に残した日記から視点から成り立っている。自己利益から二つに割れていた大和の衆徒・国民達が外部の勢力に翻弄されると団結するところで書物が終わるが、まさしく『一揆の原理』(未読)なのかなと。防御兵器(堀・楼の発達)が戦争を長引かせたとの説は館から城の変化なのか。この続きとして『天文法華一揆』読み直して見た。
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室町後期、諸大名が東西両軍に分かれ、京都市街を主戦場として戦った応仁の乱(一四六七〜七七)。細川勝元、山名宗全という時の実力者の対立に、将軍後継問題や管領家畠山・斯波両氏の家督争いが絡んで起きたとされる。戦国乱世の序曲とも評されるが、高い知名度とは対照的に、実態は十分知られていない。いかなる原因で勃発し、どう終結に至ったか。なぜあれほど長期化したのか――。日本史上屈指の大乱を読み解く意欲作。
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基本としたい史料を設定し、それを軸に様々な先行研究や別史料も顧みながら、「知られているようで、然程知られていないかもしれない」を手際よく説く、「歴史関係の話題を扱う新書」としては「非常に“らしい”」感じなのだ。煩雑な事象について、一定の「観測する窓」のようなモノを設定した中で手際よく語られるので、少し夢中で読み進めてしまう感じだ…
「応仁の乱」の複雑な展開…本書を通じて、非常によく判った!!
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登場人物が多く身内同士の争いもあり複雑だったが、乱のきっかけやその後の戦国時代につながるきっかけがよくわかった。
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なかなか面白かった。
日本史有数の大乱であったにもかかわらず、その実際については戦国時代ほど知られているわけではない「応仁の乱」について、出だしを大和国の視点で説き起こすという新しい切り口で叙述した著者の野心作であると思われる。
ただ、野心作ということもあるのだが表題として『応仁の乱』というのはいささか不正確なきらいがあり、叙述内容からいって『大和国と応仁の乱』または『興福寺大乗院と応仁の乱』とでもすべきだろう。
興福寺大乗院門主にして興福寺寺務(別当)であった経覚と尋尊の目で辿る応仁の乱。それぞれの日記である『経覚私要鈔』と『大乗院寺社雑事記』を主なテキストとし、応仁の乱の前提のひとつである大和国の争乱から叙述を始めるところが目新しくとても勉強になった。
『経覚私要鈔』と『大乗院寺社雑事記』という両者の立場で比較的に応仁の乱全体を見通すことができ、また大和国という守護不設置で衆徒・国民が割拠しながらも敵対したり一揆を結んだりと混迷を繰り返す大和国の特殊事情が興味深いため著者もこの舞台背景にしたものと思われる。
尋尊の『大乗院寺社雑事記』は高校教科書にも登場するお馴染みの史料なわけだが、今回、経覚の『経覚私要鈔』と相照らしてみてそれぞれの性格からくる分析態度の相違にはなかなか興味深いものがあった。
九条家の出である経覚に対し、経覚が将軍足利義教の逆鱗に触れ更迭された後、尋尊が二条家より新門主として迎え入れられたという過去を持つ二人。著者によればその性格も対称的なものであるという。
先例にとらわれず柔軟に対処するが長期的展望に欠け、その場しのぎの対処をすることもある経覚に対し、常に冷静沈着で軽々しく判断を下さず記録を調べ先例により方針を決定しようとする尋尊。悲観的でことあるごとに「神罰が当たる」とか「仏敵」とか口汚く罵るのも尋尊である。
この辺りの視点の相違というのもなかなか面白い。
さて、「応仁の乱」であるが、著者によると東西両軍ともここまで長引くものとして争乱を起したのではないとする。
もともと畠山家の内紛により義就方と政長方に分裂したのが大乱の主要な引き金だったとするが、山名宗全が反細川連合を目的に義就を京都に呼び寄せ、放っておいても義就と政長の御霊合戦では義就が勝ったと思われるのに宗全が味方し、メンツを潰された細川勝元が宗全に対し決起したというのがそもそもの起こりで、それに将軍家、斯波といったお家騒動を持つ連中たちが次々とくっつき、大内や赤松など別の野心を持つ者なども呼び寄せた挙げ句に収拾がつかないまま11年にも及ぶ大乱になったということである。
大乱では朝倉孝景や斉藤妙椿など守護代クラスの活躍があり、それに乗じて下剋上が起こり得たと思いきや朝倉孝景のようになかなか上手く事が運ばなかったり、反面、家臣の意のままにならぬ守護に対し「主君押込」があったり、また、著者が戦国大名のはしりと評価する畠山義就の存在や、山名氏のように親子で東西に分かれたり、裏切りや寝返りがありと何でもありの様相となり、大乱はますますの混迷を深めていくことになる。
最初��頃は仲介の労をとろうとした将軍義政や日野富子ではあったが、金儲けにはしる富子や峻烈な性格であったという足利義視らの存在は混乱に何の足しにもならず、結局、東軍の経済封鎖作戦が西軍方の五月雨の降参を呼び込むことになり、義政が西軍方の諸将をそれぞれ許すことで乱が収束していったとのことである。畠山義就の存在を除外して・・・。
畠山義就はその後、河内国へ転戦し、隣国の大和国の衆徒・国民ら(筒井、越智、古市など)を巻き込みながら推移し、有名な山城国一揆をも生起させることになる。
将軍義政については優柔不断ということだが、記載箇所によってはわざと守護の力を削ぐ謀略を行ったり、戦争終結の見極めを正確に行っていたりと一見矛盾した記述のようになっているが(他の人もこういう記述がある)、そこはご愛嬌ということにしておこう。(笑)
大乱時の大和国は疎開先であったようで、一条兼良をはじめ京より多くの貴族が乱を逃れ奈良にて遊興の日を送ったとのことである。
その中で興味深かったのはやはり古市胤栄が行った「林間」(風呂付宴会)や、お盆時の念仏風流禁止令を逆手にとり、壊れた風呂釜を修理費を捻出すべく企画した風流小屋(日本最初の有料ダンス・ホールとのこと)である。動乱の時代でもなかなか乙でたくましい人物がいたものと感心した。但し、古市胤栄の末路は哀れなものであったが・・・。
また、この時代に目を引くのは僧侶が現代の感覚とは違うことであるが、特に大乱ともなると一層際立ってくる。
将軍家からして義教といい義視といい僧侶出身なのに過激で峻烈な性格を持ち大乱の大きな要素ともなっていたり、斉藤妙椿や経覚の宿敵・成身院光宣など本当に僧侶として仏事に付いていたはずが武将として活躍することになっていたりとこういった感覚の違いにもなかなか面白いものがあると改めて感じた。
大和国からの視点で語るという斬新な切り口の「応仁の乱」であったが、これはこれで面白かったと思う。
だが、「応仁の乱」そのものを網羅しているかというと・・・、どうなんだろう?(笑)
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〈目次〉
はじめに
第1章 畿内の火薬庫、大和
第2章 応仁の乱への道
第3章 大乱勃発
第4章 応仁の乱と興福寺
第5章 衆徒・国民の苦闘
第6章 大乱終結
第7章 乱後の室町幕府
終章 応仁の乱の残したもの
〈内容〉
室町時代の興福寺の『大乗院日記目録』『経覚私要鈔』をベースに尋尊と経覚という二人の僧侶の視点から大和と応仁の乱を詳細に描いている。応仁の乱の内容は勿論、その前後にもかなり詳しく言及されていて、山城の国一揆等についても良くわかります。高校の授業で使うには詳細すぎるが、教師はここまで知っている方がいいかな⁉室町幕府の弱体化と体面ばかり気にする将軍義政、友情とかメンツが念頭にある武士たち、となかなか面白かったです。
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知名度の割にその内容がよく理解できていなかった応仁の乱(1467-1447)の詳細を知りたく手に取った。背景として足利将軍家の影響力低下、興福寺はじめ大和(奈良)を中心とする寺社勢力、守護勢力、管領家の内部抗争など色々な要素が絡んでいるためにわかりにくい構図となっていることがわかる。
戦乱の終結も東軍優勢のままに曖昧な終わり方で1477年に一応終結するもその後のいざこざへと続く。登場人物が多く、その時代の知識も貧相なため理解しながら読むのに少し苦労したが良書と思う。
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合戦にかんする物語を読むとワクワクするという人は多い。だからこそ中世の軍記物語の時代から今日に至るまで、歴史モノ・時代モノは文学の一大ジャンルとして栄えているのである。しかしその中心は戦国時代や幕末などで、NHK大河ドラマの舞台もこの2つの時代に集中している。ではひるがえって、その戦国時代のキッカケとなったともいわれ、教科書でもかならず教わる、「応仁の乱」(あるいは「応仁・文明の乱」)を描いた本作はどうか。じつは、コレがちっともワクワクしないのである。小説ではなく新書だから? いえいえ、肝腎の戦乱の中身があまりにもしまりがないからである。なにせ、本作の販促で新聞に掲載された広告には、「スター不在」「ズルズル11年」「勝者なし」という形容が踊っている。じっさいに本作を読んでみるとまさしくそのとおりで、そもそもなぜこんなことになってしまったのか、読んでみてもよくわからない。ちょうど同時多発的にお家騒動が勃発し、また体面を保つために無意味に加勢した陣営も多く、さらに度重なる和平工作の失敗……、ととりあえず理由は示されているのだが、それでも着地点が見えないような争いばかりで、歴史小説とは真逆の、読んでいてイライラさえ募る展開である。日本史上きわめて重要なトピックでありながら、教科書ではココまで詳しく教わらないため、そうだったのかと思うことも多かったが、逆にこの内容を知っていたら、たしかに教科書にはいちいち細かく載せていられないであろう。
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応仁の乱を分かりやすく新視点で描いたと巷で評判の新書ですが、やっぱり応仁の乱は複雑でロシア文学のように訳が分からん。
南北朝といい室町時代を現代人が理解するのは無理がある。
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応仁の乱という有名であるけれども、分かりにくい戦争を二人の興福寺の僧の視点から分かりやすく説明した良書。この乱は将軍家の家督相続を巡って足利義政の弟と奥さんの日野富子が争ってそれを細川勝元と山名宗全が支援して、義政は眺めていて何もしなかったとイメージされているがそうではなかったのだ。畠山家の家督争いが将軍家や他の有力武将の跡目争いに発展した事であったり、腹黒いイメージの日野富子が争いの仲介役をになったり、傍観しているだけのイメージの義政が彼らなりに一生懸命争いの調停をやったりするように意外と努力をしている事に気がつかされた。だが、そういった努力をしたとしても徒労に終わり、戦乱は11年という長い間続くことになった。原因は先生はおっしゃってはおられなかったんだが、どの家も家督争いばかりでその上戦争でしか解決できないという問題を抱え込んでいたからだと思う(主人公の興福寺の二人を含む)。いや、そもそも持明院と大覚寺という天皇家の家督争い、そして尊氏・直義の兄弟同士の家督争いの上に室町幕府という組織が成立し、3代将軍足利義満は自分の権力を揺るぎないものにするために各地の有力武将の家督争いを利用して自分側に就いた人間を重用する事で権力基盤を確立していった事を鑑みると、その家督争いという地盤がぐらぐらと揺らぎ始め、将軍自体がそれをコントロールできなくなった事で室町幕府を崩壊の道へと辿らせた状態を見れば皮肉としか言いようがない。