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大河ドラマのもう一人の主人公
2021/04/21 07:03
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
もしその人物が全く別の時代に生まれていたら、その様相はまるで違うものになるものだろうか。それとも、やはりその人の生涯のありようは変わらないのだろうか。
1966年(昭和41年)「別冊文藝春秋」に三回に分けて連載となった司馬遼太郎の長編小説(といっても司馬の作品では一冊の文庫本に収まるのだから短い部類だが)は、徳川幕府最後の将軍となった、第15代将軍徳川慶喜を描いた作品だ。
その冒頭、司馬がこう書いた。
「人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。」
では、慶喜の主題は何か。司馬は「世の期待をうけつづけてその前半生を生きた人物は類がまれ」で、それが慶喜の主題だという。
慶喜という人物は実に不思議な男だ。
司馬が作品の後半にはいるあたりで「慶喜は孤独」と書いた。
「古来、これほど有能で、これほど多才で、これほど孤独な将軍もいなかったであろう。」
慶喜は有能であったがゆえに、将軍になればどのような運命になるか見えていたのであろう。
だから、徳川宗家の当主は継いだが、将軍になることを固辞し続けた。
それでも、その職を受けざるを得なかった彼は、どんな夢を持ったのであろう。
明治維新後、慶喜が静岡に隠棲した時、彼はまだ数え33歳に過ぎなかった。
77歳で生涯を閉じるまでの長い晩年をどんな思いで過ごしたのか。
そんな慶喜を綴る司馬の筆にどことなく慈しみを感じないでもない。
ある意味「good loser」であったシャープなオタク 徳川慶喜
2022/08/07 21:56
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Haserumio - この投稿者のレビュー一覧を見る
ずいぶん前に購入した一冊ですが、徳川慶喜の得体の知れなさから興味が湧かず積読状態だったのですが、昨年、NHK大河ドラマの視聴開始を機にようやく一読。さすが司馬遼、大変面白くかつ興味深い傑作でした。
「豊臣秀吉も徳川家康も、その直属の家来をのぞいては、外様大名の君主ではなく盟主であった。諸侯からかつぎあげられて秀吉は関白になり、家康は将軍になり、封建制の頂点にすわった。」(184~5頁)
「つまるところ、あのひとには百の才智があって、ただ一つの胆力もない。胆力がなければ、智謀も才気もしょせんは猿芝居になるにすぎない」(209頁、松平春嶽の言)
「小心と豪胆が、一人格のなかに複雑に綯いまざっていた。」(211頁)
「百策をほどこし百論を論じても、時勢という魔物には勝てぬ」(徳川慶喜の言)
「かの御方は、自力のみを頼みて他を顧み給わざるの御欠陥なしとは申しがたし」(230頁、松平春嶽の言)
「幕府の根拠地である江戸に浪人を放って放火、押しこみなどの狼藉をはたらかせた。さらには、朝廷をうごかしてもっとも手痛い要求を慶喜に対し、強要させた。当時の流行語でいう、辞官納地である。」(234頁、この延長がやがて版籍奉還に)
「朝敵になることを、世に慶喜ほど怖れる者はまれであろう。慶喜は歴史主義者だけにその目はつねに巨視的偏向があり、歴史の将来を意識しすぎていた。賊名をうけ逆賊になることをなによりもおそれた。これほどの乾いた合理的性格の男にこの弱点があるというのはどういうことであろう。」(236頁)
「慶喜は、現世のなまのあの顔見知りの京都の公卿、大名、策士どもに恭順するのではなく、後世の歴史にむかってひたすらに恭順し、賊臭を消し、好感をかちとり、賊名をのぞかれんことをねがった。それ以外に、あの策士どもと太刀打ちできる手はない。ひたすらに弱者の位置に自分を置こうとした。・・・ 慶喜が判官であるかぎり薩長は赤っ面の仇役として世間に印象されてくるであろう。それが権謀家としての慶喜の手にのこされた最後の札であった。」(260頁)
「旧幕臣たちはひそかに怨み、-貴人、情を知らず。といった。貴族の出身というのは、やはりどこか人情の欠落したところがある、というのであろう。永井尚志は、はるばる静岡まできて面会を断られたときも、慶喜の感情生活がやはり尋常の育ちの者とはちがっているようにおもわれた。慶喜は、静岡に三十年蟄居していた。」(265頁)
「慶喜は、長州人を憎んでいなかった。しかし薩摩人には意趣があり、維新後もそれを何度か洩らしていたところをみると、よぼど根深かったようにおもえる。」(276頁)
「こういう人でなければ、あのようにこともなげに大政奉還をやってのけることができなかったのではあるまいか。徳川慶喜は幕政三百年の幕を引くために、得意な才幹と感情を付与されて、天によって登場させられた人物であったらしい。そして彼は、将軍職にあったほんの一年ばかりのあいだに、与えられた役柄をとどこおりなく演じきった。」(286頁、向井敏解説)
それにしても、徳川慶喜が示した貴族性という点では、かの近衛文麿が個人的には思い浮かぶ。大坂からの脱出(離脱)だが、万一仮に評者だったら明らかに兵を率いて猛攻を加えんとしたところなのだが、あそこでああ出る(出ることができた)というのが慶喜の本質を明確に姿現しているように思われてならない。そしてその時、歴史は動いたのではなく「動かなかった」のである。
西郷どんには関心ないが
2018/03/09 14:37
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投稿者:koyarin - この投稿者のレビュー一覧を見る
西郷には関心ないが,竜馬がいくを読んだので,今度は幕府側からの司馬を読んでみたいと思い読みました。慶喜が如何に英明であったかがわかりました。慶喜と龍馬とを対面させてあげたかった。
最後の将軍
2022/03/26 19:38
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
最後の徳川将軍・慶喜について書かれた小説。幼い頃から将軍候補、攘夷派の英明君主という周囲からの「期待」という思い込みにさらされ、また自身それとは違うタイプの聡明さがあった為に歴史上不可解な行動をとってきた、という解釈か。司馬遼太郎らしい綿密な資料の読み込みで描かれている。
歴史小説は人物の人間性と政治性のバランスや関連性が大切だが、この小説ではそこもしっかりとしている。おもしろかった。
政治的混迷の中で最後の将軍となった慶喜の生涯
2022/03/15 21:53
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:しん - この投稿者のレビュー一覧を見る
最後の将軍として教科書にものっているにも関わらず、幕末の志士たちにばかりスポットライトが当たるためあまり描かれることがなかった徳川慶喜に焦点を当てて丁寧に描いた作品。本作は、徳川慶喜が非常に英明であるとしている。それまで徳川幕府は概ね老中などの役人の手によって運営されてきており、そうした役人たちには、将軍が政治に口を出さない方が都合がよかった。それが幕末の混乱の中で幕府としてどう判断するかのトップによる判断が必要な情勢となり、水戸徳川の出身で政治的立場からも就任の目がうすかった徳川慶喜に将軍となる依頼が来る。
慶喜が何度も将軍となることを固辞したのはよくわかる。このような難局の中で先がいいものではないことは先を見通す能力を持った慶喜には明らかだったろう。時代には止められない勢いというものがある。その中で、江戸が戦火に飲まれることなく大政奉還、江戸城の無血開城がなった際の慶喜の思いが意外にさばさばしていたというのがなかなか面白かった。
朗読が楽しみです
2017/11/26 21:23
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ME - この投稿者のレビュー一覧を見る
2017年末のNHKラジオの朗読番組の題材にもなっているというので、読んでみた。徳川慶喜という人は何でもできる人だが、一般人からみると不思議な人という感じがする。長生きして、明治政府からも表彰されたのは良かったと思う。
最後の切り札
2024/06/05 21:32
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投稿者:蒙古卵麺 - この投稿者のレビュー一覧を見る
世が世なら栄華を極めたかもしれず、なれどこの時代の荒波には抗えず、痛烈な挫折は味わえども天寿を全うするまで晩年を穏やかに送り過ごせただげでも、維新のその他多くの犠牲者と比べれば幸せであったといえようか。
最後の将軍
2001/03/15 01:27
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投稿者:55555 - この投稿者のレビュー一覧を見る
歴史小説の名手司馬遼太郎氏が徳川幕府最後の将軍徳川慶喜の波乱に富んだ生涯を見事に描ききった作品。徳川幕府をあっさりと受け渡し、江戸城を無血開城した徳川慶喜がまじまじと浮かび上がってくる。
徳川慶喜の虚像
2021/08/22 15:58
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投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
たぶん司馬遼太郎のごく初期の著作なのか、文章がというより使う単語が他のものよりも難しめ。さらに徳川慶喜という徳川最後の将軍を英明だったという評価から辿っているがどうもそこがよくわからない。やはりその評価も虚像だったのでは、と逆の方向に納得してしまうのだった。